1994年に起きた「ルワンダ紛争」──皆さんは、ご存知でしょうか?
私が知ったのは1994年の5月以降。ちょうど4月にフツ族による「ツチ族の虐殺」が起きた後のことでした。中東紛争のように大きく取り上げられてはいませんでしたが、当時毎週読んでいた「Newsweek」に特集が組まれていたのをきっかけに、調べるようになりました。
しかし、ツチ族とフツ族が
「何故、そのように長い間、戦い続けているのか」その明確な理由までを、知ることは出来ませんでした。後になってから、そのきっかけは「ベルギーにおける植民地時代に端を発している」ことを知ったのです。
ですが、いざ戦争・紛争になった場合、もう
最初のきっかけなど、関係なくなってしまうものです。
最初のきっかけが改善されたから、じゃぁ「過去はすっきり水に流して、みんなで仲良くやれますか──?」と言えば、そうとは限らないことぐらい、もう誰もが周知のことでしょう。戦争や紛争が残すのは
傷跡だけ、或いは
昔の古傷に、塩を塗り込んで悪化させることだけなのです。
捕虜が自ら穴を掘り、その中に入って上から土をいれられ「生き埋め」にされる──ということは、戦時中はもとより、紛争の続く国々では未だに続いていることです。
当時私が読んだ記事のインタビューに答えていたツチ族のひとりは、親、兄弟を殺され、「フツ族全体が仇」と言っていました。先程述べたように、いざ一度戦いが起きたなら
「きっかけは、関係なくなってしまう」のです。
残るのは、
憎悪。ただそれだけです……。
そうした場面を、少し想像してみましょう。
(※注意※ 残酷な場面が苦手な方は、以下の青字部分を飛ばしてお読み下さい。) ある日突然、あなたの隣に住む人が、敵となりました。 隣人が、いきなり敵となる──そういう設定は、オカルト映画などでもありがちですが、実際のところアイルランドなどでは「それが架空話ではなく、真実」だったりするのです。未だに紛争の続く地域で「隣人がいきなり敵となる」ということは、決して非常識な話ではないでしょう。
また、地方では隣人と言えば身内同様の関係だったりしますが、都会では「隣に誰が住んでいるのかも知らない」なんて状況はごまんとあります。なので、私がこういう話を振っても中には「いや、隣人には何の感慨も湧かないから」と思われる方がいるかもしれませんね。
では、その人と会って「戦うことになった」としましょう。(自分の心情と向き合う為に、出来るだけリアルに想像してみてください。)
その時浮かぶのは、「こいつと戦うことになったのは、かくかくしかじか、政治の絡みが云々かんぬんで、こんな展開になったからそもそも──」など、まわりくどいこと考えますか?
……考えませんよね。
あるのは生きるか、死ぬか──それだけです。
「生存したいという本能」に基づいて、あなたはがむしゃらに抵抗します。しかし、相手はあなたよりも体格の大きい男性です。
──負けるかもしれない。
そう思ったあなたは必死に抗い、鈍器で相手の頭部を殴りました。
「ぐちゃっ」という鈍い破裂音と共に、生温かい液体があなたの顔に飛び散りました。
鉄を思わせるような生臭い匂いが、一瞬にして鼻腔をつきます。しかし、まだ自分の生命が守れるかどうかを確信持てないあなたは、何度も鈍器を振りかざしました。やがて目の前の男性は白目を剥き、口から泡を吹いてそのまま倒れました。飛び散った脳髄は、まるで潰れた豆腐のように、血の海の上で浮かんでいます。
──終わった?
いいえ。終わりじゃありません。
これは「戦争」です。ひとり殺したぐらいで、解放はされません。
冷静になる間もなく、戦いは続きます。途中で正気を、失うかもしれません。
──いえ、失った方が楽かもしれませんね。命ある限り、「誰かの命を奪わなければならない」のですから。だったら、正気を失って「機械」のように、人が殺せる方が楽なのかもしれません。
しばらく道を行くと、あなたは人だかりを見つけました。その中央には、顔をくしゃくしゃにして号泣する男性の姿があります。彼は必死に叫んでいますが、何を叫んでいるのかわかりません。でも、状況からするに命乞いであることが分かりました。
突然始まった、隣人同士の争い。
あろうことか、人だかりの中央にいる男性は「あなたの顔見知り」でした。しかも、小・中学校に渡って「いじめっ子」としてのさばっていた存在です。あなたも、何度も彼に虐められたことがありました。
まさに、形勢逆転です。
どういう分配かは分かりませんが、あなたの「敵」に廻っていた彼は、あなたの味方チームに捕虜とされ、今、この場で命を奪われようとしているのです。
周囲の殺気を前にして、彼は必死に泣き叫んでいました。
「俺には、女房も子供もいるんだ! 子供はまだ二歳で、女房は今も妊娠している! お願いだ、助けてくれ! 絶対に、君たちに銃を向けたりしないから──」
大の男がみせられる最大の醜態をさらしながら、彼は必死に命乞いをしています。
周囲を取り囲んでいるあなたの仲間の一部は、あなたと同じように彼にいじめられた体験のある人で、この状況を明らかに楽しんでいました。その人があなたに気づき、手招きをしてこう言いました。
「よぉ! お前もこいつにさんざんいじめられただろ。一緒になぶり殺してやろうぜ!」
──さて。
あなたは、命乞いする彼を「殺せますか?」 こういう書き方をすると、多くの方が「隣人が突然敵になる設定なんて、あり得ないし──。ただの架空話だよ」と、そう思うでしょう。
しかし、そうではありません。
現に今、起ころうとしつつあるのです。 地球を「ひとつの家」と見れば、中国は「隣人」です。こういうシチュエーションは、身近にしようと枠を大きくしようと、
何も変わらないのです。
逆に言えば、
「あなたは、いつも隣人と何かしら言い争いをしていた」という前提を置くことも出来ます。「枝が壁から出ていた」「このドブはこっちからこっちが俺ん家だが、そっちはお前ん家だからそのゴミもお前ん家のだ! 片付けろ」などなど。いくらでも、もめ事は想定出来ます。
その時あなたは、事を荒立てて全面対決に向かいますか? それとも、調停人をたてて、互いの話し合いを調和的に解決しますか?
少なくとも、このシミュレーションでしたように「隣人で殺し合う」ようなことには、絶対になってもらいたくないものです。
「戦争は国家のもめ事だから、民間人には影響ない」
そう思いますか?
──いいえ。歴史をみれば、「戦争でもっとも犠牲にあったのは
民間人だ」ということが如実に描かれています。国が経済復興を願って戦争を仕掛けたとしても、犠牲にあうのは「民間人」なのです。
それは、「スイッチひとつ」で片付く時代となっても同じことでしょう。何故なら、
民間人こそが、その国を形成する基盤だからです。
冒頭で書いたように、戦いが生むのは「憎悪」だけです。確かにこれも、二元的な次元の原理で考えれば「一種のエネルギー」であることに間違いはありません。
しかし、
憎悪が生じるのは「分離の促進」であって、次なる時代が求める「統合の促進」には至らないのです。
今、この時代に起きているのは「分離から統合への転換」です。諍いは、旧世代の解決法でしかありません。
今日、太陽ではまたもや「Mクラス」「Cクラス」のフレア爆発が多発していました。ここのところ、Cクラス以上のフレア爆発が続いています。ジャワ島の火山噴火なども、そうした影響があるかもしれません。
フレア爆発は、「人の感情にも影響する」と言われています。
願わくば、これ以上人類の未来が、混沌に至りませんように──。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
また、毎日の記事を書く為の「大きな励み」になっていますので、クリックのご協力をお願い致します。(いつも押して下さっている皆様、本当にありがとうございます。)


◇メインサイト◇