不可視の力が復活し始めたのは36歳以降でしたが、はっきりと
「ああ、これは幼少期の頃と似た体験だ」と実感出来るようになったのは、一昨年──38歳を過ぎてからでした。
しかし、実際には36歳になる前すでに「その予兆」とも言うべき体験が、少しずつ──じわじわと、私の中で起こり始めていたのです。
その一番最初のきっかけは、2003年の初夏──あと数ヶ月で33歳になる頃のことでした。
その前年の7月に私は離婚していましたが、決して元夫を嫌いになって別れたわけではないので、とても辛い日々を送っていました。
「自分で決めた道だから」と覚悟しつつも、約10年近く連れ添った相手を失うというのは、心の中に大きな穴がぽっかりと空いてしまったかのような空虚感を覚えるものです。
その当時、とあるNPO関連の講演会企画に関わったり、ジャナーリズムの学校に通ったりなど、私自身は積極的に活動していましたが、心のどこかで「この穴を埋めたい」──そういう欲求はあったのだと思います。そうした隠れた思いが引き寄せあったのか、私は会社で知り合った男性と、つきあい始めました。
しかし、彼はもともと地方から赴任していた人だったので、彼が地元に戻って遠距離となった途端、関係性がこじれてきました。
自分が決めた道にたいしても中途半端なまま、私は
「俗世と理想の狭間」を、激しく揺れ動いていたのです。
私は毎日毎日、別れた夫のこと──そして、彼との板挟みで、ひどく精神的に消耗していました。
そんなある日。
夢の中で、私は「占い師」の元を訪れていました。
その占い師の人は高齢の女性で、うつむき加減のまま、じっっと私の話を聞いていました。
私は自分が抱えている悩み、葛藤をすべて打ち明け、老婆からの返答を待っています。
ところが、老婆は無言のまま、何も言いません。
怪訝に思い始めた私の前で、老婆はゆっくり姿勢を戻しました。
次の瞬間。
顔をあげた途端、クワッと目を見開き──。
「これから『大切な転機』を迎えようっていう時に、男にうつつなんぞ抜かしてどうする!」 ──と、ものすごい勢いで罵倒されたのです。
その瞬間、「ハッッ!」と我に返りました。
「お、怒られちゃった……」
心の中に浮かんだ言葉は、その一言に尽きました……。
普段なら「ただの夢」で終わるところを──この夢はあまりにインパクトが強く、忘れようにも忘れようがありませんでした。
しかも、何よりも驚いたのは──前日までずっと別れた夫や彼のことで悩んでいた私が、まるで、別人のように「ケロッ」と、
「そうだ、そうだ。そんな場合じゃなかった──」
と思い、突然立ち直ってしまったことです。
あろうことか、その日中に携帯のメールアドレスを変更し、彼との連絡を自分から「断ってしまった」ではありませんか。
何よりも、自分のその
「極端なまでの変化」に、自分自身が驚いていました。
※以降、私は誰ともつきあったことがないし、異性を好きになることもなければ、再婚する気もまったくありません。私は、真理と地球の未来のために、生涯を捧げると堅く決意しているので、この決意を揺るがすことは死ぬまでない──そう確信しています。 その夢を境に、私は不思議な夢を数々見るようになりました。
数年経ってから思い返すと、「ああ。このことを言っていたのか」と思うような夢も多数ありました。
その中で共通していたのが、「山の夢」でした。
大きくそびえ立つ山の中腹に、一軒の山小屋があるのです。
しかし、実際中に入るとそこはとても近未来的な雰囲気で、しかも、「地球の全歴史」がつまっている博物館、と言われました。
私はそこでひとつの席に座り、誰かから色々な知識を教えてもらう──という夢を何度か見ていたのです。
その他にも、象徴とされるような夢が数々ありましたが──ひとつひとつ挙げるとキリがないので、ここでは割愛します。
現実面でも、大きく変化が起こり始めていました。
時代は、すでに「イラク戦争」に突入していました。
私は、自分の本来の目的を追いたい──と思いつつも、「自分のこともちゃんと出来ないような人間が、9.11の真相を追うなんて烏滸がましい」とも思っていた頃でした。
二つの両極な思いにユラユラと揺れながら──
少しずつ一本の道に集約されようとしていたのですが、当人にはまったく自覚出来ていなかったのが、2003~2005年にかけてのことだったのです。
大きく私が変わることになったのは、2006年2月の話でした。
その頃、私は友人関係でひどく悩んでいましたが、それと同時に、
どんどん、自分の目指す理想からかけ離れている気がすると思い、にっちもさっちも行かなくなってしまったのです。
「私」という船は座礁し、岩に乗り上げ、どうすればいいかもわからない状態でした。
そして、私は──
──今までの自分を「死なせよう」。そして、「新たに再生」するんだ! そう決意したのです。
勿論、「死ぬ」というのは肉体のことではありません。「精神的な意味で」です。
どうやって精神を死なせるか──方法は様々でしょうが、私の場合は
徹底的に、自分を否定し続けたのです。
毎晩毎晩、寝る前に「自分の欠点」「今まで起きたことで、自分がやらかした失敗・挫折・後悔」あらゆる
負の部分に焦点をあて、書き殴ったのです。
毎日毎日それを繰り返せば、途中で「同じ欠点」が何度も浮上してきます。
そうした欠点は「自分にとって、もっとも大きい意味があるのだ」とそう思い、何度も何度も繰り返し、思い浮かんだ欠点は漏らさないよう徹底して、書き続けたのです。
ある意味、修行僧のような感覚かもしれません。
ひたすらひたすら、自分に向かって問いかけ──長所には目もくれず、ひたすら「短所」だけを指摘していくのです。
昨今のスピリチュアリストは、概ね「逆」をしていますよね。
でも、私は
「本当に強くなりたいなら、むしろ短所のみを書き出した方がいい」そう思います。
どんな事例も、どんな出来事も、絶対に「他人のせい」には出来ない──すべて「自分の過ち」として捉えていくのです。
とはいえ、これは万民にお薦めの方法ではありません。
また、それを徹底的にやったからっといって、「欠点が皆無になるか」と言えばそんなこともありません。上記のような行為を半年間繰り返した私も、決して今「欠点がゼロ」になってるわけじゃありませんので(苦笑)。
でも、私はそれで「いい」と思っています。
完全無欠の人間なんて面白くも何ともないし、欠けている部分があるからこそ、補ってくれる仲間を必要とする──そこで人間の調和が生まれ、助け合いの精神が生じると、そう思えるからです。
少なくとも、「自分の欠点を、徹底的に洗い出す」ことで、
謙虚さが生まれます。
私は約半年に渡って、「欠点を書き出す」という行為をしましたが──おかげで、人生観がだいぶ変わったように思えます。
勿論、自分の欠点や人生の汚点を書き出すことは、猛烈な痛みを覚えます。
時として、「本当に死にたい」──そう思うことも、何度もありました。
そう感じた時、私は「坐禅」を組むようにしていました。
出来るだけこころを空っぽにし、雑念は浮かぶがままにして、ある自分の「一部分」だけを「死」に至らしめるのです。
そうすると、次第に雑念も浮かばなくなり──ただ、「存在」だけが浮き彫りになってきます。そうすると、「死にたい」という思いも消え失せるので、それからまた、新たに「欠点の書き出し」を始めるのです。
私が何故、そこまで自分を追い詰めたのか──それは、ひとえに
「目的を定めていても、そこに向かっていつまでも進めない自分への憤り」があったからでした。
私は、本気で「地球の為に、生きたい」──強くそう思うようになっていたのです。
そのちょうど一年ぐらい前から、私はヴィジョンで「世界中の景色」が脳裏に過ぎるようになっていました。それは、まさしく中学時代に
夢の中で、地球のあちこちを飛び回った記憶の再生のようなものでした。
そして、半年後──8月3日の誕生日。
36歳になるその日に、私は「伊勢神宮参り」に行きました。
そこでお参りをし、「再生する」ことを誓って、再度東京に戻ってきたのです。
その時は、それから自分に大きな変化が起きるとは、予想だにしていませんでした。
いえ──伊勢神宮はただ単に「きっかけ」に過ぎず、本来は明治神宮だろうが鎌倉八幡宮だろうが、どこでも良かったのかもしれません。
ただ単に、「自分の人生(欠点)を見つめ直す半年間」が必要だっただけであって、それが出来ていれば問題なかったのかもしれません。
或いは──生まれてくる前に私自身が、「こうなること」を設定していたのかもしれません。
真偽はいずこにあるのか分かりませんが、それから数週間後──すでに、
何かが変わり始めていました。 まず最初に訪れたのは──
フラッシュ現象でした。
それは、普通に歩いてたり、或いはPCに向かっている最中、目の前でかなりはっきりした光が灯る現象でした。
あまり周囲で聞いたことがない事例なので、私は勝手に「フラッシュ現象」と呼んでいます。
最初は、白内障の一種かと思っていました。
しかし、「白い点」ではなく「明確な光」で、しかもそれの出現場所がバラバラであることから「白内障とは違うな」ということが分かりました。
また、この光はただの白色ではなく「色がついている」のです。
一番多いケースは「青」でした。その次が「紫」──勿論、白色もあります。また、赤や緑、複数の光が無数に絡み合って出現することもありました。
最初は「ただの目の錯覚だろう」と、気にしなかったのですが──ある日、
「外縁を青に縁取られた白色の光」が見えた時には、さすがに「これは、ただの錯覚ではない」と思いました。そんな不自然な光、人工的にだって作るのは難しいでしょう。
それと同時期に──
メンテナンス現象が起き始めました。
これも、あまり友人以外の他の人に話したことがないので、照合のしようがなかった為、勝手に「メンテナンス現象」と名付けています。
一番最初に起きたのは、風邪を酷くこじらせてしまい、発熱で寝込んでいる時のことでした。
ひとり暮らしの人間にとって、病気は場合によって死に繋がりかねません。それこそ高熱で五日も寝込んだ日には、まず冷蔵庫の食べ物がなくなって餓死しかけてしまいます;
私自身、立ち上がる気力もなくて「どうしようかな……」と悩んで寝込んでいた際。
ふと、布団の横で女性が座っているのに気がつきました。
何を話したか──まではよく覚えていないのですが、あれこれ話をした後に、いきなり頭頂部から「ゴォーッ」とすごい勢いで何かが流れ込んでくるのを感じたのです。
「うわっ! ちょっとこれ、やりすぎ!」
当時私の寝室はロフトだったので、ロフトから転がり落ちるんじゃないかと心配した程でした。
しかし──目が覚めると、不思議なぐらい体が軽くなっていて、熱も平熱まで引いていたのです。
「ありがたい夢だったな」なんて、その時は思ったのですが──
それから頻回に、私が体調不良の時は誰かが来るようになったのです。
私は、この現象を「確か、ずっと前に味わったことがある──」と思うようになりました。
そう──幼少期の頃、
不可視の存在達が遊びに来ていた「あの頃」と、まったく感覚が一緒なのです。
だんだん、「これは、夢じゃないのかもしれない──」そう思い始めました。
そして、37歳のある日──決定的な体験を、することになったのです。
その日、私は両耳の内耳炎と外耳炎を悪化させてしまい、39度以上の高熱を出していました。
左耳は外耳炎で完全に塞がってしまい、何も聞こえないような有様です。
そんな中、人の気配を感じて私は目を覚ましました。
なんと──目の前に、
全身銀色の人が立っていたのです。
これを言うとみんな、たいてい笑うのですが(苦笑)──例えて言えば「ペプシマン」にそっくりでした。
まずその形状に驚きましたし、同時に「何故、ここにペプシマンが??」ということにも驚きました。
さすがの私も、ペプシマンを見たのは「初めて」だったので──。
すると、そのペプシマンは私の顔を両手で抑えると──なんと
私の口の中から、体内に向かって、勢いよく飛び込んできたではありませんか!「シュワ──!」ならず
「シュルシュルシュル──すぽんっ!」です……。
……………………。
何が起きたのか、しばらくよく分かりませんでした。
「高熱で幻覚を見たんだ。そうだ。そう思おう」──と、無理矢理納得した程です。
この話を友人にした際、友人からは「
アンディ・レイキーは、病気になると小さな天使が体の中に入ってきて治療してくれた──っていうから、それじゃない?」と言われたのですが……
小さな天使──という割には、デカすぎです……。
寝ていたところを見上げたので、明確には分かりませんが──最低でも180cmはあったと思います。
アンディー・レイキーが描くような「ちっちゃい天使」がチョコチョコ入ってくるなら「可愛い♪」で済まされますが──
──ペプシマンでは、「ギャグ」にしかなりません……。
ただ、ひとつだけ明確に言えることは──今までのメンテナンス現象同様、その日のうちに回復した──ということでした。(この現象は、今でも多々あります。先月、全身が炎症を起こした際も、静養しなかったどころかイベントまでやったにも関わらず((おそらく当日も、38度台の熱があったと思われます。左耳は外耳炎により、まったく聞こえていませんでした))、次の検査では「すべて正常値に戻っていた」のだからありがたい話です。)
それからしばらくして、
体外離脱現象まで復活しました。
体外離脱が復活した経緯は、多岐に別れます。また、「どのように離脱するのか」というプロセスも、体感したことが複数回ありました。(詳細を書くと長くなりすぎてしまうので、またの機会にさせていただきます。)
ただし、一度だけ──これは鮮烈な体験であり、同時に「今の活動をしよう」と決意するきっかけでもあったので、ここでご紹介しますが──
体外離脱先で、
「これから、戦争が起こるかもしれない」と言われたことがありました。
私は驚いて、「それはどこ? 中東がきっかけ? それとも別の──」と食い下がりましたが、それ以上の時間滞在が私には出来ませんでした。
普通の夢や瞑想と違って、私の場合は自我も一緒に連れて行っているので、「集中する」時間に制限があるのです。(専門用語を使えば「その次元と周波数を合わせる」ということなのかもしれませんが、自分で確証出来るものではないので、あえて「集中する」とだけに留めておきます。)
まさかな──という疑い反面、相変わらず緊迫している中東の様子を見るに「でも──」という思いも過ぎりました。
それに、中東だけではありません。戦争が起きたとしても、決して「え? あそこが?」って驚くようなところは、かえって少ないような気がします。
私は、自分が聞いてきたことに半信半疑ながらも──
「戦争が起こる起こらない云々ではなく、『これからの地球の未来を、意識して変えていくこと』そのものに意義があるのではないか」そう思いました。
戦争が回避されたから「じゃぁ、地球の未来はどうでもいいや」というのは──ただの怠惰だし、依存心が強いだけに過ぎない、そう思えるのです。
私達の人生が、ちょっと些細な出来事で左右されてしまうのと同じように、
地球の未来も、私達の些細な行動ひとつで、左右されてしまうのではないか──そう私は実感しています。
私は、自分の今までの人生を通じ「不可視世界の濃厚な時期」、そして、「可視世界のみにしか生きられない時期」、両者を体験した結果、「もっともバランスのとれる位置を、見出すことが出来た」──そう思っています。
それは、言うなれば「色々な人から支えられて生きていることへの感謝」も含めてであったり、食事が出来ることも「自分が稼いで来たから、食べられるんだ」という考え方ではなく、「食糧を作ってくれた人達、そして、食糧として身を捧げてくれた動物達、野菜達への感謝」を含めることの大切さを知らしめています。
私達はひとりよがりに生きているのではなく、
人間だけで生きているのではなく、
私たちが生きる前提として生命があり、
この星に生きるたくさんの動物や植物たち、
豊かな自然、
太陽の恵みなどがあってこそなのだということを、思い返す必要があるのでしょう。
そのことこそを、不可視の世界は「教えてくれます」。
目には見えないけれど、「確実にある」ということへの証。
それは、何もスピリチュアルに限ったことだけではありません。
食糧になってくれた米や野菜が、大地で育成されていく姿が私達、消費者には見えません。
パックになっている肉達や魚達が、かつてどんな姿でどんな生き方をしていたのか、大海原でどのように泳いでいたのか、私達、消費者には見えません。
そして、世界のどこかで戦争が起きていても──飢餓で死んでいく子供達が毎日いたとしても私達は、情報を通じてしか知ることが出来ないのです。 それは、私が直に「不可視の世界にいる住人達」から教わったわけではありません。
「目に見えない」部分にこそ、多くの真実と現象が隠されているということを、不可視の世界にいる彼らが、「存在として」教えてくれたのです。
私は、スピリチュアルの本当の意味は「そこにある」──そう思えるのです。
目に見えないけれど、相手のことを思いやる優しさ──
目に見えないけれど、今、社会で何が起きているのかを感じ取ろうとする配慮──
そして、目に見えないけれど、地球がどれほど私達を慈しみ、守ってきてくれたかを思うこころ──
それこそが「スピリチュアル(精神性)」であり、奇抜なことでも突出したことでも何でもない、
思いやりと優しさで成り立つものなのだと、私はそう思っています。
9回に渡って、私の今までの体験談をまとめてお送りしてきました。
実際には、掲載していない体験談も多々あるのですが(長くなりすぎるので掲載しきれませんでした;)、私は本来奇抜さを求めているのではなく、常に
「見えない存在(前述したような、食糧への感謝や、相手のこころを推し量ることなど)を思いやること」の方を大切に思っています。
そうすることが結果的に、人間の意識の向上をもたらし──そして、本当の意味で「調和で包まれた世界」を生み出すだろうと、そう思っているからです。
人類がそうなった時点で、おそらく「不可視の存在」は「可視」になるか──或いは「感じ取れる存在」になれるかもしれません。
私達は決して分かたれた存在ではなく、可視も不可視も
もともとは一体の存在なのですから──。
【お知らせ】
すみません; 昨日も朝からバタバタと忙しい日で、更新をお休みしてしまいました。
メールの返信も遅れております。毎度のことで恐縮ですが、今しばらくお待ちくださいませ……。●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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