ここ二週間程バタバタしていて、1月31日の「医療ブログ」以来更新が滞ってしまっておりました…。
とはいえ、精神の奥底では
何かしらの予感がひしひしと湧き上がってくる日々を送っています。
皆様もご存じと思いますが、去年の10月前後に、Xクラスの太陽フレア爆発が連続した時期がありました。
(これは関連性を探究するためにエビデンスをとる必要性はあるものの、私が感じた中では、太陽のXクラスのフレア爆発が起こると心疾患発作が増加したり、せん妄状態にある患者さんの精神が刺激されて興奮が続いたりといったことが起こるように感じています。)
それから11月以降。
太陽の活動は落ち着き始め、今はCクラスやBクラスの爆発しかなくなりつつありますが、同時に
「何だか、どうも変だ」という感覚を訴え始める人達が周りに増えてきた印象を受けます。
私の周囲の友人達で、
「このままで自分はいいのだろうか?」「違った道が他にあるのではないだろうか?」と私に相談してくることが多くなり、そのうちの数名は実際にその時の決意を元に新たな道を切り開いたりしています。
こうした流れは、決して自分達の周囲だけに限ったことではないと、私は感じています。
11月からフォトンベルトの強い粒子が地球に届き、2015年は重要な一年になるという言葉を先日目にしました。
私も個人的なレベルで「2015年は大事な年になる」と感じていましたので、自ずとそうした感覚は宇宙の流れに合っているものなのかもしれません。
人間関係においても、色々な変化が皆さんの間にも起きているのではないでしょうか?
かつては仲良かったはずの友達と、微妙なずれを感じるようになったり
インターネット上での関係性が、何だか希薄に感じられるようになったり、
或いは逆に、価値観や生き方は全く違うけれど、その人の情熱や生きる姿勢にすごく共感を得たり、
まるで、ジェットコースターの急上昇・急降下を味わうような、そんな感覚になる人達もいるかもしれません。
また、こうした流れは関係性に限らず、「その人の中」の意識にも分断を起こしています。
例えば、今、中東で起きている出来事。あちこちで起きている、中高生の殺人事件。一昔前なら、その一件だけでも注目される程の大事件でしたが、今となってはそこまで注目さえされなくなっています。
その他にも、世界各地で起きている事件。「一体、世界はこれからどうなるのだろう」という言葉を、多くの人が口にします。
これらすべてに意識をシフトすることは無理ですし、そうする必要性もありません。
しかし、
「こうした出来事が世界各地で起きていて、自分達はその世界に生きる一員なんだ」と感じることと、
「まったく無関心でいられる」のでは、雲泥の差です。
勿論、こうした遠くの国で起きている事件については仕方ない側面もあるでしょう。
ですが、身近に起きた問題に対して、それを
自分のこととして考えられる人と、そうでなく
「完全に無関心でいられる」人の二極化が進んでいるように感じられるのは、あまり良いこととは言えないかもしれません。
まるで、意識の深海と浅瀬の部分に「大きな壁」が出来てしまい、深海から浅瀬にはその壁を抜けて往き来出来ても、浅瀬に生きる魚たちは壁が出来ていることにさえ気づかず、深海に思いも馳せられない──といった状況に陥ってしまっているのではないか、そんなふうに危惧しています。
ここ1年程で、様々なことが矢継ぎ早に起きています。
だからこそ、私たち「スピリチュアリスト」として真理を探究したいと願う者達は
注意が必要な時期かもしれません。
自分が一体、どの深海の部分にいて、浅瀬との間にどこに壁が存在しているか──或いは、自分は浅瀬にいて、壁さえも見失ってしまったのか、
自分の立ち位置は一体「どこ」で、
何を感じ、どう思い、どのように行動すべきなのか。
常に必要なのは
「自問自答」であり、自分を導くのは「自分自身の奥深くに存在する『実存』でしかない」私はそう思っています。
チャネリング情報だけに囚われ、自分の立ち位置を見失うことはとても危険です。
自分の知識や状況を整理するために使うのは、完全に「NO」とは言いません。(今までの私は「完全NO派」だったので、ここは少し柔軟になったと言えるでしょう。)
チャネリング情報は、大抵「壮大な喜び事」しか語りません。
そうした壮大な喜び事を胸に感じ、「今を改めよう!」そうする為には使い道がありますが、それを乱用しすぎるのは「幻覚剤の乱用」と同じ状態になりかねないと私は思います。
私たちにとって意味があり、求められていることは
「現実を変えていくこと」です。
チャネリングの言葉だけに囚われてしまうと、動くための原動力を失ってしまう危険性を私は感じています。
一週間に一度の瞑想であればいいでしょう。
でも、必ず私たちは「何らかの具体的な行動」と共に、メッセージを受け取る意味があるように思います。
最近では、「色々な人が色々なスピリチュアルな知識を語り、色々な方向性を示している」印象を受けます。
これだけ「表現する」ことが簡単になった時代ですから、決してそれも悪くはないでしょう。
でも、それほど表現者が自由である以上、
読み手は慎重に選ばなければならない、と言えます。
私は、自分の数少ない長所は「誠実さ」だと自負しており、信憑性に欠ける情報や社会に誤解を招くような表現は「いっさい書かない」と自分にきつく銘じています。
世の中の本を読むと「もっと自分は書きたいこと書いてもいいんじゃないか?」という思いにも駆られますが──私は、
スピリチュアルというのは「智慧」としてもっと現実に活かされていくべき「人類の資産である」と考えています。だからこそ、スピリチュアルを知らない方々に「スピリチュアルって怪しい」って思われるような表現(偏見を持たれそうな表現)は避けたいのです。
この時代にとってのテーマが
統合である以上、「世間的な価値観」と「スピリチュアル的な価値観」という二極化の溝は、埋められなければならないからです。
意識改革とは、ただ「スピリチュアル的な事象を『理解する』」だけでは起こらず、「それを如何にして、現実に具現化していくか」ということで起きるのだと思います。
意識とは、神智学的に言えば「第一大因的な霊的実存」と「物質」の「重なった部分」を示し、この「物質」に対してどれほど霊的な実存を浸透させるかということがひとつのテーマとされています。
今は物質に偏った意識を「霊的」に偏らせつつも、それをまた物質に還元していく──このサイクルこそが、意識改革には重要なのだと、私はそう思っています。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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【医療ブログ】1月31日更新「医療者にお薦め!『死の体験旅行』」

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