2009年3月19日記 過去ブログ「ひとりの祈りから」より転載
*********************
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
宮沢賢治・春と修羅(序)より引用 「春と修羅」の冒頭は、端的に「私(個)」という存在を語っています。
一見難解な詩ではありますが、確かになる程「私(個)」という存在を「ひとくちに言い表せない」のは事実です。「私」を表現する為の切り口は無数にあり、どこから切り込むかでその印象も変わってきます。
「我思う、故に我あり」という有名なデカルトの言葉は「内面からの模索」であり、反してこの「春と修羅」は、「客観的に見た『私(個)』を模索しようとした、ひとつの試み」だからです。内面から外を見上げる行為は「主観」で出来ても、個を「客観的」に説明することは非常に難儀です。
「私」という存在について思案するからこそ、人間には「動物達にない知恵が生まれた」とも言えるでしょう。外的環境の中で生きていき、そこに取捨選択も何もなければ、思考する必要性がないからです。
そうである以上、私達人間にとって「私」という存在は「神に至る切り札」とも言うべきものなのです。
歴史的にも、この「私」という個を廻る様々な試行錯誤がありました。
「私」という存在は「ひとつの種から派生した」という考え方と、「環境や周囲にあるものごとを取捨選択し、その中から『揺るぎがたい自分』」とした考え方と大きく二つの視点に分かれたのです。
しかし一見真逆に見えるこの意見には、決して矛盾はありません。もしも前者だけで「私」を探索するのであれば、私達は「自我」を育てる為に社会や環境を必要としなくなるでしょうし、後者だけであったとしたら、同じ社会や環境に生きている者は「まったく同じ個性」を持たなければおかしくなってしまいます。
私達は「自我」を育てるにおいて、内包する「自我の種」に応じた「環境」、或いは「経験に基づく感情」を取捨選択していき、それを繰り返すことによって「自我」を育てていくのです。その方向性はおおむね「理想とする自我」であり、一段階上に立つ「自分自身」といえるかもしれません。
このことを忘れてしまうと、人は必要以上に「環境」或いは「対人関係」など、外面的影響に翻弄され、自我の本質を見失ってしまいます。本来、環境と関係性はあくまで「自分を育てる為の要素」に過ぎないところを、外面ばかりを尊重してしまい、内面から抱えてきた「自分の本質」を蔑ろにしてしまいます。結果、自分の中にある種は栄養失調のまま芽吹くことはなく、どこか枯渇感を抱きつつも何が原因なのかわからないまま、ただ周囲に翻弄され続けてしまいます。
「私(個)という本質」──自我を知ることは、この世を生きる上で大切な指針となります。
宗教によっては「自我を否定」することも多いですが、「自我を知らないまま、否定する」ことはとても危険なことです。
私達は生活する上で「ものには名前がある」ことを知っています。
自分の名前はもちろんですが、母親の名前、友達の名前──しかし、実際は「名前がその人をあらわしている」のではなく、その人の本質があるに過ぎないことを、私達は体験から知っていきます。にも関わらず、それらの体験すべてをすっ飛ばして「自我を否定」するのは、「この世の存在そのもの」を否定することに代わらないのです。
確かにこの世は虚ろでしょうが、意味がなければ存在しません。どんなに虚ろに見えても、世の中には「意味」があるのです。その中で私達が「如何に理想的自我に近づけるか」という目標がなければ、私達はこの世に生まれてくる意味もないでしょう。
エゴから自我への飛躍こそが、私達人類における「共通した目標」といえるかもしれません。
それはウパニシャッド哲学で言えば「梵我一如」と言えるでしょうし、ユニバースと呼ぶことも出来るかもしれません。
それは必ずしも修行で得る必要はなく、必ずしも技術を必要とはしません。自分を見つめ、自分の痛みや喜びに正直になり、それを認めることだけで、大きな前進となるはずです。
私達は「私」という個を「仮定」し、そこに交流の源泉をたどっているに過ぎないのです。
絶対的な個という枠組みはエゴを生じ、この枠組みを解放した時から「高次な世界への扉は開かれている」のです。
せわしない現代の時の中で、ひととき自分を見つめ、大いなる生命の息吹を感じる。
それこそが、ぎりぎりに追い詰められた地球という惑星の中で、私達ひとりひとりが出来る小さな努力なのかもしれません。
【関連記事】
個は全体の成長要素 現実問題、生きてみろ※「LIVE the REAL」のユエさんと、偶然記事が一致しました。(過去記事引っ張り出して来たにも関わらず(^^;)。←って、手抜きでごめんなさい;;)
ユエさんの視点からも是非、考察なさってみてください(^^)
自我の表現、霊我(真我)の表現◆お知らせ◆
明日は「2012年アセンション 最後の真実」著者である浅川嘉富氏講演会参加の為、ブログをお休みさせて頂きます。浅川氏の許諾が得られましたら、講演会内容のレポートをブログでUPしますので、楽しみにお待ち下さい。(「駄目!」って言われちゃったら、ゴメンナサイ;)※ひとりでも多くの方に、「スピリチュアルの本質」に目を向け、意識改革を進めて頂きたいと強く願っています。皆さんの意識改革を広める為に、ランキング・クリックのご協力をお願いいたします。

********************************************
「mixi」にて「地球未来創造部【アセンション】」コミュニティを運営しています。
地球の未来についてご提案、ご意見などがありましたら、是非コミュニティに参加して頂ければと存じます。(分野は問いません。医療分野、社会分野、教育分野など、様々な視点で「地球の未来」および「理想的な社会・国家」を探求したいと思っています。お気軽にご参加ください。)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4172264 ※mixiの会員外の方でコミュに参加されたい方は、左フレームのメールフォームからご相談ください。
********************************************