あえて、「共に傷つく」

 以前、知人からこんな話を聞きました。
 その人は「人を癒す」部類の仕事をしている人でした。セラピストやカウンセラーではないですが、それでも「人と直接相対して、相手の痛みを和らげること」を生業にしている人です。
 彼女はよく、私にこんなふうに言っていたのを思い出します。

「よく『他人を癒す仕事の人って、<(クライアントから出た負のエネルギーを)受けやすい>』って言うじゃない? 
 でも、私はそういうことがいっさいないの。
 全部、その場で<流しちゃう>から、残らないんだよね!」


 私はただ笑って、その話を聞いていましたが──どこかに違和感を感じていました。
 彼女にしてみれば、全部流して「受けない」というのは「誉れ高いこと」なのでしょう。
 でも、私は「必ずしも、そうなのだろうか」と疑問だったのです。
 私自身も、スピリチュアルとは必ずしも関係なくても「人と相対して、人の相談にのる仕事」というのを多々こなしてきました。
 だからこそ感じたのですが──

 「『全部受け流す』ということは、相手を真に癒していることとなるのだろうか──?」と。

 人は誰でも、自分と異なる人達を相手にコミュニケーションを交わして生きています。そうした人達の中には、自分の価値観や今まで生きてきた道程からは「到底、想像のつかない人」というのもいることでしょう。
 私自身この不惑の四十と言われる年齢を向かえるまで人生歩いてきても、驚くような価値観の人と出逢うことが未だに数多くあります。おそらくそれは、「人と相対する」ということを続けていく以上、寿命尽きるまで永遠に続く驚きなのかもしれません。
 逆に言えば、「自分とは異なる人達と出会うことこそが、玉石混淆のこの世の学び」とも言えるからです。

 そうした出逢いの中には、思いがけず傷つくようなこともあるでしょう。
 また逆に、自分に悪気がなかったことでも、相手を傷つけてしまう場合もあるかもしれません。
 人のこころの中には、いつどこに「触れられたくない傷」が隠されているか、わかりません。第一印象からなどで汲み取ることも出来なければ、「話し合えば理解出来る」といった簡単なものでもないからです。
 人のこころというのはそれほど繊細なもので、どんなに「強い」とされる人であったとしても、まったく傷つかずに生きられる人などそうそういはしないでしょう。

 そうした「相手の傷」──相手の痛みを知る方法が、もしもあるとしたら……
 それは、相手と同じ傷を、自分も受けることなのではないか──そんなふうに思うことがあるのです。 

 勿論、「まったく同じ視点に立った傷」というのは、受けようがありません。相手も自分も「異なる人間」である以上、見方は必ず違うからです。
 でも、どんなに角度が違う傷でも、「痛み」は受けることが出来ます。

 例えば、誰かと言い争いをした時。
 誰だって、言い争いなどしたくない──にも関わらずそうなってしまった時、自分も「嫌な気持ち」がするでしょうが、相手だって「同じように、嫌な気持ち」がしているはずです。
 これぞ「痛み分け」であって、相手が大切な存在であればある程、そうした「痛み」は深く残り、こころを支配するでしょう。

 でも、もしも仮に──。
 仮に、冒頭で書いた人のように「すべてを受け流す」としたら、どうでしょうか。
 「言い争った」という事実だけが残り、相手を傷つけ、相手を傷つけたことによる痛みさえも残らなかったら。
 
 それはあたかも、「相手の存在を、無視しているのに等しい状態」のように、私には思えたのです。

 相談される側の人間も、同じことです。
 依頼者の方は、「苦しくて」相談に来るのです。勿論、数多くの相談をこなす中で、いつまでも前回対応した人の痛みを引きずるわけにはいきません。それでは業務の量と比例して、押し潰されてしまうのも時間の問題です。 

 でも──それを「受け流す」と言い切ってしまって、果たしていいのでしょうか?

 確かに、多くの相談、多くの依頼をこなしていく中で、自分のこころに「重くのしかかる影」のようなものを感じることもあります。
 でも、もしもその「影」を自分が引き受けることで、相手が少しでも軽くなるなら──私は「あえて、共に傷つく道」を選びたい、そう思うのです。
 人を癒すことを仕事にしていると口では言いながら、「私はそういう負のエネルギーを、受けないから」と言い切ってしまうことに、どことなく「事務的な姿勢」が窺えてしまうのは、私だけでしょうか……?

 人を癒すという以上、相手は「人」なのです。
 人である以上、「こころ」もあります。
 その「こころ」が傷ついている時に、機械的に相談だけのって(或いは施術だけして)、あとは「はい、さよなら」というのは、何だか今時のコンビニエンス社会を反映しているようで、「一体、何がスピリチュアルなのだろう」と思えてしまいます。
 また、中には「私は負の想念に負けないぐらいの、素晴らしいポジティブパワーがあるから関係ないの!」という方も、いるかもしれませんね(笑)。
 それはそれで素晴らしいことですが、今でも世界には「完全なポジティブパワー」が満ちていないからこそ、社会で問題があり、世界では紛争があるのです。そうした背景がある以上は、完全に負のエネルギーを否定することなく、受け入れることも必要なのではないか……そう思えるのです。

 世の中の哀しい事実の背景には、哀しい「こころ」と哀しい「理由」があるはずだと、私は思っています。
 そうした背景を否定して、多くの哀しみを「癒すことは出来ない」──そう思えるのです。
 負を「はじく」ことばかりを考えるのではなく、それを受け入れても尚あまりあるぐらいの慈しみを持つことが出来るようになるのが、本来の筋道なのではないか──私はそう思っています。

 「共に傷つく」という道は、とても辛い道のりかもしれません。
 でも、哀しみの中に沈んだ人達が求めるのは、うわべの慰めや励ましなどよりも、「自分の痛みを分かって欲しい」ということなのではないかと、そう思えるのです。

 「人を癒す仕事」に携わっている人にとって、今いちど、そのことを思い返していただくきっかけとなれれば幸いです──。 



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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

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