私が体外離脱に至るのは、きまって「睡眠中」です。訓練すれば覚醒中にも出来るようになる自信はあるのですが、私の今世の目的はあくまでも「地球の向上」であり「人類の向上」なので、そういった離脱体験については睡眠だけにしておこう――そう思っています。訓練する時間があるのであれば、そういった時間をすべて世界の現状を見定める為の時間に費やしたいので。
詳しい「離脱の手順」については、以前お話した通りです(
体外離脱のプロセス)。
そうした離脱先の中で、いくつか特徴的なことがあったので、今回の記事で掲載します。
【1】本がDVDのような記憶媒体。私が離脱先に行くと、決まっていくのが「書店」です。(っていうか、現実でもそうなんですが;)
書店に行くと、その次元がどんな雰囲気なのかが、何となくでも分かるからです。
よく、普通の生活の中でも「その人の家の本棚を見れば、その人が普段考えていることや性格、どういう趣向のある人なのかがすぐわかる」と言われています。
私の本棚なんかは……いやもぉ――(滝汗)。ものすごい「ぐっちゃぐちゃ!」です。
私は「本を飾っておく」のが嫌いな人で、思い返せばすぐに引っ張り出し、それを読みあさり、読みあさった後考え事に耽ってしまったり、他の資料に共通項を探す為別の本を引っ張り出したり等々するので、結局元に戻すのを忘れ――気がつくと「積み重ねられた本の束」があちゃこちゃに出来るとゆ~;(だから、本棚が整頓されている人を見ると、いつも思います。「よっぽど整理がマメな人」なのか、或いは「もともとそんなに、読まない人」なのか……。←客が来るので、大慌てで掃除した、というケースもあるかな。※私のことですが;)
……って、少し話は逸れましたが。
日本でも、書店に行って「ざっ……」と本の目録を目に通せば、時代が何を言っているのかが掴めてきます。
1995年オウム真理教事件があった直後などは、カルト教団に限らず、精神世界系の本は「いっせいに」と言っていいぐらい、書店から姿を消しました。その代わり幅を広げたのが――社会学関連。オウム真理教が起こった背景を社会学の視点で解析しようとする人達が、いっきに出版数を伸ばしたからなのでしょう(ちなみに、その火付け役となったのは、社会学者の宮台真司氏であったと私は考えています)。
今はその反対で――精神世界系がいっきに書店の幅を占め、社会学は少し伸び悩んでいる印象を受けます。
そんなふうに、「書店の棚」というのは、その時の「社会情勢」を如実に表現していたりするのです。
それは他次元でも同じことだと、私はそう思うのです。
私が何度か行った書店のうち、ひとつは三次元と変わらない雰囲気で、古書なども扱っていました。美術系に関する本や、歴史に関する本が多く、どことなく「時間のある知識人達が集い、余暇を楽しんでいる風情」も感じさせました。
ある書店では、「手が届かない程、高いところ」まで本がびっしり詰まっているものの――それは、私達が知っているような「本」の形をしていませんでした。(見た目はDVDケースよりももっと厚い、四角い物質です。)
手にすると、決してそれは読むことが出来ず、開くことも出来ない。その代わり、
「頭の中で、本の内容が再生される」のです。
どの本を手にしても、その本の内容が一斉に脳裏で読み込まれる――一種の「ハードとソフトの関係」を思い出しました。本が「ソフト」で、手にする側が「ハード(PC機器など)」。
……これは、「読む手間」が省けるので、かなり「便利♪」です(笑)。
ただし、そのほとんど――いえ、ほぼ「すべて」が、現状の私で理解出来るような代物ではありませんでしたが……orz。
後者の書店は、かなり「次元の高い」印象を受けました。(宇宙星系における歴史などを書いている、という印象を受けたので。少なくとも、一国とか一社会、というレベルのものではなかった――)
おそらく、どんなに高次になれど「記憶媒体」は必要なのかもしれません。ある意味、それはひとつの「情報開示」だから。
【2】レストランの席は「必要なら空く」。離脱先でレストランに行ったことは、二回ほどありました。「あ~、普通に食べるンだなぁ」って、ちょっと意外だったのですが(笑)。
とはいえ――どんなに混雑していても、食事している人は廻りにいなくて、ただ「喋ってる」ようにしか私には見えませんでした。私もそこでは何も頼まず、同伴していた女性と席に座り、ただあれこれ喋っていただけですので。
この際、面白いエピソードがあったのですが――二人でレストランに向かった際、席は満席状態で、どこにも空席がありませんでした。
「駄目だ、満席だよ」
私がそう言うと、同伴していた女性はニッコリ笑ってすぐそばを指し示しました。
「大丈夫よ。席は『必要であれば、空いているもの』だから」
見ると、そこには二人用の空席が。さっき隈無く探した時は、まったく空席などなかったのに!
…………。
通常のファミレスみたいに、「お席が空きましたらご案内しますので、そこにお名前を書いてお待ちください~」なぁんてことはないのだなと、改めて思いました……。(ちなみに、禁煙席・喫煙席の区別もないと思われ――)
また、別の離脱先に行った際には、木の実を潰したサンドイッチ(ナンのようなパン生地に、木の実を包んだものなのですが、私にはチキンのような味に感じました)を食したことがありました。
普通の夢の中でものを食べても記憶は漠然としていますが、離脱先で食したものに関しては、はっきりと味覚が残るから不思議です。「○○に似ている」と置き換えることは出来るものの、決して「同じもの」ではありませんでした。
【3】車輪文化ではなかった。離脱先は大抵、「車輪文化」ではなかったので不思議です。私がまだ「霊界」次元しか離脱出来なかった頃は、(おそらく歴史の反映で)車輪は目にすることが多々ありました。しかし「どう考えても、現状の地球からこの次元の文化が紐解けない――」そう感じるところに離脱するようになってからは、車輪は何故かお目見えせず、ほとんどが「リニアモーターカー」とでも言うような、「地上を少し浮かんで、移動するもの」ばかりでした。
これ……結構「大きな差」だと思うのです。
車輪の発想と、リニアの発想。(車はガソリンですが)後者がどのようなエネルギーを使って移動しているのかが分からない為、何とも断言しようがないですが――後者の方が「環境に対する悪影響」が少なくて済むように、その時私は感じてしまいました。(その時私はひとりでそれを見ていたので、ガイドに説明してもらうことが出来ず残念だったのですが……)
【4】次元は複数に渡る。私が何故、このようにして「離脱先の記憶」を紐解こうとしているかと言えば――私が一番目指している「地球の三次元システム」と「高次システム」の差違を紐解こうとしているからだけでなく、「それを如何にして、三次元に活用できるか」を突き止めたいからです。
ただ、問題となるのは――「どの次元を、参照にすればいいのか」です。
私の体験上、次元は「複数に分かれている」――そう感じました。先程の書店のように、「星系」をひとつの規模として見ているが故に、とてもじゃないけどローカルな地球視点の今の私では(私の本体((ハイヤーセルフ))ならわかったのでしょうが、離脱するのは、あくまでも端末でしかない「私個人」なので)、まったく想定がつかないようなものでした。
そこをお手本にしても……ちとまだ、無理があるだろう――と。
地球がまだまだ「幼稚園生」であるならば、まずお手本とすべきは「小学校」なのだと思います。地球がどんなにアセンションしたと言えども、いきなり大きな上昇を目指すのは無理難題と言えるでしょう。(私が解脱の研究をしていた際も、三段飛ばし、四段飛ばしの「覚り」というのはありませんでした。堕ちる時は、三段堕ち、四段堕ちするようですが――)
少なくとも、先日「法律のない世界」で書いたように、三次元にも「モデルとなるような理想国家図」というのはいくらでも「ある」のです。それがなかなか実現されないのは――ひとえに、「そこを阻害する要因があるから」としか、言いようがありません。
まずは、その原因を突き止めることから、始めた方がいいのかもしれないですね……。
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夢では初めてなのに後々実際に訪れたりということが3回ほどありました。
これも幽体離脱して夢でその場所へ行っていたのでしょうか?
不思議ですね。
私はあまり心理学は(ユングと「トランスパーソナル心理学」は勉強していましたが)あまり詳しくないのですが――色のついた夢……というのは、おそらく「カラーテレビ」以降の時代の人がその影響を受けているのではないかな、という気はします。(でも、蓮868様も、カラーテレビ以降の方ですよね……)
モノクロの映画やテレビなど、そうした「視覚」からの影響により、一時期「色のついていない夢」を見る人が多かったのかな――と。(私自身は、モノクロの夢を見たことがないので、逆に見てみたいなって思っています((笑)))
その辺りは――何とも断言しようがありませんが……。
> 夢では初めてなのに後々実際に訪れたりということが3回ほどありました。
> これも幽体離脱して夢でその場所へ行っていたのでしょうか?
「同じ場所に行く」というのは、夢を通じて行っていらっしゃる可能性が大ですよね。
こういった体験談は、まれに聞きますね。離脱感覚がなくても、夢の中で見知らぬ土地に行ったら、それが数日後偶然訪れた場所だった――など。
一種の予知夢、というケースもあるのかもしれませんが――「実際に訪れる」というのはかなり重要なサインのような気がいたします。(予知自体、「三次元を超えたところへの情報アクセス」なわけですものね。)