※2014年初日の出。太陽の光が何だか聖杯みたいです※ 皆様、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
今日、とても不思議な夢を見ました。
気がつくと私は、美しい花畑の真ん中に立っていました。
夢なのに花のかぐわしい甘い香りが漂っているのも分かり、空気はとても濃くてそれ自体に香りがついているかのようでした。
咲いている花のひとつを手にすると、すごく強い生命力を感じます。
その場に咲く花々、生えている草木、そよぐ風でさえもが私に生命力を与えてくれているのが実感してとれるのです。
そして私自身も、その循環する生命力の中に組み込まれていました。
ああ、ここは「天国」なんだ。
こんな美しい場所が、現実であるわけがない。
私は眠りながら、天国に迷いこんでしまったんだ──
そう思った、「その瞬間」。
場面はいきなり、ありきたりの日常へと変化しました。
自然豊かな場所でもない、いつも見慣れた横浜の街でした。
アスファルトに囲まれ、排気ガスに満ちた、人工的な風景です。
それなのに──そこにも
天国に通じる生命の輝きが見てとれました。
ふと目を向けたそこには、小さく伸びた草木の姿がありました。
さきほどの美しい花畑に比べたら僅かな輝きしかないけれど、それでも懸命に生命力を循環させようとしていました。
しばらくすると、アスファルトに囲まれた大地にも、高くそびえるビルにも、僅かながら生命力が通っているのが分かりました。こうした人工物は「完全に死んだ状態」なのではなく、「
生命力を限りなく抑制されている状態なのだ」というふうに感じました。
生命力を循環させるということは、共鳴させてそのエネルギーを増幅する働きもあるのかもしれない──私は夢の中で、そんなふうに考えていました。
だとしたら、私たちは循環を途絶えさせ、共鳴させることさえなくエネルギーをただただ浪費していることになってしまうのかもしれません。
本来、世界は「そのままの姿」で充分に輝けるだけのエネルギーがあるのだと思います。
しかし、それは循環させずに滞らせてしまうことで、輝きが失われるどころかマイナスの作用しかしなくなる──それが、今現代における様々な問題点になってしまっているのではないだろうか、私はそんなふうに感じています。
循環の原動力は「動」です。
制止は、循環を損なうだけでなく腐敗させる作用もあるように思います。血液の循環を滞らせることが、ほとんどの病気の因子になるのと同じように。
何かを得よう、蓄積させようとさせることなく、周囲の調和を考えて循環させていくことだけでも、すべては進化するのかもしれません。少なくとも、私が夢の中で見た天国のような場所は、「調和と循環」だけで成り立っていたように思います。
世界の輝きを取り戻すためには、まず何よりも「循環を目指すこと」が大切であるということを、再認識させられた夢でした。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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