4~5年ほど前から……でしょうか。やたらに
感謝という言葉があちこちで見られるようになりました。
「感謝をする」ということ自体は、とても大切なことだと思います。しかし──これだけのべつ幕無し
「ありがとうございます!」「日々に感謝をしましょう!」という言葉が繰り返しあちこちで見られたり聞かれるのは……とても「不可解」に私には思えてしまうのです。
決して「感謝をする」という行為そのものを否定しているのではありません。
そうではなく、
「感謝って本来『当たり前』のことであって、それが当たり前に出来てないことを取り沙汰すこと自体、不自然なのではないか?」そう思えるのです。
まるで「マナー広告」みたいなものです。電車で高齢者や妊婦さん、立っているのが辛そうな人に席を譲るのは
「思いやりの視点で言えばごくごく当たり前のこと」です。
それをわざわざ「高齢者の方に、席を譲りましょう!」とか……何でいちいちそんなことを宣伝しなければならないのか、それそのものの方が「おかしい」と思うのです。
感謝も同じです。本来であれば、霊性が開かれていれば「意識せずとも」感謝が普通に出来ているはずなのです。落とし物をした時に、それを拾ってくれた人に向かって「ありがとう!って言いました」なんて、わざわざアピールする人はいないでしょう? それと同じことだと思えるのです。
また、感謝という言霊を誤って乱用してしまうことで、それが行きすぎると
自分さえ良ければ、他者や世界がどのような状態でも構わないというエゴに陥ってしまいます。
分かりやすいように、たとえ話で説明しますと──
あなたの会社に、すごく理不尽なことを言ってヒステリックに騒ぐ、いや~な感じの上司がいたとしましょう。
言ってることはエゴイスティックで、周りのことも考えない──自分だけが正しいと思いこみ、部下を蔑み、自分よりも上の人にはへつら笑うような、そんな人がいたとします。
そういう人を前にしたら……上記の「感謝の説」で言えば──
「ああ、こういう人に出逢わせてくれて、ありがとう。この方から学ぶことが沢山あります。この人との出逢いに感謝します」 ──そういうことになるのでしょうね。
でも……私は、この視点って
「自己満足に過ぎないのではないか?」そう思うのです。
この理不尽な上司(Aさん)には……
このようなエゴイスティックにならざるを得なかった理由や背景が、必ずあるはずです。
生まれついて、Aさんがエゴイスティックだったわけではないでしょう。
もしかしたら……ご両親から愛を得られなかったのかもしれない──。
こちら側が知らないだけで、Aさんにはとても辛い、悲惨な想い出があるのかもしれない。
それらの過去が、Aさんをここまでエゴイスティックにさせてしまったのかもしれない。
いわば──Aさんがそのような自己中になってしまったのには、
こちら側が想定出来ない、数々の理由があるからなのかもしれないのです。
それを、「こういう人に出逢わせてくれてありがとう。この方から学ばせてくれて、ありがとう」──そう言ってしまうのは、私は
Aさんが抱える過去や傷を度外視して、自分さえ都合良くこの場を乗り切ればいいという身勝手な行為に見えてしまうのです。
それは決して、慈愛ある人のやることではない──そう思います。
また、これから始めるものごとに対して、潜在意識に働きかけるためか或いは来客を期待してのことなのか「ありがとうございます」という言葉を「誰もまだお客さんがいない状態で、先に」使う人もいます。
それは、
これから起きる純白なまでの未来に対する支配(コントロール)であると、私には思えるのです。
私は、誰かが何かをしてくれて──或いは、「その瞬間に」感じた時にしか、「ありがとう」という言葉を使いません。
「ありがとう」という言葉は、
本当の意味で感謝したいという想いが籠められているからこそ言った方、言われた方に魂の交流が生じるのであって、その前提がないのに使うのは意味がないどころか、相手の行為を拘束することになりかねない──そう思うからです。
それから──もうひとつ……。
感謝というのは
言葉にすることに意味があるのではなく、「態度で示すことにこそ、意味がある」のです。
私もかつて、知人に数名見かけたのでよく分かるのですが……安易に言葉で「感謝しています」とか「ありがとう」という割には、子供に対して嫌悪な表情を見せたり、「感謝します」と言った同じ口で、誰かの悪口を言ったり──。
明らかに「矛盾した行為」を行っているにも関わらず、そのことに気づいていない──という、とても驚くべき状況を何度か目にしました。
感謝というのは本来、口にすること、言葉にいちいちすることではなく、
その人の表情、態度、行為の中ににじみ出ているものだと私は感じます。
感謝とはイコール
「宇宙(神)の愛を実践すること」なのです。ただただ何にでも「ありがとう」何にでも「感謝します」っていうことは、
本当の意味での感謝では「ない」のです。
そのためには、この茨(いばら)が張り詰められているような、厳しい実社会で生きていく必要があります。
それをせずして、自分はひとつの家の中だけに閉じこもり、言葉だけで「感謝しています」「ありがとうございます」を繰り返される方は……たとえて言えば座学ばかりして、医療の現場を知らずに「医学を教えようとしている」ようなものです。
私は、そのような方々の言葉は信憑性がないと思うし、どんなに「いい言葉」を仰っていても「ただの受け売り」にしか見えないのです。
繰り返しになりますが──「感謝をする」ということは、とても大切なことです。
しかし、これは
とても基本的なことなので、こればかりを強調するのは間違いであるということを、私は申したいのです。
感謝をするということは、人間の行為に置き換えれば「呼吸をする」のと同じことです。
わざわざ「呼吸は大事です! 呼吸を日々大切にしましょう!」とは言いませんよね(笑)。それと同じことです。
そして、呼吸は大前提だけれども──それにも増して「もっと大切なことが沢山ある」ということも、皆さんはご存知のはずです。
感謝も同じことです。
感謝をすることで、自分の視野や考えは変わり、環境も変わったように思えることでしょう。
しかし──このブログでも何度も書いたように、
それだけでは世界は何も変わらないのです。
感謝は「大前提」ですが、そこから先に進むことの方が大切だと──私は感じています。
先述した「理不尽な上司の例」のように、ただその出逢いに感謝し「自分を慰めた」ただけでは、その上司が抱えている痛み、辛さ、哀しみ──なにも「見えてこない」のです。
それでは、根本的な解決には至れません。
感謝は「自分を変えたい」という段階の方には、お薦めの方法でしょう。
しかし、もうすでにそれを「呼吸をする」のと同じように無意識に出来るようになっている方には、ぜひ、人々の抱えている辛さ、背景、社会が抱えている理不尽なシステムの裏にあるものを「どうやって解決していけばいいのか」──そこと向き合って欲しい……そう願ってやまない今日この頃です。
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