最近「脱線ばかり」でしたが(汗)――今日はブログ本題である「アセンション後の世界」について記事にします。
複数回体外離脱した際訪れた高次の街並みにおいて、「コミュニティのあり方」を説明してもらったことがありました。
まず、「共同体の概念」なのですが――これ自体が、三次元とは「大きく異なっている印象」を受けました。
三次元における共同体――社会にしろ、国にしろ、こうした「集団」は何故かとかく「暴走しがち」です。例えば「○○国の人は、個人的にはいい人達なのだが、集団になると怖い」なんて話を耳にしたこともありますよね。
集団となることで、独特のエネルギーを発し、そこに「秩序を外してしまう」というのが三次元における「集団の原理」です。日本でもよく「赤信号、みんなで渡れば怖くない」なんていう言葉を耳にしますが、この言葉なんかまさしく「集団が秩序を外す背景」をうまく表現している――そう感じます。
しかし、高次における「集団」は――まったく意味が異なります。
むしろ三次元におけるのと「逆」で、
個々人における秩序を、さらに強める作用があるようです。ですので、集団が暴走をすることもなければ暴徒と化すこともなく、さらに言えば「赤信号、みんなで渡れば」的発想もなくなるわけです(笑)。
私が見た街並みは非常に整然とされていて、「最初から秩序だって造られている」としか言いようのないものでした。(それと反対に、日本の街並みのバランスが崩れている旨は先述した通りです。)しかも、そこには合理性もあって(私が見たのは海産物を引き上げる港町周辺だったのですが)、人々の仕事がしやすいよう、最も配慮されているような印象を受けました。
こうした「ひとつの目的意識」で生じたコミュニティがそれぞれ「幾何学模様」を描くかのように交差しあい、連繋しあっているというのが「高次のコミュニティ」を見た印象でした。どの街も決して「村八分」にされず、すべてにおいて均等で、それぞれの街が自分たちの役割を認識しつつも、互いに協力し合っている――そんな光景です。
そして、こうした街々の人々を統括する組織(日本で例えれば、お役所でしょうか)が必ず中央に位置しており、どの共同体も例外なくそことの接触が可能でした。統括する組織は「もっとも忙しい部署」であり、常に全体を細部落とすことなく「見ている」という印象もあります(俗に言う「お役所仕事」という感じではありません((苦笑)))。
また、それぞれの共同体の代表者は、さらなる惑星全体の管理者とし、そうした管理者がさらに「星系全体の管理者」と接触することで、管理者がすべての細部を見渡せる状況になっていたようです。
三次元では、「まったく逆」です。管理者になればなる程「下がわかっていない」し、部下は部下で、「管理者のやり方が気に入らない(実際、ど~もならん上司も存在するので、断言しかねますが……)」。
しかし、高次元では管理者になればなる程「全体を見渡し、細部に配慮を重ね」、部下は部下で「管理者にすべてを信頼の名の下において、委ねている」という印象です。
同じ共同体でも、あり方が三次元と「まったく逆」です。右回転するか、左回転するかぐらいの違いです。
さらに言えば――。
高次においては、「教育」というのも、一種変わった独自の方法を採っているようでした。
三次元では「子供を育てるのは『親』であり『家族』」というのが、大前提ですよね。でも、私が見た世界では「子供を育てるのは親」とは、必ずしも言えなかったのです(もしかしたらそうでない世界もあるかもしれないので、断言は出来かねます)。
私が訪れた家族の元には10歳ぐらいの子供がいましたが、母親は何故かいませんでした。また、その子も「ずっとその家にいる」というわけではなく、たまたまその日「家に来ていた」という印象でした。
他の離脱先でも、「子供達は親が育てるのではなく、『然るべき教育機関』によって育てられる」というのを聞いたことがあります。
思わず「へ――っっっ。それじゃ、『幼児虐待』なんて問題そのものが、なくなるンだなぁ」なんて、妙な納得をしてしまいました(その代わり、お父さん達の「育児休暇」もなくなっちゃいますが((笑)))。
その教育期間が「幼少期」からあるのか――はたまた「生まれてすぐにあるのか」は、わかりません(そもそも、「高次体がどうやって子供を生むのか」も、まだ判明していません。今度、それを聞いてきたいと思ってはいるのですが――)。
いずれにせよ、親元で育てられるわけではなく、「そうした教育機関がきちんと存在する」ということだけは、実感しました。(ハリーポッターに出てくるような「寮制」なのかもしれませんが。)
そんな中で。
何度かここでもご紹介しているカヴァーロ氏が、クラリオン星人について面白いことを述べていました。
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彼らの惑星での結婚には、結婚式はない。婚姻関係は、知的、霊的、物理的な類似性のうえに成り立つ。カップルの間で、常に発展し続ける周波数に差異が生じたときには、平和裡に結婚生活は終結する。いずれにせよ、子供たちはコミュニティーに保護されているのだ。
【超次元の扉 クラリオン星人にさらわれた私】マオリッツオ・カヴァーロ/著 233ページから引用
*************************「婚姻届」も「離婚届」も必要ないのが、高次のあり方のようです。楽でいいですね~(笑)。
要するに、高次元において「夫婦が共にいる」というのは「決して最優先事項では『ない』」ということです。それよりも「個人の発展、成長」こそが重要視されている――ということがよくわかります。
ある意味、三次元において「家族愛」「夫婦愛」を重要視されているのは、「そこを通さなければ、三次元の人間は『愛を学べない』から」なのかもしれません。
私が触れてきた離脱先の人々は、本当に秩序と愛のある人々で、それは決して家族愛、夫婦愛といった「特定の愛に言及されるもの」ではありませんでした。
昨今は簡単に「愛」という言葉が使われますが、本来の愛は「秩序」を理解しなければ語れない――そう思います。秩序というのは「生命の息吹」でもあり、「生命の根源」でもあります。太陽の日射しや温度を察して、決まった季節に芽吹く木の芽達や、花の芽――種の中に内包された「樹木の命」。これらはすべて、生命そのものに与えられた「秩序」であり――言うなればそれが「愛でもある」と、私には思えるのです。
何故なら、これほどまでに深い「創造主の慈愛」を感じる瞬間が、どこにあるでしょう? 季節と共に移ろいゆく花々、植物の中に見出される秩序の中ほど、慈愛の籠められたものはない――私はそう感じるのです。
そうした意味で見れば、人間が口にする「愛」というのは誠に虚ろなものでしかないのかもしれません。「私、Aさんを心から愛しているの!」と言いながら、翌日には対象がBさんになり、さらに翌日にはCさんになっているかもしれません。
人間が人間に向けられる愛というのは感情から生じていますが、秩序から生じる愛は「根底の真理」に結ばれていて、動かしようがない程確立したものです。
それを「まずは知る」為に、私達のいる三次元では「まず、身近な愛から」学ばされるのかもしれません。
とはいえ……。
最近では、その「家族愛」さえまともに説けない、「人類愛」でさえまともに語れない人達が増えています。
離婚が悪いわけではないし、家族が必ず仲が良くなければいけないわけじゃない。
でも、本来はもっと「基本的なことを見直さなければならない人達」も大勢いるように、そう感じます。
高次におけるコミュニティの根幹を成す「秩序に基づいた愛」は――そこを経なければ到達出来ないのだろう……私には、そう思えるのです。
アセンションを本当に成功させる為には、まずは何よりも「基本的な人間の行動」を振り返る必要があるのではないか――そんなふうにも感じる昨今です。
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