時間の流れというものについて、スピリチュアルにおいては「流線的な流れではない」ということが言われています。
例えば「前世」というものを考えた場合、必ずしも時代順を追って転生するのではなく、自分(霊)が望む時代を選ぶとされています。ですので、現代に転生した人が必ずしも今から先の未来に転生するとは限らず、場合によっては過去に転生するかもしれないわけです。
そう考えると時間というものは「流動的であり、固定的である」ということになります。いわば壮大な物語を幾重にも含んだDVDの中で、「どの話のどのエピソードがいいか」を選んでいるようなものです。
例えば──こんな仮説は、どうでしょうか。
ある一枚のDVD──それは
「地球物語」というタイトルで、膨大な数のデータが含まれているとします。数え切れない人々の暮らしやドラマ、それらが進化過程を経ていく場面が収録されているとしましょう。
地球を取り巻く霊達(意識体)は、そのDVDでそれぞれの役を選ぶ立場にいます。そうした場合、「今、自分が欠損していると思われる部分の修正」をするべくして見合った時代を、霊達は選ぶことになります。
そして、その一生が終わった後、再び肉体のない故郷へ戻ったとします。自分が目指した欠損部分は補えたものの、今度は新たに違う欠損部分を補いたい──そう気付いたとしましょう。しかし、その為には直前の人生で生きた時代より未来に行くよりも、過去に行った方がいい場合があったとします。そうしたら自ずと、霊は「過去への転生」を試みるのかもしれません。
ここで皆さんは、疑問に思うことでしょう。
「仮にそうだとしたら、過去に転生することで未来が変わってしまうのではないか? 歴史が塗り替えられてしまうことに、なりはしないか?」と。
私は、世界は決して今ある──今、私たちが自覚出来ている世界だけではないと、そう思っています。すべてはパラレルワールドのように並行して存在し、枝分かれをして広がっているのではないだろうかと、そう感じているのです。
過去に転生し、何らかの時間軸における変動が起きたとすれば、それはもう
パラレルワールドの分岐点を経たことになるのでしょう。そうすることで新たな世界が潜在的に誕生し、それがゆくゆくは無数に広がっていくパラレルワールドへとなっていくのかもしれません。
科学的にも、宇宙というのは水泡のように次から次へと生まれてくると言われています。そしてその宇宙はやがて果てしなく広がっていくと、そのままフリーズしてしまうとも言われています。まさしく、水泡が果てしなく広がって、その波が消えていくかのように──。
それと同じように、私たちのような人間が意識し、生きる世界も同様に無数の水泡の如く存在して、それらは枝分かれしながら新たな世界の卵を生み出しているのかもしれません。
私は、こういうことを考えているのがとても好きです。
「私」という小さな存在が、無限の広がりを持った宇宙の一員であることを実感出来るからです。
今、世界や社会にはあらゆることが起こりすぎているせいか、幾分視野が狭くなりつつある人達も散見されます。口を開けば同僚の愚痴、旦那や奥さんの悪口、不平不満、あらゆる負の感情をまき散らしているような人も存在します。
しかし、本来私たちはこのような小さな肉体と、狭い世界だけに押し込められている存在ではなくて、
あえて今の環境を選び、そこで生きることを選択して「ここへ来た」のだということを思えば、何の不満もなくなるはずです。 せっかく選んだこの時代、この人生であるならば、視点を変えて積極的に生きていきたい──私は常に、そう思っています。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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