先日電車に乗っていた際、こんな中吊り広告を見かけました。
「100年に一度の大不況!」 …………。
すごく不思議なんですが――「100年に一度」というその根拠って、どこから来たんでしょう?
100年前と言えば、1909年です。1909年って「明治」ですよ? 大正ロマンの前だし、関東大震災はおろか、第一次世界大戦も第二次世界大戦もまだだというのに。
大体、日本が「企業社会(就職社会)」になったのなんて、戦後でしょ? たかだか60年そこそこです。それ以前のことまで計算に入れて「大不況」って――誰が一体、比較出来るのかなぁ……と、私は思わず首を傾げてしまいました。
まぁ、数字の出所はおそらく「アメリカ」で、それを鵜呑みにしたままそう叫んでるだけなのかもしれませんが――。
こういう言葉を悪戯に叫んで「そうなんだ! 今はそんな不況なんだ! ひゃぁ、リストラにあっちゃう!」なんて恐怖心を煽るのは……如何なものかと、思わず疑問に思ってしまいました。
そりゃ確かに、景気のいい話は聞きませんが――せっかく警告を煽るなら、「もっと根本的解決策的な煽り方」をして欲しいものです。(皆様。くれぐれもこういった情報に翻弄されないよう、注意しましょうv)
私の周りでも、「就職」「安定」「雇用」という言葉に惑わされてしまった人達から、あまりいい話は聞きません。大量リストラが起こるとか、あちこち派遣で面接を受けても落とされてしまうとか――。
今起きているこうした事態というのは、「嵐が過ぎ去るのを待てば、何とかなる」という問題ではないのです。これは明らかに「資本主義形態」であり、「物質を崇拝する姿勢」の根本的なあり方です。こうした「古い社会システム」は今や崩壊しつつあり、
「このままでいては駄目なんだよ!」という天からのメッセージなのだと、私には思えるのです。
もし仮に、このまま資本主義を「維持」させる為に、世界のトップ――或いは、その「黒幕」達が動いたとしたら、次に起こるのは「戦争」か、或いは「大量殺戮」でしょうね。
しかも、誰も気づかないよう進行する――じわじわと進行させていくでしょう。そうすることで、「どこかに荒稼ぎ」をさせ、スイスにある中央銀行で調整を行い、今まで通りの「支配国家」「被支配国家」のバランスを保とうとする……という可能性は否定出来ません。
しかし――もし仮にそうなったら……人間は「愚か」としか言いようがありません。
そこまで人間が愚かじゃないからこそ、今、
「こうした資本主義のあり方は間違っている!」「もっと根本的な改革案が必要だ!」そう叫ぶ人達が次から次へと現れているのでしょう(先日取材したエハン・デラヴィ氏は、まさしくその中のひとりです)。
では、一体「何」が間違っていたのでしょう。
今回の答えは――明白です。
私達は、
「あまりにも、『形あるものだけ』を信じすぎた」ということ。
でも、実際は「形あるもの」を信じているわけではありません。その「形の背後にある法則性を『真実だ』と、信じこまされていた」に過ぎないのです。
先程あげた「100年に一度の大不況」という言葉も、そうですよね。本来、疑う余地はいくらでもあるのに――文字で、しかも「電車の中吊り広告」という目に見える形、宣伝効果の高い形で掲げられていたら、みな無条件にその言葉を「信じてしまいます」。
確かに、信じたものは「中吊り広告の情報」です。しかし、その背後にある法則性はまったくもって「根拠がない」。そこに気づかず、目に入るもの、形にあるもの、肩書きがあるもの、すべてを信じてしまう――これが、何よりも一番代表的な「私達人類の間違い」なんだと、私にはそう思えるのです。
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地球の未来を創造する」で、第一回目インタビューアとして「J’s批判」中島さんの記事を掲載しました。その中で、中島さんは「
今までの権威者が事件まみれだった。最近では、雪印・不二家などの伝統的製造業がね」と語っています。
これは、「私達がしてきた間違い」における、鋭い指摘です。
私達はあまりにも「情報を鵜呑み」にしすぎて、自分で考察、思考することを放棄しすぎてしまった。就職すれば「何とかなる」。雇用先があれば「何とかなる」。
でも、その実体はどうでしょうか?
皆さんにお尋ねします。
必死に就職活動して、就職出来たとしましょう。派遣でも、パートでも、何でもいいです。
「ああっ! 私、毎日ここで仕事出来て、ホントに幸せだわっ!」
そう思える人って、果たしてどれほどいるのでしょうか?
何の為に、働くのでしょう?
何の為に、仕事をするのですか?
お金の為?
生活の為?
そもそも、「そこが間違っている」のではないでしょうか?
私達は「生活の為に『必要』だから」という考え方に拘束され、「本当の意味で『仕事をする』」という目的を、見失っているのではないでしょうか?
仕事というのは、決して「お金の為」にやるものではなく――「役割の為」にやるものなのだと、私は思えるのです。
役割というのは、自分の価値観と、生き甲斐と、目標意識「すべてが合致したもの」です。その目的が合致していれば、どんな苦難な道でも「耐えられる」――そのぐらい、意義深いものです。
役割は、常に「信念」と一致しています。マザーテレサの生き方のように、マンデラが27年間も投獄されるという凄まじい体験をしながらも、自分の信念を決して曲げなかったように、イエス・キリストが「自分の信念」に基づいて、十字架を背負いながらゴルゴタまでの道を歩いたように――彼らは「自分の役割(言ってしまえば使命に近いほどのもの)」を熟知していたからこそ、それがなし得たのではないでしょうか。
勿論、それは必ずしも「デカいもの」である必要はありません。
「私は何故、この仕事をしたいのか」そうした
「目的意識」に立ち返ることが大事なのだと、そう思えるのです。
あてに出来るのは「企業」でもなければ、「肩書き」でもない。
本当に信じられるのは、自分の信念。自分の目的意識のみです。
社会の崩壊は、人類にこうした「目的意識に立ち返れ!」そのメッセージを送っているのではないでしょうか?
システムに支配され、物質に拘束され、ただ子羊のように飼い慣らされた人生を生きるのではなく、
「自らの人生を創造しなさい」――そう、メッセージを送っているように思えるのです。
ある意味これは、昨日書いた「次元を超えた改革案」。人間の通常意識では答えの出せない問題かもしれません。
ですが、きっと「人類は気づける」――私はそう思います。
皆さんに、憶えていて頂きたい「素晴らしい言葉」があります。
「試練は『超えられる者』にしか、与えられない」 人類が試練を与えられているとしたら、それは「超えられる」ということを、すでに約束されていることの証なのです。
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