もしも私が宇宙人で、地球人達を救うために待機していたとしたら──
私は、
「アセンションするぞ!」と瞑想し、食事に拘り、身を清めることばかりに丹念する人達よりも、
アセンションやスピリチュアルなんて言葉さえも知らないけれど、
高齢者や障碍者の方達のために懸命に介護をしている人達の方を救うでしょう。認知症になり、何度も同じ言葉を繰り返してしまう親御さんの介護をしながら、かつて元気だった頃の両親の姿を思い返しては葛藤を繰り返し、
それでも懸命に支えている家族の方達を救うでしょう。テロや紛争が多い地域と分かっていながらも、
自らの危険を承知で現地の人達のためになりたいと頑張っている人達を救うでしょう。
理不尽な紛争に巻き込まれ、難民として行く宛ても将来も分からない中、もしも
隣で泣く子があれば、それを笑顔で癒すような、そんな人達を救うでしょう。
世界に沢山の理不尽が起きていることを、
「これは好転反応だから」と言い訳せずに、真正面から向き合って「自分も共に同じ痛みを味わおう」と感じ入れるような感受性の鋭い人達──そちらの方を、私だったら助けたいと思うでしょう。
アセンションって、一体何でしょうか?
「上昇」を意味する言葉ですよね。
だとしたら、
「足下がゆるゆるに緩んだ状態で上昇すること」は、正攻法の上昇だと言えるのでしょうか?
アセンションで
「飛び級が出来る」と言ってる人達や集団は、
要注意です。
考えても見てください。
小学校1年生の学びが終わってないのに、中学校1年生に進めますか?
九九も分からないのに、二次方程式や関数が分かりますか?
すべては「今の段階」の学びをしっかり終えてから、次に進めるのです。
スウェーデンボルグは今から250年ほど前に、
「霊界における最期の審判を見た」と言っています。
その時、天界に迎え入れられたのは、生前教会の偉い神父だった人や学者達、「自分は良い市民だったし、税金も納めていた」と正当性のみを訴える人達ではなく、
ただ「純真無垢」で、清らかな人達だったといいます。
アセンションをしたい方々、
「すべては愛であり、光なのです!」と言っている方は是非、
高齢者介護や障碍者の方の介護に関わることをお薦めします。
その中であなたが本当に輝き、
愛を貫き、
あの世に旅立とうとしている人達に「ほんの僅かでも癒しを提供出来た」なら──
その時こそ、あなたはきっと「次なる段階」へと進むことが出来るのでしょう。
そうでなく、「自分の中の限られた世界」だけで「愛がすべて」だと言っているうちは──誰にも、その愛が「本物である」と認められることはないでしょう。
愛は
「身近な者達」に向けられてこそ初めて、そこから派生して世界に広がるものなのだと私は感じています。
最初から世界を対象に愛を向けて、身近な者達をぞんざいにするようでは──それは本物の愛とは言えないと思います。
愛とは「実践」でしか、証明しようがないのです。
ぜひ、宇宙人に届くような(笑)愛を実践してみようではありませんか。
●多くの方に、「真剣な目で地球人類の進化に意識を向けて欲しい」と、強く願っています。
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【ファンタジー小説:ソラと仲間達の神様を探す旅】
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