※こんな地球が、すでにどこかにあるのかもしれない… ある世界に、交流が断絶された
2つの国がありました。
1つの国を「A国」。もう1つの国を「B国」としましょう。
その二つの国に、同時に
「ある情報」が提供されました。
それは──
世界が100年後、確実に滅びるというもの。
A国もB国も、みんなパニックになりました。最初の数年間は、その問題を打破するためにそれぞれの国で科学者や研究者達が試行錯誤を繰り返しました。
しかし、どんな科学的データでも共に「100年後の滅亡が確実である」と決まった時…
2つの国に、
それぞれの違いが現れました。 A国の政治家達は、こう言いました。
「もう滅亡までのカウントダウンは始まっている。とはいえ、他の星に行くための時間を確保することも難しい。それなら、残りの資金を出来るだけ集めて、我々だけでも何とか生き延びるための施策を練った方がいいのではないだろうか?」 そのひとりの意見に、大多数の政治家が賛成しました。政治家は秘密裏に自分たちの逃げ場を作る案を練り、そうした情報が漏れた一部の国民達はデモを繰り返したりと大騒動になってしまったのです。
国民は政治家達への信用を失い、自暴自棄に陥りました。誰が嘘をついている、誰が国民をだましている、やれ、きれい事を言ってる国民はただの馬鹿だと、互いに罵り批判し、国の力はバラバラに分散されてしまいました。
一方、B国の政治家はこう言いました。
「100年後に滅びることが分かったからといって、何が変わるだろう? 我々人間は、生まれた時にすでに『死』が確定されている。だからといって、私たちの生に意味がないわけではない。むしろ、限られた中でより良く生きるために人は生き、人生を美しいものへと変化させていく。
世界が100年後に滅びるとしても、より良い環境が100年後まで続くよう、私たちは努力を忘れてはいけないのではないだろうか? 今を生きる子ども達が、終わりのあるこの世界に生まれても『生まれて良かった』と思えるような終末が送れるよう、私たちは今の努力を捨てずに生きることが必要なのではないだろうか?」 その政治家の言葉に大多数の政治家が賛成し、国民に事実をありのまま伝え、そして、自分たちの方針も同時に告げました。一時的にパニックになった国民でしたが、政治家達の抱く理想と願いに心を打たれ、「自分たちにも出来ることをしよう」と、より良い環境が少しでも続くよう努力を惜しみませんでした。
それから──ついに100年後が訪れた時。
A国の惨状は、目を背けたくなるような有様でした。滅亡の時を待つことなく、自ら自滅していったかのように、国民は飢え、資金も底をつき、自然環境も刹那的な人々の元で崩壊していました。
一方、B国は素晴らしい発展を遂げていました。科学や医学の進歩よりも、今ある力で環境を癒し、贅沢をするよりも少しでも人々の生活が維持できるためのシステムを構築したからでした。
そして、とんでもない事実が発覚しました。
この「100年後に滅亡する」というシナリオは、
この星が再生するために組まれた、宇宙のシナリオだったことが分かったのです。
すなわち、
「より星と共生できる種を選別する」ための、誰かが仕組んだ計画だったということが分かりました。
どちらの国が、星と共生できる種となったか──もうお分かりですね?
この話はあくまでも比喩ですが、今言われている終末論も「これと同じようなものではないか」と私は思います。
終末が訪れることに意識を向けることよりも、
終末があろうがなかろうが、
より良い未来を築いていくためにする「今の努力」こそが大切なのだと、私はそう感じています。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
また、毎日の記事を書く為の「大きな励み」になっていますので、クリックのご協力をお願い致します。(いつも押して下さっている皆様、本当にありがとうございます。)
【完結しました】
↑のバナーからお入りください。◇メインサイト◇