【体験談4】「エゴ」を知った小学時代と、「地球への愛」を知った中学時代

 私の小学校五・六年の時代は、本当に最悪な時期でした。
 楽しい想い出は何ひとつなく、苦痛な想い出ばかりです。
 その年代になって私は初めて「エゴ」というものを知りました。
 勿論、エゴという言葉で自覚していたわけではなく、人という存在は、虐めや排他的になることで「楽しみを味わう」ケースがあるということを目の当たりにさせられたのです。
 例えば、どんなに善意でしたつもりのことでも、無視をされている対象の人がした行為であったら「ありがとう」は禁句で、むしろその善意に対して「重箱の隅をつつく」のです。
 
 私が体験したことで、こんなことがありました。
 ある女子の筆箱(当時は「カンペン」と言って、鉄のケースで出来た箱に可愛い絵柄がプリントアウトされている筆箱が流行っていました)が、男子達に蹴飛ばされていたのです。
 私はクラス中の女の子からは無視やリンチ(放課後、無理矢理残らされて、あらゆる悪口、暴言を目の前で吐かれるのです。それも、数時間に渡って──)をされていても男子からは嫌われていなかったので、私がやめるように言うと彼らはすぐに従ってくれて、筆箱を私に渡してくれました。
 しかし、床でさんざん蹴られていた為、その鉄製で出来ている筆箱には細かな傷が残ってしまっていました。それでも、もっと酷いことになるよりは──と思い、私はその筆箱をクラスメイトに持っていきました。
 その子は瞬時に顔色を変えて、「傷がついてる!」と叫びました。
 「さっき、男子達が蹴っていたから──」と私が理由を述べると、さすがにその子は「ありがとう、止めてくれて」と言ってくれました。
 ところが──それから数分後。
 その子の所属するグループのリーダー格の子(当時、私に率先して嫌がらせをしていた子)が、数人の女子を従えて、私のところにやってきたのです。

「何で、あの子の筆箱をもっと早くに取り返してあげなかったのよ!

 ──明らかな程の言いがかりでした。
「気がついた時、すぐに止めたよ」
 私はそう言いましたが、彼女は息巻いてこう言いました。
「本当は、わざと気付いていて蹴らせていたんでしょ! 自分が良い子ぶりたくて! もっと早くあなたが止めていたら、筆箱は傷つかなくて済んだのに!」

 ──私はもう、怒る気にもなれなければ、哀しむ気にもなれませんでした。
 彼女が明らかに理屈をつけて、私を責めたがっているだけというのが、理解出来たからです。
 その子の横をみると、筆箱の持ち主は多少申し訳なさそうな顔で、その場に立っていました。私に対して、罪悪感があったのかもしれません。

 人間とは、本当に残酷なものです。
 とくに、理性や体裁のないうちは、果てしなく「残虐な行為」に出るものなのかもしれません。
 それは「依存心」と同じで、自分で自覚して止めないうちは、とめどもなく、衝動として出てしまうものなのかもしれません。
 祖母の、祖父に対する嫌がらせや虐めを毎日見ていた私にしてみれば、「こういう行為は、人間の基本欲求の中にすでに含まれているのかもしれない──」そうも思えたのです。

 もっとも、そうなってしまったのは、彼女たちだけの責任ではありません。
 祖母も、理由もなく祖父に嫌がらせをしていたわけではなく──自律神経失調症という病気や、また、実際祖父が若い頃は祖母に迷惑をかけていたその蓄積した恨みからなどで、そういう行為に及んでいたからです。
 同様に、彼女たちもそうした行為に出る「理由」があるというのを、私は子供心に分かっていました。何故なら──その子の母親を見れば、「何故、その子がそういった理不尽な虐めをするか」がすぐに分かったからです。
 大抵、そういう家の子のお母さんは異常な程教育熱心で、そして「うちの子に限って」の典型例だったのです。(特に、私の育った世代、私の住んでいる地域は、教育ママが非常に多かったのです。神奈川県は全国偏差値も高い方で、とにかく進学、とにかくお受験の風潮が、全体的にありました。)
 おそらく──無自覚の中で「ひどいストレス」と「プレッシャー」を、子供達は感じていたに違いありません……。
 私は、子供心に彼女達に同情をおぼえ、「どれほど、家庭というものが子供に影響を与えるのか」を実感した時期でもありました。私も、祖父や不可視の存在がなければ──おそらくは、彼女たちと大差のない人間になっていたのかもしれないのですから──。

 そんなふうに現実世界のエゴを知る一方で、不可視の存在はほとんど見えなくなってしまいました。
 11歳の時に「女性の霊」を見た後、しばらくの間は体験数が激減しました。おそらく、現実世界があまりにも辛すぎて、私の意識が三次元に囚われていたからなのでしょう──。
 次第に私は、そうした不可視の存在のことから意識が離れていき、「如何に、現実世界を問題なく生きるか」に意識が向くようになってしまいました。
 何故なら、「毎日、何かしらのトラブルや問題」があったからです。

 そんな地獄のさなかでも、私は決して登校拒否などにはなりませんでした。
「学校は戦場だ」と理解しつつも、乗り越えなければならない──と自覚していたからです。
 それに、登校拒否になったところで、家庭環境にも「逃げ場はなかった」のです。
 どちらにせよ、辛い環境の中で、私は「闘い抜く」ことしか、出来ませんでした。

 そうして、地獄のような二年間が過ぎ去った後、私は中学校に入学しましたが──ありがたいことに、問題ばかりの小学校時代を送ったクラスメイトとは違う中学校に行くことになっていました。
 その新しい小学校は、中学校と並んで二つ出来ていたので、本来であれば小学校の全員がその中学校に行く予定だったのですが──よく分からない理由で、その小学校のこれまた「ほんの一部」の生徒達だけが、隣にあった中学ではない「別の中学」に行く羽目となったのです。
 私は恵まれたことに、その「一割」のひとりでした。また新しい人達と出会うことになるわけですが、何故か不安はありませんでした。
 それどころか、「きっと楽しくなるに違いない」──そう思っていたのです。

 その予感は的中し、その中学校は小学校の時の地獄が嘘のようでした。
 一学年700人というマンモス校でしたが(全学年ではありません、一学年だけです。全体を合わせれば2000人ぐらいいたでしょう)いじめ問題もほとんどなく、目立った不良もいない、無邪気にみんなで和気藹々と楽しめるような、素晴らしい環境だったのです。

 地獄の二年間を乗り越える最中、不可視な世界と距離を持ってしまった私は、すぐに環境が変わった後再び関係性を戻せたわけではありませんでした。
 それどころか、地獄から天国にいっきに上ったような感覚だったので、現実世界も楽しくなってしまい、そちらに意識が向くようになっていたのです。

 勿論、霊的な体験がまったくなかったわけではありません。
 まるで「忘れないでね」という確認をするかのように、時折、そういう現象が起こることはありました。しかし、別段背筋が凍るような怖い思いをしたわけでもなく、ごくごく普通に、中学時代を過ごすことが出来たのです。(とはいえ、中学時代に体験した数々の出来事も、非常に説明のつかないものばかりでした。これはいずれ、別記事の体験談集としてUPします。)

 私の中学時代における最も大きな変化は──むしろ、直接的な体外離脱や不可視の存在を見ることよりも「夢」で象徴されることが多々ありました。
 中学生時代の私は、不眠症で悩まされていた頃の自分がまるで嘘だったように、やたらに寝てばかりいる子でした。
 今でも不眠症の自分は──当時の自分を振り返るに「何でこう、私は極端なんだろう??」と首を傾げずにいられないのですが──とにかく、眠くて眠くて、いつでもどこでも、眠れるような子供になっていたのです。それどころか、ご飯を食べている最中、お茶碗を持ったまま「居眠りしてしまう」なんていうこともあったぐらいです。

 そして、そうした夢の中で──私は決まって、美しい大自然を見ていました。
 今思い返しても、「何故、あの頃集中的に『地球の自然』を味わうようになったのか」の、理由は分かりません。別段、そうしたドキュメンタリーを好んでよく見ていたわけでもないのです。
 にも関わらず、あの頃見る夢は、決まって大自然の夢でした。

 私は夢の中で、大抵、無自覚に空を飛び続けているのです。
 そこに、私の自我はなく──自意識もないので、大自然を見てもただ「記憶しているだけ」です。
 海の上を飛んでいったり──アマゾンのような大森林の上を飛んでいたり、そうかと思えば、草原の上を走るインパラの群れを眺めていることもありました。

 そこには無数の生命があり、生命のないものは「皆無」と言えるぐらいの、自然あふれる世界だったのです。

 私は、自分が流れる雲になったかのように思えていました。
 当時の私は、夢の中でどこにでも行けたのです。
 見たことのないような変わった建造物を記憶したこともあったのですが、後からそれは「マヤのピラミッド」だったということを知ったりしたこともありました。

 そんな夢から刺激を受けて、いつしか私は「地球への愛」を抱くようになったのでした。

 勿論、私が地球に思いを馳せたのは、この時が初めてではありません。
 私が実際に地球の映像を初めて見たのは、7歳の時──宇宙博での会場でしたが、その美しさと、碧と緑が色混ぜられたビー玉のような愛らしい星に、言いようのない想いを抱いたのを覚えています。
 幼少期の頃も、私は地球儀が大好きな子供で、部屋を暗くしては懐中電灯を地球儀に照らし、その光の当たったところを「太陽の光が当たった昼」と仮定して遊ぶのがお気に入りというような子供でした。

 その頃の私は、宇宙と──そして、地球が大好きでした。
 小学校五・六年の頃に味わったエゴの地獄によって、すっかりそのことを忘れていましたが──再び、それを思い出したのが中学時代だったのです。
 そして、漠然と「地球の為に、何か役立つことをしたい」と思い始めたのも、ちょうどこの頃からでした。

 とはいえ、対象があまりに大きいので、何をしていいのか分かりません。
 その為、私は「アフリカに行って、砂漠化した地域を再び自然豊かな大地にすることが出来ないだろうか」などという突拍子のないアイディアを持ち、実際に図書館で「砂漠」について調べたり、植物の育成方法について調べたりしていたのだから、呆れたものです(笑)。

 その頃、私は中学校三年生に差し掛かっていたので、進路を決めなければならなかったのですが──「地球の役にたてる進路を選びたい」という思いしかありませんでした。
 もっとも、当時は国際学部もなければ環境学部もない時代だったので、私が具体的に進めるような学部は「皆無」といって等しかったのですが──。

 中学時代は比較的、私の不可視を感じ取る能力も安定していた頃でした。
 霊が見えることがあっても、その霊が強く私に何かを要求したり、憑依するようなこともなかったので、不可視の存在の「人間に近い版」と勝手に自分で認識するに止まっていました。

 そうした安定した時期は、中学の三年間続きましたが──高校に入った途端、再び能力は一気に暗転し、私の人生において今度は現実世界ではなく、不可視の世界で「辛さを味わう時期」が、始まってしまったのでした……。(体験談5に続く)



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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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