ここ最近、時代の徴候を見るに
二極化の傾向があるように感じられます。
それらの現象は、まるでこの
電気的次元を象徴するかのような事象のようにも思える程です。
拙著にも書きましたが、この次元は「対極する二つの事象」で出来ている──私はそう考えています。すべての物事がプラスとマイナスという二つの側面から生じ、背反するか──或いは「融合」するか。さらなる分離(二極化)をしていくのか、或いは背反する側面を乗り越えて融合するのか。ヘーゲルの言う止揚(アウフヘーベン)とは、こうした私たちの思考作業における側面を言い当てているようにも感じる程です。
しかし、最近のスピリチュアルの傾向は何事においても「一側面」で捉えようとしがちです。
言ってしまえば、すべては「善」だと考えようとする傾向にあります。
しかし、そうした姿勢は危険だと──私には思えるのです。
私たち人間は、今こうして生きているだけでも多元的な存在です。この次元における自分にターゲットを絞ってみても、それだけで「実に複雑な性質が入り混じっている」ことを実感出来るはずです。そうした中には、必ず「正反対な要素」というのもあるはずです。
言うなれば──「光と闇」。
人間としての肉体を持つ以上、どんな人の心の中にもこの「対極する二つの側面」が心の中に宿っている──そう感じる必要性があるように思えるのです。
対局する二つの側面を自身の中に見つけるのは、そう容易なことではないかもしれません。しかし、自分が普段「どのような考え方で生きているのか」を振り返れば、自ずとそれに気づけるかもしれません。
例えば──ある「コンプレックスの強い人」がいたとしましょう。その人は一見「謙虚」なように見えますし、口にする言葉もすべて「私には無理だから」「私は自信がない」という言葉が多かったとします。こうした人は日本人に多い傾向がありますし、攻撃的な人に比べたら「まったく問題がない」──そう思う人も多いでしょう。
しかし、実際にはこうした「自信の無さ」の裏返しには、「自分はすべてにおいて完全に出来るはず」という多大な自負とプライドが隠されている可能性があるのです。
これは「力のバランス」として考えると、ごく当然の帰結であるように思えます。
要するに「自信がない」の対極にある言葉は「自信がある」に行き着くのです。
「自信がない自分」を認め、口にするということは、その裏返しである「自信がある自分」の存在にも気づかなければ、本当の意味での「自信を持てない理由」に気づけなくなってしまいます。何故なら、「自信がある自分」があまりに過剰すぎるが故に、等身大である自分に自信を失ってしまう──そうしたパワーバランスが心の背景に存在しているからです。
すべては「一方向だけでは
ない」のです。必ずや、「対極の側面」があるはずなのです。
そして、そうした「二つの側面」に気付かないと、心がバランスを欠いたまま暴走をする危険があります。何らかの主張、何らかの訴えがある場合(例えば「人の役に立ちたい」とか、「人に喜んでもらいたい」など)、それらの訴えの裏に潜む「対極の側面」に気付かなければ、まったく見当違いの望みを果てしなく追い続けたまま枯渇していくという矛盾を生じます。
私は昨今、そうした人々が増えているような感を覚えているのです。
人間は、必ずしもすべてが「善」のものではありません。綺麗ごとばかりを掲げられる潔癖な生き物でもありません。
そうした愚かな部分を受け入れてこそ、初めて先に進めるのではないか──私はそう思います。
こうありたいと願う理想の自分とは真逆の、対極する自分を想像するのは、とても恐ろしいことかもしれません。それに、そうしたことをヨシとしないスピリチュアリストも大勢います。
しかし、等身大の自分を維持するということは、「理想と対極の位置」を把握しておく必要があるのです。
例えばヤジロベエみたいなものを想像した時、片側に「理想の自分」をおき、その中央のバランスをとるのが「等身大の自分」だったとしましょう。
理想の自分の片側にある「対極の自分」を意識出来なかった場合、理想の自分ばかりが星を目指すかのごとく上がっていってしまったら──中央のバランスは保てません。やがてはバランスを崩し、真っ暗な闇に墜ちてしまう危険だってあります。
私が言っているのは、「人間は汚いところばかりだ」ということではありません。
そうではなく、そうした
闇の部分をただ排斥するのではなく、「それもまた必要なことだった」と受け入れる必要があるのではないか──ということなのです。
すべてに無駄がないのであれば、過ちもまた「意味のあることだった」ととることが出来るでしょう。
大いなる哀しみや絶望に瀕した人からすれば、それほど残酷な言葉はないかもしれません。
ですが、またいずれそれにも納得出来る日が来ることを思えば──哀しみから一歩立ち上がって「受け入れよう」としてみることも悪くない、そんなふうに思う昨今です。
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