目に見えない傷 ─自殺の背景にある孤独─

 今日、ネットをしている最中、「自殺者数、13年連続で3万人超」という記事を見かけました。
 細かい人数としては「10年は、02年以降もっとも自殺者数が少なかった」とはされていますが──何だか虚しさを感じてしまいました……。
 勿論、自殺防止ボランティアの方や様々な方の努力があったからこそのことだというのは重々承知しています。しかし、まだどうも「根源的な問題に、触れられていないのではないか」という思いが拭えないのです。
 死と生の倫理に纏わること、そのものが。
 そして、「生きる価値観は人それぞれで、個々人の努力なくして自殺の抑制は不可能だ」ということなども──。
 12月6日にも「自殺」に関わる記事を書き、その中では日本の時代史に触れながら、大局的に「何故、自殺者数が減らないのか」を推察しました。「こころの空洞化」が自殺者数増加の一因ではあったとしても、「じゃぁ、具体的に何をすることが、そうした対策に繋がるのだろう」ということを考えずにいられなかったのです。

 何故、そのようなことを言うのかと言えば……
 実は先日、私の知人が自殺しました。
 30代になったばかりの、まだまだ若い命でした。
 彼女の感受性の鋭さや「抑えつけられた自己」に対して、私は深い共感を抱いていたからこそ、知らされた時はとてもショックでした。
 言ってしまえば、「かつての自分」が自殺してしまった──そんな感覚を受けたのです。

 私と彼女は10歳近く離れていたので、おそらく周囲の環境や世代から受けた影響は異なっていたでしょう。
 しかし、彼女自身が長年抱えてきた葛藤、苦悩は、私が抱えてきたそれにとても似ていました。
 でも、そうであったからこそ、私は彼女に「その壁を、乗り越えて欲しい」と願っていました。鬱病にかかったという話を聞いた時は、酷く憤慨したものです。「彼女は鬱病なのではなく、感受性が鋭すぎるが故に社会と迎合出来ないだけなんだ! 病気なんかではない!」と。
 今となっては、彼女の死因が鬱病故のそれなのか──それとも、社会における軋轢に負けてしまったのかはわかりません。
 ただ、いずれにせよ彼女にとっては、死を選ぶしかない程にまで「生きる世界に絶望していた」ということなのかもしれない──そう思うと、やりきれない思いでいっぱいです。

 自殺対策とは、一体どのぐらい有効なのだろう──そんなことを、ふと考えることがあります。
 例えば、亡くなったその女性は、おそらく周囲からみたら羨む程の環境だと思います。昨今の社会事情でよく見られる失業や金銭問題、そういった物質的な問題は何ひとつない、むしろ「物質的な意味では、とても恵まれている人」でした。
 でも、だからこそ彼女の傷は目に見えない、潜在的な傷となって、いつまでも自分を苛んだのかもしれません。
 これもまた、一種の「物質崇拝主義の弊害」なのでしょう。こころの空洞化が、彼女の抱えていた「見えない傷」を、ことさら気づけないものに──もしかしたら、彼女自身も自覚出来ないものに──してしまっていたのかもしれません。

 人は一時的に、何もかもに見放されたかのような絶望を味わう時があるものです。
 前回の記事にも書いたように、苦悩は絶対的ではなく相対的なので、内的な苦悩を誰かに打ち明けたところで、本当にその傷みを理解してくれる人と出会うのは……なかなか難しいことです。
 
 苦悩は「相対的」。
 だから他者との比較も出来なければ、時系列の比較も不可能。
 「今、ここで、この瞬間に感じた苦悩」こそが、「その人にとって」は、絶対的なのだから。
 そのことに気付かなければ、人はいつまで経っても「苦悩を抱えた自分の孤独」と立ち向かって行かなければならないのかもしれません。

 私と自殺してしまった彼女との差は、「紙一重」だったと思います。
 私たちが10~20代だった頃というのは、まだ鬱病がここまで公然の病気とされていませんでした。その為、病院にかかろうという気もなかったのですが、もしも私が10年遅れて生まれていたとしたら、おそらく私も病院にかかり「鬱病」と診断されていたことでしょう。
 私は、自分を「強い人間」だとは欠片も思っておらず、むしろ「すごく弱い人間」だと思っています。
 だからこそ、私は彼女のような社会との軋轢に苦悩する人や、自殺を脳裏にかすめてしまう人達に「もっと頑張れ」なんて無責任な言葉が言えないし、それと同時に、「こんなに弱い私でも何とか強くなろうと努力しているのだから、共に歩いていこう」と伝えたい──そう思います。

 少なくとも……心根を迷わせることさえなければ、死後の方が身軽になれる可能性を秘めていることを、私は実体験をもって知っています。
 だからこそ、自らその「身軽になれるチャンス」を放棄してしまうのは勿体ない──そう思うのです。
 生の執着を解き放してしまえば、生きる世界に摩擦は起きなくなる。水の中でやにむに力を入れて泳ごうとすれば沈んでしまいますが、力を抜けば浮かぶことが出来る──その感覚に近いのかもしれません。
 簡単に割り切れるほど、世の事象は単純ではありません。何かをひとつ決意しても、人というのは迷い悩む存在です。
 迷い悩んだとしても、その「迷い悩んでいる時」を受け入れるがままにしていれば、生きる上での摩擦は生じないものかもしれません。

 ただ、そう達観するにも、ある程度の年齢や経験が必要なのかもしれませんが──。
 そこまでの年齢に彼女が到達出来なかったことが、私はとても口惜しいです。
 心から、彼女の冥福を祈る次第です……。


(まだ立ち直りきれていないので、少々感情的な内容になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。)

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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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