高校進学先を決める際、
「ゆくゆくは、地球の役にたてるような進路」を願っていたのと同時に、私は
「家庭環境から解放されること」も強く望んでいました。
私の父は、子供を
「自分の思い通りにさせないと気が済まない」というタイプの人でした。
長女だった姉などは、本来自分が進みたかった道とはまったく違った道を、否応なしに無理矢理受験させられていた程です。
私は、両親が姉を雁字搦めにしているのを見て育っていたので、「自分は絶対に、そうされたくない」と思っていました。
姉は両親に従順でしたが、私は
徹底的に反抗しました。親の言いなりにしかなれない人生なんて、まっぴらご免だったからです。
それは完全に「親のエゴでしかない」とも思っていました。
本来の親の正しい愛は
子供を自立させることであって、言いなりにさせることでもなければ「子供の人生を勝手に決めること」でもない──そう私は感じていたからです。
私が望んでいるのは「私の将来」であって、「親の将来」ではありません。親の締め付けがどんどん厳しくなっていく中で「親の手の届かない遠くへ行きたい」と、私は強く願うようになっていました。
そんな中、「ある高校に寮制度がある」という噂を聞き伝手ました。
しかも、その高校は普通科でありながら看護科も学べるという高校で、日本でも有数とされる特殊な学校でした。また、受験制度も「ひとつの中学校からひとりしか受験出来ない」という、変わったシステムになっていました。要するに「内申書による推薦がある生徒以外、受け入れない」という姿勢です。
今となっては「寮」という文句に吊られたのか──もしくは「看護師になれば、アフリカなどの地域に海外派遣される可能性も高い」と思ったのか、どちらが動機かは不明瞭です。
……でも、おそらく前者の理由の方が割合は大きかったでしょうね。
父親も、その進学先については承認してくれました。
父親が本来描いていた子供の将来は、
「医者か教師だけ」だったのです。それ以外の将来は、すべて「NG」でした。
でも、看護師というのも「将来的にも経済的にも安定しているから」という理由で、許可がおりたのです。呆れる程に打算的理由でしかありませんが、ひとまず私は自分の要望(親の望むものとは、まったく違う要望ですが)が通ったので、一安心でした。
私以外にもその高校を目指したいとする生徒は大勢いましたが、幸いにも私は、その中学校からひとり選抜してもらうことが出来ました。
ただし、残念なことにその学校の寮は附属の短大生のみが使用出来て、高校生は使用不可だ──ということが分かったのです。
それでも、学区内の高校に通うよりは遙かにマシだと、私は思いました。
父は高校の教師だった為、学区内であればどの高校に行っても父を知らない人はいませんでした。そんな環境で過ごすぐらいなら、寮がなくても「父親のことを誰も知らない、遠くの学校がいい」──そう思ったのです。
こうして、私の遠距離生活が始まりました。
その高校は神奈川県のほぼ中心(横浜市内)に位置していた為、電車を40分以上乗った上でさらに乗り換えて20分近くかかります。今まではほとんど電車など乗ったことのない私にとって、これは大きな日常の変化でした。
そんなある日のことでした。
私はいつもと変わらず、ラッシュの中で椅子に座りながら、窓の外を眺めていました。
その時、何か車内放送が流れたようでしたが、私は音楽を聴いていたのでちゃんと聞こえていませんでした。別段特に気にせず、そのまま外を眺め続けていたところ──突然、異様な光景が目に映ったのです。
まだ駅にたどり着く前だというのに、何人もの駅員の人達が線路の周りを右往左往していました。
反対側を走る下りの電車は中途半端な位置で止まったままで、どことなく緊張感の漂う雰囲気だったのです。
そして──その脇には……鮮血に染まった「人の遺体」があったのでした──。
シーツがかけられていたのですが、風で飛んだのか──或いはきちんと直視出来ずにかけたのか、ほとんど露出していたのです。
それは、哀しくも──人としての姿を、まったくとどめていませんでした……。
男性か女性かさえも、全然分かりません。
私の中で、一瞬にして悲痛な想いが過ぎりました。
もう二度と、こんな光景は見たくない──強くそう思ったのです。
ところが──私は、それ以来何度も、そうした場面に遭遇するようになってしまいました。
まるで
「死の意味を知れ」。そう言われているかのように──。
私と同じように、遠距離通学のクラスメイトは大勢いましたが、私のように、頻回にそうした人身事故が起きた現場に出くわすような人はいませんでした。
そして、私はただ現場に出くわすだけではなく──まだ死にきれていないと勘違いしている霊達のことも、目撃するようになりました。
いわゆる
「心霊」というものに対しての感受性が、大きく開かれてしまったのです。
中学時代の三年間は無難に過ごしていたものの、高校時代以降私が出逢う不可視の存在達は、何かしらこの世に未練を残していたり、或いは助けを求めている存在ばかりになってしまったのです。
それは、私にとって
「死」と対面することを意味しているかのようでした。
生前、死の意味を深く考えず──或いは「生命の本質の意味」を考えないで亡くなった人達の多くが、私にすがってきました。
しかし、私はただの高校生です。
除霊も出来なければ、供養も何も出来ず──ただただ、恐怖に怯えることしか出来ません。
助けてあげたくても、彼らに私の声は伝わらないのです。お互い、一方的な会話の投げ合いだけをしているような感じでしかありませんでした。
自殺は、
ただ「自分を死なせる」だけではない──ということも、よく分かりました。
周りの家族、身内、発見した人、色々な人達に、影響を及ぼすものなのだということも。その当時、私は遺体の第一発見者にもなっていた為、身内である奥様の痛みを思うと、
「亡くなられた本人だけが辛いんじゃない。『残された方』だって、同じように辛いんだ」ということを、考えずにはいられなかったからです。(参照:
無意味な法律は、魂のコミュニケーションまで奪いかねない)
今、日本は自殺大国と言われてしまっていますが、
「こころの戦争状態」なのだと、そう思えます。
日本は紛争もなければ、飢餓もありませんが──「自殺に追い込まれる命が多数ある」ということは、「精神という内側で、紛争が起きている」のと大差ないのではないでしょうか?
何故、このような悲劇ばかりが、繰り返されるのでしょう──。
きっとその理由は、あまりにもこの世界で
正しく生命と死の意味が語られていないからなのだと、私はそんなふうに思えます。
戦争が終わった後、日本は高度経済成長を経て奇跡的な経済復興を経ましたが──その一方で「大切なこころ」を置き去りにしてきてしまったのかもしれません。
それは、「生命を慈しむ」というこころ──。
生命は、宇宙から授かった大切なもの──大切な地球の一部です。
それを、「辛い」というだけで捨ててしまうようなことがあってはいけないのだと、そう思えるのです。
人がひとり自殺すれば、その分だけ
地球を自殺に追いやっているんだと、そのぐらいの危機感を持って、もっと社会全体で自殺増加を食い止めるべきだと、私は本当にそう思います。
昨日、偶然か──或いはサインのひとつだったのか、こんな記事を見つけました。
「
自殺者、11カ月ぶり増加」
私は、こうした報道を何度繰り返しても「結局、自殺者を止められない現状」の方に疑問を抱いているので、記事そのものには注目していませんでした。──が、目をとめたのは「コメント欄」の方です。
「その人間が死ぬ事で苦しみから解放されるならば、自殺してもいい」
その考え方こそが、「間違った死の概念から来た考え方」ではないでしょうか?
自殺する多くの人は、苦しくて──現実世界から逃げたくて、死ぬのはよく分かります。
その辛さも、私自身が辛い人生を歩んできたからこそ、痛みもよく分かります。
でも、
だからこそ、現実世界だけがこの世界ではないということを、知って頂きたいのです。(私は今後、そうした「死後」についても、論理的に証明出来る方法を試みようと思っています。)
この世界がどういう世界であれ、そのこと自体に意味はなく──
「そんな苦悩の世界の中で、如何に理想的な生き方を目指すことが出来たか」。 このことの方が遙かに尊いことだと、私には思えるのです。
私は、何度も死と対面してきました。
その中で、数々の霊障も受けました。
そうした霊障を受けると、「自分も自殺したくなる衝動」に駆られるのです。
これがどれほど恐ろしいものか──何て表現していいのか、わからない程です。
確かに、現実社会は苦しいです。
辛いです。
でも、辛さばかりに注目しても、何も変わりません。
それならせめて、
「このおかしな社会を変えていこう」ということへ目を向けていった方が、遙かに建設的です。
そうでなければ、同じ悲劇を何度も何度も、繰り返すしかなくなってしまうからです。
今は、自殺に対するNPOなども多数あって、一部の人達が真剣に「自殺を食い止めよう」と働きかけていますが──おそらく「一部だけでは、足りない」のでしょう。
社会全体が一丸となって、この問題に取り組んでいくしかないのだと──そう思えるのです。
どんなに一部のNPOの人達が頑張っても、社会の中でエゴを突出させた人達も存在する以上、悲劇は繰り返されていくでしょう。
本当に、
ひとりひとりの個人レベルで、この問題と向き合っていくしか──解決法はないのかもしれません。
私がこれほどまでに、自殺という問題に向き合うようになったのも──こうした「死と対面した時代」があったからこそかもしれません。
そして、死に対する正式な理解というものがないからこそ、人は容易に命を投げ出すのでしょうし、同時に「亡くなった後、どこへ行けばいいのかわからずに迷う存在になってしまう」ということを、痛感させられたからかもしれません。
私は、数多くの「どこへ行けばいいのかわからずに、迷う存在」を目の当たりにしながら──でも、「何もすることが出来なかった」のです。
助けたくても、助けることが出来なかった。それが、どれほど口惜しいことか──。
そして──そんな中で、私の人生の中でもっとも哀しく、無力を痛感する事件が起きてしまったのでした。(体験談6に続く)
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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