昨日は
エハン・デラヴィ氏の取材でした。(その内容については、私の相方である
麻日さんも記事にしていますので、是非ご参照ください。)
録音した取材内容を、現在音声から文章にしている最中です。
……が、しかし。
これ、結構大変です(苦笑)。私はPCに関してはかなりの早打ちですが、音声と同時に打ち込む際に一番問題なのは……「漢字変換」……。一発で漢字が出てくれないと、それを打ち直している最中に音声が流れていってしまうので、さすがに同時入力が難しい。日本が漢字のない「ひらがな文化」だったら、間違いなく「聞くのと同時に、入力出来ただろうな~」って思います……。
そんな愚痴は、さて措き。
エハン氏の取材は、私自身の活動方針において、いろいろと考えさせられるものがありました。
エハン氏の言っていた言葉、
「三次元における問題を解決しようとしても、同じ三次元の視点で変えることなど不可能だ」というのは、すごく胸に響きました。
そう――。
まさしく「その通り」なのです。
だからこそ、私は「2012年『後』」を、模索したいのです。
自分がどうなるかよりも、「2012年後の世界がどうなっているか」を、文字通り「創造したい」。
しかし、「創造」は「想像」からしか始まらない。
音は同じ「そうぞう」でも、一方は「創造(Creation)」で、一方は「想像(Imagination)」。
でも、何かを「創造」する為には「想像」を経なければならない。最初は、新たな世界システムと、その中に生きる人々の姿を「想像すること」こそが、私達の役目のひとつとも言えるのでしょう。
漢字って……「すごいですね」。←って、今さっき「漢字変換、めんどくせ~」とか言ってなかったか?
エハン氏は「どうすればいいか」ではなく「自分はどうしたいか」が重要――それを繰り返しいいます。
取材だけでなく、彼の著作の中でも随所にそれは書かれています。
日本人は、とかく受け身になりやすい。
カタストロフィーという言葉に過剰なまでに反応し、「どうすればいいか?」「どうしたらいい?」と意見を求めます。
しかし、決めるのはあくまでも「私達次第」――個々人の「意志の問題」でしかないのです。
もし、「2012年まで、あなたはどう生きたい?」そう聞かれたら――皆さんだったら、どう答えますか?
私の答えは、明確です。
ここでも何度も言っているように――そして、私の活動のメインでもある――
「地球の未来を創造する」 ――それだけです。
未来の地球の青写真像が出来たら……この資本主義システム、そして「自由」と言いながら物質に拘束されたシステム、情熱とパワーが否定されてしまうシステムから「解放された新人類」がひとりでも誕生してくれたなら……私はその「ただひとり」に全てを託し、喜んで自らは滅び行く運命を選ぶでしょう。
私にとって、自分が生き残ることは「目的ではない」のです。
あくまでも、地球の未来が――新たなる時代の到来こそが、目的なのです。
その為には、「反省」の時期も必要です。「自分たちの何が悪かったのだろう」と、振り返ることも大事だと思います。(だからこそ、「何が世界を狂わせたのか」のシリーズ連載をしようとしているわけです。)
アセンションは、いわゆる「生まれ変わりの儀式に近い」――そう感じます。
余談ですが。人は死んだ後、その生を「振り返る時間」を与えられると言います。
私はそれを聞いた時、「死んだ後じゃ、遅いよ!」そう思いました。「生きている間に、『何が間違っていたのか』を考えよう」と。
私は、霊感を一時的に失った21歳から35歳までの14年間。物質主義(マテリアズム)の時代の中で、地獄の苦しみを味わいました。普通一般の人であれば、おそらくそうそう味わうことがないだろうという苦労を、たくさん強いられてきたのです。
経済的な苦労は勿論、家庭の苦労、離婚、病苦、人生のあらゆるものを失い、路頭に迷い、真っ暗な闇の中に放置されたような孤独感を常に引きずっていました(そのせいでしょうか。その14年間に見る夢は、大抵「夜の夢」と決まっていました。いつでも闇の中に、閉じこめられていたのです)。
しかし、35歳のある日。
「今までの私を『死なせよう』」そう決意しました。だから、「死んだ後、人生と向き合う反省の時期」を、「今から始めよう」そう思ったのです。
それを決意したのが、2006年の1月頃。再生を自分の誕生日である「8月3日」に決め、それから毎日、寝る前に数時間、私は
「自分の欠点」をノートに書きまくったのです。
その理由は――自我を崩壊させる為。
あらゆる恥部、思い出したくない過去。傷。すべてを洗いざらい、ノートに記しました。
それはすごく苦しい道のりで、その場で自殺したくなったりもしました。でも、絶対に「自分の中にある闇」から目を逸らさない――絶対に逸らしたくない。その一心で、ひたすら欠点だけを書き続けたのです。
自分に甘やかしなど、いっさいしませんでした。「インナーチャイルドをヨシヨシしましょう」なんてした日には、私は「再生出来ない」。そう確信していたからです。
優しさは、時として人から「生きる力」を吸い取ります。無気力にさせ、怠惰を許す。
その時の私は、絶対自分に「それだけは、したくない」――そう思ったのです。
その頃から、「坐禅」も始めました。「死」を体感する為です。足を組み、動作のすべてを止め、その場に「じっとしている」というのは――ある意味において、私にとっては「死の体験」でもありました。
瞑想ではありません。「カラ」になるのです。私は通常の禅や瞑想が求めているものの為に坐禅をしていたのではなく、「今までの私を死なせる為」に、それをしていたのだから。(時間がある方は、是非1時間ぐらい試してみてください。「動けない」ということがどれほど辛いことか、「雑念を取り払い、思考をしない」ということがどれほど困難なことかを実感出来ますからv)
私は、「再生する」と決めた8月3日までの間に、「それまでの自分を死なせなければならない」と感じていたので、あらゆる方法で「自我の滅却」を試みたのです。
そして――「すべてを、『捨てられた』」そう準備が出来るようになった誕生日の日に、私は「伊勢神宮参り」をしました。
そこで、「新たな誕生」をしようと決意していたから。
そこから――でしたね。
私の霊感が完全に復活し、あらゆる物事が急速に「回転し始めた」のを実感したのは。
文字通り、それまでの私は「死んだのだ」と、その時感じました。
そして――現在に至っています。
「死後のプロセス(反省)」は、「死んでからでは遅いのだ」と、私はそう思います。
地球も同じです。
地球が死んでからでは「遅い」のです。地球はただの物質なんかじゃない。ただの土の塊なんかじゃない。私達と同じ、
「意識も、感情もある生命体」なのだと、私は最近強く実感しています。
そして、地球と私達はすべて繋がっている。人類の腐敗は、イコール「地球の腐敗」なのです。人間の愚かさは、イコール「地球の愚かさ」でもある。
だからこそ、今ここで「人類の歴史・現状」を振り返り、何を間違っていたのかを――私が再生したのと同じプロセスを踏み、「考え直したい」そう思っています。
そして、それを経た後、「どんな地球が望ましいのか」――それを、次元を超えた視点で……私が体感してきた「体外離脱先」での経験を元に、探っていきたい――そのように考えています。
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エハン・デラヴィ氏の取材とてもパワフルに終わりました~たっくさん、お話してくださいましたー取材内容は、後日、由羅ちゃんがアプしてくれますから皆さん、楽しみに待っていて下さいね~そして、LTS講演会企画部を立ち上げてから寝不足に更に追い討ちをかけ、ふらふらな由羅ちゃんもエハンさんの前ではビシッと録音機器とノートにメモりながら取材した由羅ちゃんの根性に拍手!!そのプロ根性、さすがっっっで、後日、由羅ち...
エハンさんの取材パート1