個は全体の「成長要素」

11月に、アセンションをテーマにした映画が上映される――という話を聞きました。果たしてどういう内容なのだろう……と興味あるので、観に行って来ようと思っています(私はドラマは見ないけど、映画は好きでよく観ます)。
また、先日もお知らせした通り、私自身が今まで得たアセンションの知識や情報、自分なりの考察を元にした小説執筆も、すでに着手しています。主人公は精神世界の「せ」の字も知らない普通の少年――という設定なのですが……書いていて思ったのは、「(アセンションなど)こうした情報に敏感となるには、やはりあらかじめ『感受性』が鋭くないと無理なんだな」ということでした。
すなわち、「そうした情報に敏感になる」ということも、「生まれ持って、決められた方向性があるのかもしれない」と。

とはいえ――。
私は今までにも数多く小説を書いてきましたが、そこに登場する人物というのは「個性」と同時に「環境(小説内における設定)」が絶対に「成長に絡む」ということを痛感しています。
ある種、人間の人生も似たようなもので、もともとあった個性(霊性)に応じ、選んだ環境(家庭なり、社会なり、時代なり)で自ずと「変化せざるを得ないのではないか」――そんなふうに思えるのです。
どんなに作者側が「A君という人物は、こういう性格で、こういう環境で、こういう人生で……」と設定していても、ほとんどと言っていい程「思い通りになりません(爆)」(これは、実際に小説を書いた方であれば痛感していることと思います)。

ある程度の展開は作家でコントロール出来ても、そこから先は自ずとA君という登場人物に委ねられてしまうのです。何故かと言えば、Aという主人公に纏わる環境、その他の登場人物の関与によって、自ずとAの方向性が左右されてしまい、また、A自身の選択によって「ストーリーの展開」が一定でなくなってしまうからです。

私がこうして小説を執筆しながら、多々感じるのは――
「人間と神の関係も、似たようなものかもしれない」ということです。

私達はよく「環境も何もかも、選んで生まれてきている」と言います。
それは、作家が作品を描く際の世界観の設定や、環境、登場人物を廻る人間関係の設定作りによく似ています。
また、「こういう流れで、こういう事件が起きる」とか「その布石から、次の事件に展開する」という「ストーリーの軸」は作家の手で前もって設定出来ても……そこから先、本当に登場人物がどう動くかは――それこそ「登場人物次第」なのです。

――不思議なものですよね。
彼らは「作られた存在」であるはずなのに――作品世界でしっかり「生きている」のです。
長編小説を書いたことがある方であれば、自分の意図を離れ「登場人物達が歩き始めている実感」を味わったことがあるのではないでしょうか。

小説と同じように、私達も生まれてくる前、環境や周囲の登場人物、出会う人々を、ある程度「設定して」生まれてきているのでしょう。
しかし、必ずしも小説が「望んだ結果には至らない」のと同じように、人生もまた、「生まれてくる設定どおりに必ずしもならないものなのだ」と、そんなふうに思えるのです。

量子力学における基盤とも言われる「不確定性原理」という言葉、皆さんもご存知と思います。
一見小難しい言葉に感じますが、その「対象となった言葉」から紐解くと、おおよその全体像が掴めます。
この「不確定性原理」は、それまで科学の法則性としてまかり通ってきた「ラプラスの魔」を否定するという、大きな役目を担った原理です。
ラプラスの魔というのは、「ある一定の知性をもったもの(すなわち神のような存在)にしてみれば、未来も過去と同じように見えていて、すべては決められている」という、いわば「宿命論」に近い立場をとっています。

こうした理論が波及した背景としては、おそらく当時のキリスト教神学(特にカルヴァンの予定説など)が関わっているのではないかと、私は憶測しています。
しかし、その「すべては決められている」という理論に「まった!」をかけたのが、この「不確定性原理」なのです。
端的に述べてしまえば(私は哲学端ではあっても、物理学者ではないので、あくまで「端的に」ですが)、「すべては決められている」という概念に対し、「必ずしもそうとは言い切れない」というのが、不確定性原理の立場です。

私は小説を書いていると、どうしてもこの「不確定性原理」のことが頭を過ぎります。
それほど、小説って(長編になればなる程)、「作家の意図を超えたところに、行き着いてしまうから」です。

人間も、それと同じなのではないでしょうか?

ブルーバックスから出版され、「不確定性原理」を分かりやすく説明した著者:都築卓司氏は、終章の中で興味深い発言をしております。

「人間については―(略)―無機物や植物、さらには他の動物にない『自由意志』の中に、なにかふつうの因果律とは異なったものが存在している気がする。しかも人間個人の問題だけでなく、多くの『意志』が寄り集まって社会生活を営むとき、意志と意志の相互作用が、思いも寄らない方向に人間生活を追い込んでいく可能性も考えられる」※269ページより引用

私はこの意見に、深く同意します。
私達は個人ひとりの概念だけで生きているのではなく、「様々な人達との関係性の中」で生きています。(世界360度全部自分という理論が、「何故的を外しているのか」は、ここに裏付けが取れます。)
そうした中で、それぞれにおける意志、働きかけがさらにその個人に影響し、「当初(生まれてくる前に)設定していた人生を大きく外してしまう可能性」だって――充分に考えられると、私はそのように思うのです。

小説の登場人物も同じです。
「たったひとり」しか出てこない小説であれば、単純に話は進むでしょう。
しかし、様々な登場人物がいれば、それだけ要素が複雑に絡み合って来て、一筋縄ではいかなくなり――それこそ、小説の中で登場人物達が、「作家の意図を超えた動き」をすることがあります。

だから――私達も、「創作者たる神の意図」を超えて動いている可能性だって、充分に考えられる、私はそんなふうに思えるのです。

よく、「人はただ役柄を決めて生まれてきて、それを演じているだけ」という言い方をする人もいますが――それは違うように、個人的には思います。
確かに、「ある程度の設定をして生まれている」のは事実です。(いわば、それがカルマなどの因果律でしょうから。)
しかし、必ずしも「その予測通りに動かない」というのが――人間の性(サガ)であると、私には思えるのです。
そうでなかったら、何故「不確定性原理」というものが説かれる必要があったのでしょうか?
この原理の存在こそがまさしく、私達の「自由意志」という気づきへの促しと共に、「すべてが予定されているわけではない」ことの大きな裏付けなのではないかと、そう実感せずにいられないのです。

――だとしたならば。
私達個人における「意志」というのがどれだけ大切で、どれだけ重要かを実感せずにいられません。
また、昨日の記事にも書いたように、こうした「意志」が「壮大な思念の海における一部分」であるならば、往々にして私達は周囲にある情報――いろいろな人の想い、概念に翻弄されてしまうこととなるでしょう。
だからこそ、私達は自己を確立し、自分の意志を自覚した中で生きていく必要があるのだと思います。

余談ですが。
登場人物の性格によっても、比較的「作家の思い通りに動いてくれる人物」と「そうでない人物」に分かれることがあります。
前者は、作品上も「素直な性格の持ち主」であることが多々あります。しかし、後者は明確な信念――或いは利己を持った人物、というケースが多いです。
後者の場合は、あまりに強い信念故に、作家が想定していなかった程「ドラマティック」に、かつ「慈愛」に満ちた成長を遂げる場合があります。また逆に、利己に満ちた人物の場合は、最初はヒロインだったはずが――気がついたら悲劇のヒロインぶりっこになっていて、どんどん落ちぶれていく、なんてケースもあります(苦笑)。
これもまた、私達人間に置き換えられる――そんな気がしませんか?
私達が「関与する人々」および「環境」にある程度の設定はあっても、そこで何を選ぶかは私達に委ねられています。要は、「作家の意図を超えた大いなる存在」になることも出来れば「期待を裏切って、落ちぶれた存在」となることも出来るのです。

スウェデンボルグは、「神も実は成長途中にあり、我々人間の成長が神の成長を決める」ということを書いていましたが――小説を書いていると、「実際にそうなんじゃないか」と思うことが多々あります。
私自身、小説を書いていて「登場人物から学ぶこと」も結構多いのです。
これは、わざわざ小説を書くまでもなく、子育てされている親御さんであれば実感して思うことでしょう。必ずしも親は教育者ではなく、子供から学ぶことも「多々あるのだ」――そんな体験した方は、少なからずいるのではないでしょうか。

私達がこの世に生きている以上、「より優れた人間像」を目指すというのは――究極な課題と言えるかもしれません。
それこそが、真なる我――真我に近づく第一歩であるのではないか、私にはそう思えるのです。
成功欲でもなく、名誉欲でもなく、他人からの評価でもない「どういう人間であることが、自分にとって理想的なのか」――その理想像の探究と、また、そこを目指そうとして努力することこそが、私達人間が生まれてきた「本当の意味」なのではないかなと、そんなふうに思う昨今です。
そして、そうやって私達が「より理想像に近づこうと努力する」ことこそが、全体であり――かつ「私達の世界」という小説を書いている神の成長に、貢献出来る道なのではないでしょうか?

みなさんは、「どんな理想像」を目指していますか?
どんなに小さな一歩のようでありながらも、ゆくゆくはそれが宇宙全体(神)への貢献へと――繋がるかもしれません(笑)。

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【参考文献】
新装版 不確定性原理―運命への挑戦 (ブルーバックス)新装版 不確定性原理―運命への挑戦 (ブルーバックス)
(2002/09)
都筑 卓司

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コメント
ちょっぴり質問(汗タラーッ)
情報量があまりに多すぎて処理に困ってます(笑)が、ちょっぴり質問があります(汗)初歩の初歩?

常々、現実問題に追い詰められると、自分でも予想だにしなかった自分の行動及びその結末を目撃している自分がいます。(自分が自分を冷静に観ている)
冷静に観ている自分って何でしょうか?

質問の意味が解らないかも知れませんが、深い意図はありません。自分でも解らないことが解りません?あれ?

神のなぞなぞに翻弄されてる自分です(ハハハ)


旅がらす(kai)

2009/09/03(木) 23:23 | URL | kai #-[ コメントの編集]
どうぞどうぞ☆
旅がらす(kai)さん、こんばんは。

> 情報量があまりに多すぎて処理に困ってます(笑)

ごめんなさい;; 私、ひとつの記事にいろいろ詰め込み過ぎですよね(^∇^;)ゞ
自覚はあるのですが――たぶん「癖」なのかもしれないです(笑)。←メールやコメントレスも、大抵長くなる傾向が……。(すでにお気づきとは思いますが;)

> 常々、現実問題に追い詰められると、自分でも予想だにしなかった自分の行動及びその結末を目撃している自分がいます。(自分が自分を冷静に観ている)
> 冷静に観ている自分って何でしょうか?

これがいわゆる「真我」とか「霊我」なのだと思いますよ(LIVE the REALさんのブログにもよくあるように)。
ちなみに、シュタイナーは「現実世界の超越をするには、まず『観察者たる自我』の育成こそが大切」と言っています。言葉の概念とは厄介なものなのですが、ここでシュタイナーが言っている自我は決してエゴのことではなく、もっと総体的な視点を持つ存在――真我や霊我のことなんだと実感しています。

予想だにしなかった展開を見て「おンや~;;」と思うのは「三次元における利己」であり、そこに翻弄されてしまうと、人は自ずと迷子になってしまいます。
でも、そういった展開を目の当たりにしても「冷静に見ている観察者」という存在そのものが、旅がらすさんの「本質」なんだと、そう思います。

それって、ある意味「不動」ですものね。

ちなみに――。
旅がらすさんは先日、「神は黙って見ている」ということを仰っていましたが――ある意味、作家も「黙って見ているだけです」(笑)。
勿論、主人公が脱線した場合、他の登場人物を動かしたり、状況を動かして「もとの設定に戻そう」と試みることはありますが――それ以上のことは、干渉しません。(どう転がしても、もとに戻らないことっていうのもあるので。)

旅がらすさんであれ誰であれ、真我に「神の一部」が内包されていることを思うと、そうした真我は「想定外の展開」になっても、黙って見つめ――観察しているものなんだと思います。勿論、よっぽど「こりゃやばい;」って思った時は、(作家がしているのと同じように)人を動かすなり状況を動かして、本人に気づきを与えようとすると思いますが、基本的には「その人への信頼」のもと、温かく見守り――気づきを待ってくれているのだろうと、そう思います。

こんな感じで、何となくでも伝わったでしょうか(笑)?←相変わらず蛇足が多くて、ごめんなさい;

> 神のなぞなぞに翻弄されてる自分です(ハハハ)

翻弄の中で何かを学びとる為に、きっと私達は霊性の記憶なくして誕生したンだと思いますよ。
「自分を冷静に観察している真我」を感じられている旅がらすさんでしたら、どんな想定外の展開になっても自ずと導きに気づけるかもしれません。たとえ、どんなに現在が辛かったとしても――。

苦労した体験こそ、あとで振り返ってみると「美しいストーリー」になっているものなのだと、私はそう思います(^^)。
度々 f^_^;
ご親切に返答してくださってとても感謝しています。随分とスッキリしました。

重ねて、ステインボルグのいう『成長段階にある神』とは、俗にいうどの神をさしてるのか教えていただけますか?


度々すみません。お時間があるときで構いません。無理されずお体お大事に。

2009/09/04(金) 07:50 | URL | kai #-[ コメントの編集]
いえいえ☆
kaiさん、こんばんは(^^)

> 重ねて、ステインボルグのいう『成長段階にある神』とは、俗にいうどの神をさしてるのか教えていただけますか?

スウェデンボルグですね(笑)。←ラテン語の絡みなのか、「スウェーデンボルイ」という表記もあります。

実は、スウェデンボルグ自身は1668~1772年の人で、もう200年以上前の人なんですよ。
物理学者であり発明家であり、類い希な才能を有した人ですが50代を超えたある日突然霊感に目覚め、その後は霊界探究に勤しんだ――という経緯の持ち主です。
ただ、この時代の人であるが故に――非常に「キリスト教思想」の影響を強く引きずっています。
ですので、kaiさんがご質問くださったみたいに「どの神か」と言えば、「当時のキリスト教時代において把握出来るレベルの神」と、言わざるを得ないでしょう――。
ただ、それが平たく「聖書のヤーウェか」と言えばそういうワケでもなさそうです。と言うのも、彼は霊界で「(イスラム教の教祖である)ムハンマド」や、仏教を信仰する禅僧達にも会っていたからです。もし、ここで言う神が「ヤーウェ」だけに限定されていたら、おそらく異教の信仰者達と会うことは、まずなかったでしょうから。
なので、少なくとも「スウェデンボルグの時代で認知されていた神」ということは言えると思います。
また、それが「宇宙全体のものかどうか」――というのは、スウェデンボルグの著書の中では言及されていません。

ただ、非常に面白かったのは――。
こんな時代に生きた人にも関わらず、「霊界には、時折地球外生命体の霊も遊びに来る」と言っている箇所がありました。
だって――スウェデンボルグが生きていたのって、「フランス革命よりも前」なんですよ(笑)。その時代の人が「宇宙人がいる」っていうことを指摘するって……その時点でスゴイことですよね。

って、また話が逸れてしまいましたが;

スウェデンボルグも、また、シュタイナーも言っていたのですが、「霊的真理(神秘学)というのは時代に応じて明かされていくものであり、今ここで説かれている真理も、後の時代においてはまた違うものとなるかもしれない」というのは――ある意味「神の成長の示唆」であるように思います。

すなわち――神は「不変」ではなく、「常に成長している」のだろう、と。

この辺りは、私も神様に直接お会いしたことがないので(笑)、わかりかねますが――ただ、「宇宙全体は、常に進化している」という浅川氏のコメントなども踏まえてみれば……どの時代においても「神は成長し続けている」ということなのでしょうね。
意思の力(石の力)
なるほどね~
外宇宙からの霊が何に乗ってくるか?というと「隕石」なんですよ。

私が見性(悟り)した後に解ったことで申します。

霊的アセンションとは何か?
(アセンション自体は神道、霊道、人道3種類あると観じています)

現在、インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレンの話が有ると思いますが、在るインディゴの話で、石と会話が出来る人が居るのです。
その人曰く、ある種石に記憶や情報を入れることが出来るそうです。(今のハードディスクのような感じですね)

で、霊的アセンションとは?
人類が滅亡し、地球も太陽も消滅するくらいの頃。
石に意思(魂の根源)を込められる人が現れていて、それを宇宙に放出するか、地球が吹き飛んで、散り散りにされ、いつの間にか到着した☆で、その石に込められた意思(波動)が伝わった有機物が意思を受け継ぎ生命として生まれ変わることこそが

「霊道的アセンション」

だと観じています。

ただし、これは人と言うものは一切存在しなくなっているかもしれない、悠久の時を超えた遥か未来の事である。ということは付け加えておきます。
2009/09/06(日) 06:33 | URL | Fam #-[ コメントの編集]
Re: 意思の力(石の力)
> 霊的アセンションとは何か?
> (アセンション自体は神道、霊道、人道3種類あると観じています)

これはそれぞれの、次元の境目にあたりますね。
それぞれの次元には、意識して行ける地点と、意識しても行けない地点(ある一定以上の条件が必要な地点)があるようです。
これがFamさんの言っているような、それぞれのアセンションではないかと考えられます。

> 現在、インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレンの話が有ると思いますが、在るインディゴの話で、石と会話が出来る人が居るのです。
> その人曰く、ある種石に記憶や情報を入れることが出来るそうです。(今のハードディスクのような感じですね)

クリスタルスカルと、同じ現象ですね。
クリスタルスカルが、そうしたソフトの役割をしていて、聖櫃がハードの役割をしている、と考えている人達もいるようです。
事実、鉱物の中にはそうした情報が詰まっていますし、また、シュタイナー自身も「鉱物には精霊がそのまま閉じこめられている」という、ちょっと抽象的ではありますがそんな表現をしていました(おそらくこの精霊というのは、絵的な妖精がそのまま閉じこめられているという意味ではなく、思念や何らかの意図が籠もっている、という意味でしょう)。

> で、霊的アセンションとは?
> 人類が滅亡し、地球も太陽も消滅するくらいの頃。
> 石に意思(魂の根源)を込められる人が現れていて、それを宇宙に放出するか、地球が吹き飛んで、散り散りにされ、いつの間にか到着した☆で、その石に込められた意思(波動)が伝わった有機物が意思を受け継ぎ生命として生まれ変わることこそが
>
> 「霊道的アセンション」
>
> だと観じています。

これは私自身の体脱、および文献的知識では紐解けないので、ちょっと断言し兼ねますが――
そういうこともあり得るかな、とは思います。

霊的世界は奥行きがあり、私達が想像を絶するようなことも多々あると思うので、どのようなことにおいても考察を深め、自身で紐解くことが大切なのかもしれませんね(^^)
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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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