明日からは「三連休」ですね。
でも、「世間の連休は『仕事』」の篠崎……orz←平日は学生(大学卒業後、社会に出てから再び進学したので、39歳の身空で学生((爆)))。
この連休も、やることが天こ盛りです(涙)。
実は現在、このブログの連載記事として「進行中のネタ」があるのですが――ちょっと原稿の準備が間に合いませんでした。なので、今までの過去記事の中からいくつか「紹介したい記事」などもあります関係上、今回はそれを掲載します。
前もってお断りしておきますが――「手抜き」じゃないですからね(爆)!!
※ただし、記事掲載時から1年9ヶ月程過ぎている関係で、若干記事内容が古くなっています。それほど、この1年の間で「スピリチュアル」における分野は大きく様変わりしたからです。「2008年1月現在のスピリチュアル分野が、どのようなものだったか」を思い出しながら記事を参照して頂けると幸いです。
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2008年1月28日 過去ブログ「思考世界」より転載 昨日、大変嬉しいメールを頂きました。このブログ
(当時ブログ※思考世界)を読んで頂いた読者の方から感想を頂いたのですが、そのメールを読んで改めて私は
「現実世界と霊的知恵との融合の必要性」を感じ取った次第です。
かといって、篠崎は霊的知恵のすべてを現存する科学や医学と結びつけ、「どうだ! 霊学は科学的なのだ!」と言ってのけるつもりはありません。
哲学がイコール科学にならないのと同じで、霊学も科学や医学とイコールにはなりません。何故なら、土台はあくまでも土台でしかなく、根が幹になったり枝になったりすることは「あり得ない」からです。
しかし、「実証されてないなら、それは応用の余地もない」というのは、それも違います(そうであればエジソンもアインシュタインも、あれほどの発見をすることが出来なかったでしょう。科学も出だしは「発想(閃き)」でしかないのですから。また、東洋医学だって「応用できない」という話になってしまいます。民間療法なども常に「結果から原理を推測していく」ことしか出来ないのです。)。
霊学は科学と「言い切れない」。しかし、「応用の価値がある」――私はそういう立場に立っております。
ですが、如何せん「霊は最初から存在する」と、完全にスピリチュアルに偏った人達が意見する内容では、唯物的社会観と霊的価値観の狭間に立つ多くの人達を説得することが出来ません。
物質的世界と霊的価値観の狭間に揺れる大勢の人達が待ち望むのは、
「完全に『信じている』とは言い切れないけど、でも、『そうなのかもしれない』と思えるような理論」なのでしょう。
おそらく、ほとんどの方が「スピリチュアルだけの理論では眉唾。でも、現在ある価値観だけでは行き詰まりを感じている。それを橋渡しするものとは、一体何だろう」という段階で立ち止まっている方が多いのではないでしょうか。
私は出来るだけ、そうした「既存価値観の人々」や「一般的生活を送っている人達」が「どのように霊学への門戸を開いていけばいいのか」といったことに触れられるような記事を、書いていきたいと思っています。それだけでなく、「ニューエイジ的スピリチュアルの分野は詳しくても、学術的な分野(哲学・宗教・歴史学・社会学など)はまるで知らない」というスピリチュアリスト歴の長い人達をも満足させられる内容にしていきたいと、願っている次第です。
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◆高級霊は、必ずしも進化を求めない◆ 現在篠崎はルドルフ・シュタイナー著「民族魂の使命
(※参考文献以下掲載)」を読破中ですが、なかなかに興味深い内容が散見されます。(ちなみに、この本を読み出したきっかけは「シュタイナーが人種主義者だった」とする説の真偽を探る為ですが、今のところそう思えるような箇所は見受けられませんでした。もしかしたら、訳者の方が手を入れられたのかもしれませんが、全体を包む中にそうした「人種差別を感じさせる空気」が読み取れないので、私はやはり未だに「人種主義者だった」ということには疑義を感じずにいられません。今年中には独語原本も入手し、訳してみようと思っていますので、詳しい結論についてはもうしばらくお待ちください。)
シュタイナーは人間として存在する「人格霊」以外に、それをサポートする高級霊として「天使」「大天使」「権天使」「能天使」などの存在を説いています。また、この「権天使」「能天使」というのは、土星紀や太陽紀において
「進化からおいていかれてしまった高級霊」としています。
しかし、シュタイナー曰くこの「進化についていけなかった」という理由について「落第した女学生のように見なすなら、大変な誤りを犯している」のだとか。←女性としては、この喩え――ちょっと引っ掛かるものがありますが(笑)。
これらの高級霊達が進化を遂げなかった理由は
「自らがそこに留まることで、人間をより発達させる役割を担う為」だったというのです。少なくとも、この能天使(実際は今の大天使よりランクが上)がいなければ、地上に言語は存在しなかっただろうとされています。
これは、なかなかに興味深い内容です。
霊的次元においても「退化」が存在するというのは、一種非常に科学的な冷徹さを感じさせますが、それが「自ら望んでの退化」となると話は別です。
霊的次元における「自主性」の存在をそこには感じさせますし、それより何より
何でもかんでも進化するのがいいのだとする価値観はやはり物質的世界のものに限定されるということを、実感せずにいられないからです。
篠崎は以前から、「地蔵菩薩の誓願」というものに惹かれていました。
地蔵菩薩と、もうひとり別の菩薩が一緒にいた時、釈迦如来が現れて二人に向かい、「二人とも、よくここまで精進した。ここで晴れて、如来となるが良い」と告げました(※菩薩というのは、如来の一歩前。如来が一番格上とされている。)
もうひとりの菩薩は大層喜び、如来となることを快諾しますが、一方、地蔵菩薩はそれを退け、「私は大衆全員が覚ったあと、一番最期に覚ります」と言って、菩薩の地位のまま留まり、この地を救済する為に残った――というお話です。
権天使や能天使なども、まさにこの地蔵菩薩と同じ立場と言えるでしょう。
私自身も、自分の進化や個人的生活の喜びに興味がありません。「真実は流転するが、真理は流転しない
(2008年1月20日掲載記事)」でも書きましたが、個人的な楽しみというものは、もう十六歳の頃から欲求自体を感じなくなってしまっているのです。
その分、私の中で常に蠢いている衝動は「真理を知りたい」とする欲求や、「世界がどこに向かうのか」「人類の行き着く先はどこなのか」といったことだけです。
そんな私なので、巷の「アセンション」に興味も湧かないのでしょう。ぶっちゃけ、「私が進化しようが、しまいが」そんなこと「どうでもいい」のです。
私が常に考えているのは、世界の「現実」と「未来」です。
最近は「ザ・シークレット」などで引き寄せの法則が大流行ですね
(2008年1月時)。
いろいろな方が引き寄せの法則について語っていますが、中には「世界の戦争とか飢餓とか温暖化とか、そういったものを気にしちゃうから、悲惨な現実を呼びよせちゃう。そういうのを『気にしないようにすればいい』!」という発言を平気でする人もおりますが、そういう人は根本的に「引き寄せの法則を勘違いしている」そう思います。
「見ないから呼び寄せない」というのは、あくまで個人の領域でしかない。世界の法則において、それは「成り立たない」のです。ただ単に「見ないことで呼び寄せなくなった」のはその本人の視界に過ぎず、世界に対してその人がやっている行為はむしろ
「臭いものに蓋をした」だけに過ぎない。
見ようが見まいが、「現実は存在する」。
そうである以上、それを「回避する方法を引き寄せる」ことの方が、余程正しい「引き寄せの法則」なはずです。
世界の現実から目を伏せて、自分達の進化だけを尊ぶ人達と一緒に昇天するぐらいなら、私は「この次元に残る」――そう断言したいぐらいです。
私は明らかに、「自ら望んで、進化を拒否する」タイプ――権天使や能天使タイプなんだろうなと、この本を読んでいてそう感じました(苦笑)。
━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━━━
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