私の高校時代は、生死を見つめさせられる体験と──同時に現実側面では、友情による葛藤の続く日々に明け暮れていました。
私の通っていた学校が看護科だったという特殊性もあるのか、感受性の強い生徒が非常に多く、その分、情緒的に不安定な人達も見受けられました。私の友人も突然衝動に駆られ服毒自殺未遂をした程で、救急車で運ばれたことがありました。一命はとりとめたものの、何故突然そうした行動に出たのかは依然謎のままです。
※余談※
私は例え友人といえども、本人から告げられるまでは、いっさい相手の深部に触れるようなことを訊いたり、口にしないタイプです。(お節介嫌い派、とも言います。人によっては「冷たい」と思うこともあるでしょうが、基本的に私はただ見守っているだけのタイプです。)
逆に、その子もいっさい私に愚痴ひとつ言ったことがありませんでした。
趣味も価値観も違えば、同じクラスになったことさえない彼女と行動を共にする機会が多かった理由は、その子も自分同様、自虐的行為に及んでも他者を絶対に攻撃しない──その上、相手に依存するようなタイプではないことが、何となく伝わってきたからかもしれません。 友情や周囲に翻弄される日々は、楽しくもあり──また、苦痛でもあります。
どんなに自分が精神的に一定を維持しようとしても、外部によって一日の印象が大きく変わることなど多々ありました。まるで、天候ひとつで左右される船旅に出ているかの気分です。
それに加え、私は霊的現象にも悩まされていたので、私の内面を大きく揺るがす原因は沢山ありました。それでも乗り越えられたのは「音楽」という生き甲斐があった──これに尽きると、そう思います。
私は高校を卒業した後、一年間だけ看護婦で働きましたが、その後は試行錯誤に入っていました。
音楽を純粋にやっていきたいという思いの反面、
「色々なことを、経験してみたい」という衝動もあったからです。
その為、あらゆる職業を体験しました。
奇しくも、時代はバブル絶頂期。求人は山のようにあった頃です。3K職場(きつい・きたない・きけん)と言って、どんなに求人を出しても「集まらない」と嘆く企業もたくさんあった程です。今では信じられない状態ですね(苦笑)。
音楽を勉強する傍ら、子供の頃に感じたようなとても素晴らしい体験をしたり(参照:
天界の音楽)、様々な紆余曲折がありました。
相変わらず霊現象は続いていましたが、それでも「自分の中で、何かが変わりつつある」のが実感出来ていたので、恐怖はほとんどなくなっていました。
季節は瞬く間に過ぎて、私も気がつけば21歳になっていました。
ある日──私は、東京で有名だという占い師に観てもらったことがありました。
それは「たまたま」に近い感覚でした。ひとり遊びに行った先で不自然な行列を見かけ、そこに「占い師の看板」があったのです。
私は様々な自分の体験を紐解く一環で、「占い」も研究していました。鑑定自体はほとんどやってもらったことがなかったのですが、占術の研究に関しては10歳の頃からしていたぐらいです。
その為、占術の種類や方法については当時から非常に詳しかったのですが──そこに書かれていた占い技法は、今までに見たことのないものでした。
「霊感占い」
これじゃ、何で占うのかまったく分かりません。
何となく好奇心をおぼえたので、何時間待つことになるか分からない行列の一番後ろにつきました。待つことがさほど苦痛じゃない私は、鞄から本を取り出すと、そのまま読書に耽ったのです。
──ふと。
視線を感じて、顔をあげました。ブースの中にいる占い師が、じっと私を見つめているのに気がついたからです。
私は「偶然だろう」と思い、視線を再び本に戻しました。
しかし、何度も視線を感じるので再度顔をあげたところ、またその占い師が列に並ぶ私のことを見ていたのです。
私はとりわけ美人でもないし、背丈も高くなければ(むしろチビです)、スタイルがいいわけでもない──言ってしまえば「十人並み」の容姿です。
ですので、何故あのように見られるのか分からなかったし、そういうことにも慣れていないので照れを感じました。意識しないよう、ひたすら読書に集中した程です。
しかし、「何故、占い師が私のことを見ていたのか」──自分の番になってようやく、理由がわかりました。彼は、私が座るなり開口一番、こう言ったからです。
「あなた──霊感が強いね」
正直言って、驚きました。
私が質問を言う間もなく──用紙に生年月日を書き込もうとしている途中で、いきなりそう言われたからです。
自分がひた隠しにしていた事実(当時、すでに何名かの友人には明かしていましたが)を指摘され、私はただ「はい、まぁ……」としか言えませんでした。
はっきり肯定したわけではなかったのですが(当時から、そういうことを自慢したり得意げに話す人間が大嫌いだったからです。自分は絶対にそうなりたくない──そう誓っていました)、その占い師の人から告げられた言葉は……想定さえ出来ないような言葉でした。
「あなたの力は、これからますます大きくなる。その力を、もっと人々の為に使いなさい」 私は言葉が出ませんでした。
何故なら、相談内容は「これから、どうやって音楽活動をしていけばいいか」だったからです。音楽活動と霊感を使って人々の為に──では、雲泥の差どころの話ではありません。
ですので、私ははっきり告げました。
「いえ──。私は、音楽をやっていきたいのですが──」
「だったら、音楽を続けながらその力を使えばいい」
とりつく島もありません。
占い師の言葉は、私の霊感の使い途に集約されていました。
しかし、私は当時の(今もそうですが)霊感師のほとんどを信用していなかったので、どこぞの先生の弟子になるというのはまっぴらごめんでした。
すると、その占い師はこう言ったのです。
「君の力は、占いにも使えるだろう。なので、私の弟子になりなさい」
「──はぁ……」
全然私は、本気じゃありませんでした。
しかし、その占い師はかなり本気です。「今日の夜、○○で会合が開かれるので出席する。あなたも、そこに来なさい」とまで言われました。
私は笑って誤魔化すと、その場をそうそうに去りました。
自分が何も言わないのに、彼には「私の力」が見えていた──その時点で、その占い師が「ホンモノ」であると、私は感じていました。
しかし、当時の私はそうした「師弟関係」というのが大嫌いだったのです(これは今でもそうですが)。
誰しもが教師にもなり得るし、弟子にもなり得る──万物から人は学び、事象からも人は学ぶ。賢者が幼子に学ぶことだってあるだろうというのが、私の考え方だったからです。一方的な「師弟」という上下関係の考え方自体が、私の肌にあわないものでした。
ところが──。
その占い師の言ったことが、「事実」となってしまったのです。
それから一ヶ月もしない頃。
私は、寝ている最中誰かに「足首」を捕まれました。
その現象だけなら「いつものこと」で流せるのですが、いつもと違ったのは、まったく恐怖がなく──それどころか、その手が
「闇に浮かぶ、光を放った黄金の手」に見えたことでした。
その両手が私の足首を掴んだ瞬間、ものすごいエネルギーが私の全身に流れ込んでくるのが分かりました。まるで風船のように、いっきに膨らませられているような感覚です。
この感覚は、幼い頃に味わったような感覚と「まったく同じ」でした。
同時に、アメリカに短期留学していた際にメロディを耳にした体験とも近い感じです。
「ま、待って待って! それ以上やったら、私の肉体が弾け飛んじゃうよ!」 そう叫びたくなるぐらい、何かが自分の中で膨張していくのを実感していました。
その日を境に──霊を見る回数が激増しました。
高校時代のような恐怖はありませんでしたが、あまりにはっきりとしているので、自分でどうすればいいのか分からずに困惑した程です。
例えば──悪霊(あまりこういう言い方は好きではないのですが、妥当な言葉がないので……)が、私の布団の中に潜り込んで来た際、それを蹴飛ばした瞬間足に残った「毛髪の感覚(全身が毛で覆われていたのです。悪霊にこうした毛深い存在は割と多かったように記憶しています)」とか──
ある家で泊まった際、その部屋からすごい剣幕ではじき出されそうになったこととか──
友人と旅行した際、友人がトイレに行った間その子の布団に座っていた少女の姿が、可視と見紛う如くはっきり見えたりとか(友人に少女はまったく見えず、普通にそのまま寝てしまったそうですが)──
あげれば、キリがありません。
恐怖がなくなった分、私はかえって冷静にその現象を見つめ返すようになっていました。
それと同時に、占い師に言われた言葉が脳裏に刻み込まれて仕方なかったのです。
「確かに──これほど強くなってしまったら、他者の為に役立てるべきかもしれない……」
事実私は、高校時代に「伝えきれなかった辛い過去」がありました(参照:
伝えられなかったメッセージ)。あの頃は分からなかったものも、今であれば分かるかもしれない──そう思うようになったのです。
でも、その為にはやはり「熟練した存在」のもとで修行をする必要がありました。どんなに師弟関係が嫌であったにせよ、こればかりは独学出来ない。
それに、独学は危険すぎる──そうも思いました。
当時すでに多数の霊を見ていたので、おぼろげながら
霊にも個性があるというのを実感していたからです。
一律に同じ除霊は出来ないし、同じ方法で浄化は不可能だ──それぞれの霊にあった方法を示さなければならないということだけは、はっきり分かっていました。
私は悩んだ挙げ句、占い師が示した通り「霊感を役立たせる道を選ぼう」と決意しました。
人々の為だけではありません。
迷った霊達の為にです。
私は、自分が有名になるということにはまったく興味がありませんでした。名誉、肩書き、権威──そうしたものは、幼少時から「クソくらえ」と思っていたからです。そうしたヒエラルキーが、私は不自然だとさえ思っていました。
私は純粋に、「迷って、自分にすがってくる霊を成仏させたい」という思いから、役立たせる道を決意したのです。
──ところが。
それを決意した「翌日」。
目覚めた私の視覚が、いつもより「クリア」になっていることに気付きました。
クリア──というよりも、「物質の形状」が明晰に見えているという感じです。
今までは、どこかその形状がぼんやりしていたように思えたのですが──妙にクッキリ見えるように思えたのです。
当時の私の視力は、左目2.0、右目1.5だったので、突如視力があがった──ということでもなさそうです。
最初は、何が起きたのか分かりませんでした。
しかし、ひと月ほど経過してから、改めてその変化の実状に気付いたのです。
私は、突如
霊感を失っていました。
何故そんなことになったのか、今でも説明がつきません。
しかし、明確に覚えているのは──視覚がクリアになったことに気付いて以降、それまで日に数回、頻回にあった霊的現象が「ピタッ」と治まったことにありました。
見えなくなっただけじゃありません。「感じなくなった」のです。
そのことに気付いて以来、しばらく私は困惑していました。
しかし、それが「感覚」ではなく「事実」であることを実感したと同時に、私は絶望の底に叩き落とされた気分でした──。
これほど数年間、辛い思いに耐え抜いて──ようやく、自分の力をコントロールする術が見つかりそうになった瞬間。いきなり「力が消失する」なんて──そんな酷い話ないじゃないか!
私は誰にともなく、怒りをぶつけました。
私に残されたのは、物質と表層的価値観にまみれた「可視世界のみ」でした。
これがどれほど心細く、どれほど孤独なものか──表現のしようがありません。
高校時代、恐怖と闘いながらようやくここまで辿り着いたのに──辿り着いて、ようやく助けてくれる存在の手を掴みかけたその瞬間、「その手を放された」ような感覚です。
私は、自分の中に「力の残骸」を探すのに必死でした。
しかし、そこに広がるのは何もない空虚な大地で、時折灯が見えたとしても、それは残り火のようにすぐ消えてしまうだけでした。
突如盲目になった人のような気持ちで──私は、私の力を見抜いた占い師の元に行きました。彼と出会ってから、すでに一年が過ぎようとしています。まだそこにいることを祈って、私はその店に向かいました。
しかし──彼は、私のことをまったく覚えていないどころか……まったくアテの外れた返答をしたのです。
それは、私の能力がなくなったからなのか──或いは、彼の能力の限界だったのか、今でも答えは出ていません。
何も感じられなくなった私からすれば、
「あの頃は、幻覚の中で生きていただけなのではないか」という疑念さえ過ぎりました。
しかし、自分の体感に嘘はつけません。自分で見てきたものは事実だし、味わってきたこともすべて事実だった──そうとしか、言いようがないからです。
それでも、絶えず疑念は寄せては引き、また寄せては引きを繰り返すばかりです。
すべては、意識の生み出した産物でしかない──そう言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし、この答えは誰にもおそらく出せないでしょう。
当時の私にひとつだけ言えたことは、
「私はもう、可視の世界のみで生きるしかない」ということだけでした。
そこから、私にとって「現実世界における試行錯誤」が始まりました。
それは、力が復活する36歳前後──約14~15年近く続いた、
新たな試練の時期です。
当時は非常に辛かったですが──今にして思えば、納得出来ます。
私は不可視の存在から解き放たれて、一度
可視の世界のみで生きることが必要だったのでしょう。
それまでの私の経験では、この現実世界(可視)における真実も見えなければ、不可視の世界における完全な参入もまた不可能だったのかもしれません。
大切なのは、
可視世界・不可視世界──両者をバランスよく受け入れることなのだろう、そう思います。
目に見えないからといって闇雲に否定するのではなく、また、目に見えることだけを盲信するのでもない。
その両者をうまく混合させることこそが、一番の真理に近いのではないか──そう思えます。
まさしく、陰陽図そのものですね。「目に見えない世界」と「目に見える世界」が、互いにぐるぐると廻っていく──これも一種の二元性、と言えるかもしれません。
私は21年間、「不可視の存在」と共に生きてきました。
ですので、その後14~15年にかけて、今度は「可視の世界のみで」生きる必要があったのだろう──私はそう解釈しています。(体験談8に続く)
【お知らせ】
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