最近多忙な日々を送っている関係で、なかなか更新が出来ず申し訳ございません──;
11月に入ってからというもの、またもや時間の流れが一段と速くなっているような感がありますね。
その関係で焦りを感じられる方もいるかもしれませんが、私的には「何も焦る必要はない」──そう思います。中には「早急な目覚め」を叫ぶブロガーさんもいらっしゃるようですが、私の立場として明確に言えることは、
このブログでは読者の方を煽るようなことや、「目覚めなければならない」的な言葉を「使いたくない」ということだけです。
そもそも目覚めというのは、もっと「静か」に訪れるものだと、私は思います。
ふとした
「気づき」──。それこそが、目覚めだと思うのです。
かつての僧侶達が至った「覚りの瞬間」は、決して「劇的!」ではなかったと思います。仏陀にしたって、苦行の最中に「ふとした日常のひとこま」の中で、覚りに至ったのですから。
目覚めというのは、そうした当たり前の日常にこそ、あるものなのかもしれません。
それは、木の葉が風にそよがれる中で起こるかもしれないし、青い空を横切るように飛行機雲がまっすぐ伸びていくその瞬間に、起こるかもしれない。
私たちが普通に起きる時だって、けたたましい目覚まし時計によって起こされるよりも、小鳥たちの小さな囀りで目覚めた方が遙かに気分がいいのと同じように、精神の目覚めだって他者から言われるよりも、自らの「気づき」で至る方が遙かにいいだろう──私は、そう思っています。
そして、これからの時代はそうした「自発的な気づき」こそが大切になってくる──そう思えるのです。
自発的な気づきに必要なことは、多くの情報や知識を拾い集めることではなく、
ほんの些細な現象に対して、如何に感受性豊かに受け取れるかということなのかもしれません。
何度もここで書いた例ではありますが、かつての日本の歌人達はそうした意味で「とても優れた感受性を持っていた」と思います。
時間の流れが速くなっているからこそ、遠くまで澄んだ青空を仰ぎ、太陽の光を受け、木々の小枝のささやく音や小鳥のさえずりに耳を澄ます──そんな心の余裕が必要なのだと思う、今日この頃です。
【お詫び】
なかなか「地球の未来」の連載が再開出来ず、申し訳ございません; 今しばらく、お待ちくださいませ。【お知らせ】
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