霊感を失ったと同時期、私は「音楽」でも挫折を経験していました。
とあるプロダクションの採用試験を受け、最終面接まで漕ぎ着けたにも関わらず──社長の価値観がどうしても受け入れられず、その場で対立してしまったのです。
それは、音楽に対する挫折というよりも、
現実世界を生きていくこと、そのものの挫折と言えました。
霊感も失ってしまい、私は本当に、この先の人生をどう生きていけばいいのか分かりませんでした。
模索し続ける過程の中、気がつけば私は、ひたすら「哲学書」を読みふけるようになっていたのです。
私は高校時代から哲学書を読み始めていましたが、十代の頃に読んでも、あまりピンとは来ませんでした。
宗教学や思想史そのものには幼少期から興味がありましたが(特に、子供時代に見たイスラム革命の印象は、大きかったと思います)、哲学そのものを食い入るように読むようになったのは、この時が初めてだったと思います。
霊感を失った後の私にとって、哲学はまるで「人生の指針」とも言うべきものだったからです。
哲学と言うのは、「智慧をロジック化したもの」です。
本来であれば感性で捉えたものを、すべてロジックをツールに説明している──すなわち
「不可視な智慧を三次元ルールで煮治している」のが哲学と言えるでしょう。(けっして、ただの脳内作業というわけではありません。)
霊感や直感の鋭かった時代の私にとって、智慧をロジック化する意味はあまりなかったのかもしれません。
しかし、「何も感じられなくなった──でも、
何かあるのは、確実なんだ」という両者を股にかけた状態となってしまった私にとって哲学は、とても的を射た学問だったのです。
私は短期間で、あらゆる哲学書を読みました。
最初はニーチェ、キェルケゴール、ハイデッガーなどから入り、その後、カント、それから何故かいきなりギリシャまで時代を遡って、プラトンの「イデア論」にはまりました。
哲学史も、途中でキリスト教との合流があったりなどで厳密な流れを組んでいるわけではありません。また逆に、科学や社会学との合流もあり、一律に「ここまでが哲学だ」と区切ることは不可能です。
それでも、私はほぼ西洋哲学については網羅出来ました。
勿論、もっと深くやろうと思えば出来るのですが──どうも
「自分が求めているのは、これではないな」そう思ったのです。
むしろ、私を魅了したのは──
インド哲学でした。
インド哲学については、分かりやすい本が「何ひとつ、なかった」のです。
また、インド哲学を売り文句にしていても、実際読んだら仏教だったりなど、境目が非常に曖昧でした。
インド最古の哲学とされている「ウパニシャッド」を読んだ際も、その曖昧な表現に首を傾げてしまいました。西洋哲学からインド哲学を見ると、本当に「もやもやとした銀河を遠目で見ている」ような感覚になってしまったのです。
──これは、独学で深めることが出来ない。
そう思い、私は「インド哲学を学びたい」と強く思うようになりました。そこに、私自身が体験してきた数々の現象や「目に見える世界と、見えない世界との関係性」などが紐解かれているのではないか──そう思ったからです。
その上、当時の私は中学時代に感じたような
地球の役にたてるような仕事につきたいという思いもありました。
真理探究と世界平和──。一見矛盾しているような目標ですが、私はこの二つの意識をもったまま、どうすればいいのかを模索しました。
その結果、
「大学に、進学しよう」と決意したのです。
当時私は22歳になろうとしていたので、同い年の学生達はみんな4年生になっている頃です。4年の落差をつけて進学するわけですが、音楽をやっていた時も同い年の仲間なんてほとんどいなかったので(もっともみんな年上で、年下がほとんどいなかっただけですが)、年齢に対する拘りはいっさいありませんでした。
私は、「まったく新しい人生」を22歳にして歩み始め、その翌年、大学に進学しました。
私がその大学を選んだ理由は、大学の中にある研究所(この研究所はアジアとアフリカに対する研究所でした)に入りたい──そう考えていたからです。そうすることで、もうひとつの目標である「地球の役にたつこと」が可能になりそうな気がしていました。
(余談※しかし、この目的も結局頓挫してしまいます。私が本当の意味で「地球のために生きる」ことと「真理探究」を合体出来たのは、ごくごく最近になってからでした。) やっとのことで自分の道に辿り着いた私でしたが──ここでもまた、大きな挫折が待っていました。
大学生のほとんどは「遊ぶこと」に夢中で──真剣に真理を紐解こう、という人は皆無に近かったのです。(おそらく、学友達の中で未だに真理探究を目指しているのは、私だけだと思われます。もう10年近く連絡が途絶えているので、分かりませんが──)
また、教授陣もおざなりに文献学を講じる程度で、真剣に自分で考察し、新たな分野を模索しようとする姿勢の人がいませんでした(唯一、ひとりだけプラトンの思想を独自に考察する教授がいました。この方はかなり有名な方でもあったのですがおじいちゃん教授だったせいもあり、もうディスカッションなどをするような状態ではなく「ひとり意識を投じている」ことの方が多い印象を受けました)。
大学二年生になった頃、私は「自分がこのまま大学にいても、何ひとつ目標を叶えられないのではないか」と思い、大学を休学し「海外青年協力隊」に応募しようかを悩んでいました。
思い切って説明会に参加したものの──ここにもまた、自分の求める答えはありませんでした。
私が説明を聞きにいったのは1994年だったのですが、それはちょうどあの「ルワンダ紛争」の後でした。
ルワンダ紛争について、私はあらゆるジャーナリズム誌を読んでいましたが、
「何故、このような争いが続いているのか」そのこと自体が非常に疑問だったのです。
しかし、いざ海外青年協力隊の説明会に参加しても──その私が抱いていた根本的疑問、
「何故、人は争いをやめないのか」という答えは出ませんでした。
その答えが出てからでないと、参加しても「私の目的は、達成されまい」──そう思えたのです。
結局、私は申込みを見送り──大学でもう少し疑問を解く為の研究をしよう、そう決意し直しました。
いわば、私は
社会の傍観者になった気分でした。
「何がこれから起きていくのか。そして、『どうなっていくのか』を見極めたい」そんな思いがあったのです。
そして──1995年。
オウム真理教地下鉄サリン事件が起きてから、すべてのことが「一転」しました。
それまでもてはやされていたカルト教団達も、いっきに評判は落ち──それと一緒に「精神世界」に関わる本が、いっせいに書棚から姿を消したのです。
当時、オウム真理教信者がインド哲学科に多く所属していたことから、私の大学もかなり警察から目をつけられていました。実際、私の友人何名かは警察から職務質問され、ある友人の自宅には「近所から『オウム真理教じゃないか』と通報があった」と言って警察が来たこともあった程です。
その翌年の就職内定率も、インド哲学科はいっきに低下したそうです。
──これは、一種の「差別」だ。
そう思いました。
私が、昨今スピリチュアルブームと言われていても自分が容易に自分の体験や精神に関する用語を口に出さなかったのは、
オウム真理教事件で、人々が一斉に手のひらを返す様子をあからさまに見ていたからです。
「不可視の現象」については、誰も共有出来ません。
だからこそ、
慎重に伝えていく必要があるのです。
ましてや、
「未来はかくかくしかじか、こうなるんだ!」「地球はアセンションした後、こうなるんだ!」とはっきり言い切ってしまえるものではありません。
神でさえも決断出来ないものを、何故、ひとりの人間如きが断言出来るというのでしょう?
カルヴァンの予定説が覆され、確実とされる未来は「何ひとつないんだ」ということを知った現状の中、「未来はこうなる」「数年後はこうなる」と断言することの危険性を、多くの方にご理解頂きたい──そう思います。
断言すればする程、そこに摩擦が生じてしまいます。
イメージすることはとてもいいことですが、「イメージすること」と「こうなる!」と断言するのとでは、明らかに異なります。前者は個々人の自発的行為によるもので、後者は「他者の言った言葉に依存するだけ」になってしまうからです。
断言は「カルト教団」に繋がりかねない危険を含んでいますが、イメージはあくまでも個々人に委ねられています。
その明確な差を、私はこの事件を通じて学んだように思えました。
1990年代は、日本だけでなく世界中が、様々に揺れ動いた10年間でした。
いえ──厳密に言えば、1989年。東西ドイツの統一、ソ連の崩壊、そして日本は昭和が終わるなど、この時からすでに
時代の夜明けが象徴されていた──そう思います。
1991年のイラク戦争に始まり、多くの紛争。
そして、自然災害も含め、この10年間にあったことを書き出すだけでも大変なのではないかと思えるぐらい、世界的に様々なことがありました。
不可視の世界から離れ、可視の世界のみに生きていた私にとって、「現実世界というのは、ここまでに目まぐるしい変化をするものなのか」と思わせた程です。
しかし──よもや、
それさえも凌ぐような世界的事件が勃発するなど、当時の私は予想だにしていませんでした。
それこそが、あの
9.11──
21世紀最初の年である2001年に起きたのです。
その日が、私にとって人生における、大きな転換期となってしまいました。
当時31歳になっていた私は、可視の世界のみに生きていくすべを見つけ、普通に生活していました。もし、9.11がなければ──私は今でも、普通に主婦をこなしていたと思います。
私は9.11を境に、
「このままでは、世界は滅びてしまう」という強い危機感から、再び独身に戻って、9.11の真相と、同時に「どうすれば、世界を向上させることが出来るのか」を模索し始めました。
私は、ただひたすら「どうすれば、これ以上の悲劇を止められるのか」そのことだけを意識して、生きてきました。
しかし、それが回り回って──
不可視世界との繋がりの復活に結びついてしまったのです。(体験談・最終回へ続く)
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