【体内離脱プロセス・2】二元性の限界

 私はよく、何故、この次元は二元性で成り立っているのかについて思案することがあります。
 私個人としては、その理由が「この次元が電気的宇宙であり、プラス・マイナスという分離した因子から派生しているからではないか」と推測していますが(詳しくは、自著「アセンション真実への完全ガイド (5次元文庫)」電気的宇宙論の章をご参照ください)、だったら何故、この次元を「電気的」にする必要があったのか──そこがどうにも腑に落ちないのです。

 高次元は「一元性である」ということを先日書きましたが、最初からそういう次元の構成が出来るのだとしたら、何故、わざわざ争いや抗争、分離の絶えない二元的な次元を創る必要があったのか──もし「神」と呼ぶべき存在が私たちのこの次元を創ったのであれば、その意図は何なのか──私は常に、そこが引っ掛かっていました。

 そうした中で、この「体外離脱」「体内離脱」という両者の違いも、ひとつのヒントとして、大きく関わってきました。。
 この二つは決して違うものではなく、左回りで行くか、右回りで行くかの差でしかない──とどのつまり、すべてはコインのように「裏と表で構成されているに過ぎないもの」を二元性として仮定しているだけに過ぎないのでしょう。

 もしかしたら──対立・抗争などを元にした二元性で構成されたかの理由そのものが、どんなに分離されているように見えても、もとは「ひとつ」なのだということに、自ら気づかせる為の舞台設定に過ぎなかったのかもしれません。
 最近はよく「ワンネス」という言葉が使われますが、それは、本当の意味での対立・抗争・矛盾、あらゆる対局した二元性の極地を味わって「初めて」、重みのある言葉になるような気がします。
 本来のワンネスという意味はあらゆる個体差、あらゆる相違、あらゆる価値観の差、すべてを含めて『それでもひとつ』だということを指し示しています。
 それを理解出来なければ──ワンネスという言葉は、恐ろしい殺戮の暗号になりかねない危険を含んでいます……。

 誰もが同じ思想でなければならない、
 誰もが同じ神を信仰しなければならない、
 誰もが同じ価値観でなければならない、
 誰もが同じことをしてなければならない──
 それは、ワンネスではなく「独裁でしかない」ことは、言うまでもありません。


 数年前のことですが、あるスピリチュアリストの人に「ワンネスの本当の意味」として上記のような説明をしたところ、彼女は憤慨して叫びました。
「当たり前よ! ワンネスはそういう意味じゃないわよ! みんながひとつ、みんなが平和になれるのがワンネスなのよ!と。
 そして、そう言って数分も経たないうちに──こうも言ったのです。
「イスラム教の人達の魂って、みんな地獄に墜ちるんだってね。だから、いつも紛争が絶えないんだって!」

 ──こんな酷い偏見のどこが、ワンネス思想なのでしょう?

 哀しいかな、この女性は自分の言った言葉の矛盾に、まったく気がついていませんでした。
 私ももう、あえて指摘はしませんでしたが。(私の場合、「言っても無駄だ」と分かった場合、同意も反意も示さず、ただ無言になるクセがあります。)

 ※余談※イスラム教の人達がどれほど敬虔で友好的な人達であるかは、私がこのブログで何度も書いたとおりです。
 私は無宗教ですが、彼らの土地、彼らの領地に入れば、イスラム教の教えの通りに行動し、彼らが尊重するコーランを同じように尊重します。それはイスラム教を信じる方々への礼儀であり、人間としての最低限のマナーだと思うからです。
 そして、彼らも決して私たちを無宗教だからといってバカにしたり、勧誘しようとはしません。「イスラム教の素晴らしさ」を語ってはくれても、無理強いはしないのです。その点、日本の新興宗教は遙かに学ぶべき点がたくさんあると思いますね。
 日本や欧米でイスラム教を批判する人は結構いますが、もっと深く彼らの教義や価値観を知ってから言うべきだと思います。


 本来は、誰もが──どんな思想を持っていようが、価値観を持っていようが、個人の幸福と、身近な愛する者との関係性と、そして全体調和の為に一体となるのが「ワンネス」という意味だと、私自身は思っています。
 その意味を「まったく知らない状態に生まれ、まったく異なる環境の中で学んでいき、最終的に『最初から知っている高次元の存在達』と同じレベルに達することが出来た」としたら──それはものすごく大きな学びになりますよね。
 その「学び」の為に、抗争・対立を含む二元性のこの次元が誕生したのだとしたら──全力を尽くして人類自ら、創造主が提示した「二元性」の課題を乗り越えるべく、立ち上がる必要があるのでしょう。

 少し前置きが長くなりましたが、体内離脱の実例を挙げる為にはまず「二元性」という問題と対峙しなければならなかったので、そこを先に説明しました。
 体内離脱をしていくに際してまず障壁となるのが多元化した想念──いわゆる「雑念」だからです。

 雑念が生まれる理由は、この次元が二元性だからに他ならないだろう──私はそう思います。
 このあたり、もっと私も突き詰めて調べたいと思っているのですが一元性から誕生した存在には、そこから分離する思考がないのではないかと、私はそう仮定しているのです。
 「1」は、果てしなく「1」のまま。
 でも「2」は、そこにすでに「1」の要素を二つ含んでしまっている為、分離も融合も出来るが故に、増殖も可能になっていきます。
 私たちはそうした二元性の世界に誕生しているが故に、私たちの想念(思考)は多種多様の色、形、方向性に散っていってしまいます。

 私が教わった禅は臨済宗ですが、臨済禅ではとくに「問答」を中心に行います。(※これ、道元禅とはまったく種が異なりますのでご注意ください。道元禅の方は「ただ坐る」それだけです。)
 どんな立派な僧侶でも、最初はみんな「見習い」です。だから、当然雑念は「浮かびまくり」です。
 そうした場合、徹底して以下の言葉を脳裏で繰り返すそうです。

 「わたしはたれ(誰)ぞ・わたしはたれぞ・わたしはたれぞ……」

 そうすると、色々な思念がさらに浮かびます。中には子供時代の想い出や、すっかり忘れていた遠い過去のことなどが蘇るかもしれません。
 次の段階で、こう唱えるそうです。

 「これをみている(考えている)のはたれぞ・これをみているのはたれぞ……」

 今挙げたのは本当に「入門の入門編」あたりのほんの入り口なので、本来はもっと深いのですが──こうした徹底した問いかけが、臨済禅では繰り返されていきます。
 私も、これは実際にやりました。
 勿論、何十年もその道一本でやってきた和尚に比べたら爪の垢にも満たない程度でしかありませんが──その際に、「自分」というのがただの認識に過ぎず「存在だけ」になった──ということを体験しました(これが、例の「再生しよう」として徹底して自分の欠点を書き出した際に体験した坐禅です:参照「復活。そして新たな目覚め」)

 これらは、通常の仏教の禅に関する本や瞑想に関する本に書かれていることなので、多くの方も目にした記憶があると思われます。
 なのですが──私が体感した体内離脱は、それとそっくりではあるものの、形(表現の仕方)が違うという印象を受けました。

 まず、雑念の仕組みが、実はいくつもの階層に分れており、どのポイントにアクセスするかによって異なるのではないか──ということが感じられたのです。
 例えば、誰もがみんな色々な体験、思い出、辛いこと、トラウマ、たくさん抱えていることと思います。
 それらは「同じアストラル層にインプットされるのではなく、その出来事の振動数(周波数)に応じた階層にインプットされるのではないか」ということに気付いたのです。(記憶というのは脳ですべて賄うものではない、ということは昨日の記事でご説明したとおりです。)
 そして、そうした階層の一部一部が見せるものは本当に「カオス」としか言いようがないムチャクチャさで(笑。←詳しくは明日書きます。私が見た夢のあまりのバカっぷりに、みなさんも笑われると思います)、辻褄あわないどころか「意味わからん!」ことだらけです。

 これは、私という「個体の思念」だけでは絶対に説明出来ない現象だと、私自身は考えています。
 つまり、夢の中で集合無意識下にアクセスすることにより、自分では想定出来ないまったく不可思議な夢を見たりすることが起こり得るのだろうと思うのです。
 ですが、その集合無意識も、まだ「三次元の枠」の中にあります。逆に言えば、「三次元」という水槽の中に満杯に入った水が「集合無意識」と言えるのかもしれません。

 私はそれらをいくつか垣間見た後(二日に渡って見させられました。一日目はそれこそ数えたら50はいくだろうというぐらい多数の夢を見させられ、ほとんど眠れなかった程です……)、最終的に「体外離脱で行った場所と、同じ世界」に行きました。
 この続きについては、明日ご説明致します。


【お知らせ】
先日お知らせしたコミュニティですが、9月1日頃公開予定です。楽しみにお待ちください。
尚、またもやお返事が滞っております; どうか気長にお待ちくださいませ……。


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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


【篠崎の著作本】

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