現在、篠崎14日公開予定の「
地球の未来を想像する」の準備に追われています。同時に、急遽14日に打ち合わせが入った為、
「ねぶた祭りもびっくり!」ってぐらいの「てんやわんや状態」です。←って、どんなだよ;
14日公開――とはいえ、打ち合わせの関係上「夜」になると思います。「エハン・デラヴィ氏の記事」も
メインサイトに公開予定ですので、楽しみにお待ち下さいませ。
尚、この取材記事は正直言って「WEBで見切れる内容ではない(あまりにも深いし、速読出来るものでもない)」ので、
機関誌第一号として販売もします。WEBでは掲載されないエハン氏の写真や、その他、WEB、ブログでは掲載されない記事も含まれておりますので、是非ご利用下さいませ(詳しくは後日、改めてお知らせ致します。)
さて……そんな地獄のさなかの篠崎(苦笑)。すみません……、ブログ記事まではさすがに手が廻りませんでした。過去ブログ「思考世界」からの転載をしますが……改めて読み直して、「これだけ著しく変わったスピ業界。何故、『この部分』だけは変わってないのだろう」と思わず首を傾げてしまっていました。
2008年1月1日の記事なので(って、そんなめでたい時に何、真面目くさいネタ書いてンでしょうね)、約2年前の内容です。しかし、中には「今も……大差ないかもしれない」そう感じる方がいらっしゃるかもしれません。
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2008年1月1日 過去ブログ「思考世界」より転載スピリチュアルの二極化 ここ最近のスピリチュアル動向を見るに、幾分「二極化」の傾向にあるような気がしています。
純粋にリベラルな視点で見ればそれは悲観するようなことでもないのですが、ただ、このまま進んだ場合の方向性が漠然としているが故に、一抹の不安を感じていたりもします。
ちなみに。私がここで定義する「スピリチュアル」は、「オカルト」と別枠で解釈しています。
「え? 何がどう違うの?」と思う方も多いかと思いますが、スピリチュアルは
「一個人に対する霊性(個性を伴う内面)に則した哲学」であると定義しています。ですので、超常現象などを対象とするオカルトとは質を異にしている――そう私は解釈しています。
確かに、スピリチュアルもオカルトも「内的思索」か、或いは「外的現象」かの違いだけと見れば、それこそ親戚同士のようなものです。しかし、それを混同してしまうと本来スピリチュアルが目的とする
「霊性を認めることによる人生の向上」や
「生きる目的の探索」が二の次にされてしまいます。
死後の世界はスピリチュアルにとって「切っても切れない論題」ではありますが、あまりに「死んだ後、こんな世界に行くんだ」だの「あんな次元にあがるんだ」だの外的現象ばかりを問う人は、オカルト分野に「おいきなさい」と、どこぞの門番同様送り出したくなります。
(余談ですが、ウパニシャッドの「梵我一如」でも知られるように、「宇宙」と「我」は一体です。死んだ後の世界が知りたいという方は、それがどんな世界なのかの情報ばかりを追い求めるのではなく、自己を見つめることが一番手っ取り早いように私には思えます。「自己を深く探ること」はイコール「宇宙を知ること」にも繋がるはずです。)
スピリチュアルの主体は霊性ですが、それと同時に
「今、この人生を如何に生きるか」を問うものでもあります。
そして、ここ最近それが「二極化の傾向にある」――そう私は感じている次第です。
もっとも、それは今に始まったことではなく、スピリチュアルが注目され始めた頃から少しずつ兆候はあったように思います。
もともと、日本にスピリチュアルという概念はありません。この言葉自体は、スピリチュアルカウンセラーの江原氏が広めた言葉です。
しかし、本来日本人は非常に精神性の深い民族故、この言葉は「あっ」という間に浸透しました。ただ、如何せん精神性は深くても、どこか「現世利益的傾向」も強い現代日本人――どうもスピリチュアルの概念が違う形で浸透しているような気がしなくもない昨今です。(ちなみに、それはアメリカ人的成功哲学の影響も強いと思われます。)
先日、「スピリチュアルの簡易化」について触れましたが、私が昨今感じる二極化は
「スピリチュアルを簡易に解釈しようとする派」と
「あくまで学術的に掘り下げようとする派」の分岐です。(ちょっと長いので、前者は「お手軽派」。後者は「勉強派」と仮名します。)
個人的に私は、「お手軽」だろうが「勉強派」だろうが、その差は「ない」と思っています。仏教も「唯識三年、倶舎八年」と言われる程習得に時間がかかる学術系があるかと思えば、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成仏しちゃう(さらに悪人もOK!)という浄土真宗のような教えもあります。でも、前者(法相宗)を学んでいる僧侶が「ナムアミダ~」と唱える庶民を捕まえて「ずっる~い!」って文句を言うわけでもなければ、庶民が法相宗の僧侶を捕まえて「勉強なんかして、馬っ鹿みたい!」と言うわけでもありません。
個人的見解を述べれば、今後スピリチュアルは「多様化が完全に分岐するだろう」と思っています。より日常に近いセッションに関するものもあれば、「お手軽派」もあり、そして「勉強派」もあり、という感じで。
それそのものは決して悪いことではないのですが――。
私が危惧しているのは、「勉強派があまりに少数」だということです。
本来、宗教なり哲学、他文化が浸透する流れは、「高度→簡易化」という流れが存在します。先に挙げた仏教に関しても、日本に入ってきた時はそれこそ一部の僧侶達が中国古典と向き合いながら、努力を重ねて広げて行きました。法相宗は仏教の「論」にあたる部分ですが、これも日本仏教でも古い時代に誕生しています。
民衆に仏教が浸透したのは鎌倉仏教以降のことで、かなり後の時代になってからなのです。
民衆に浸透する――イコール「簡易化」は、常々
「時代の後半に起こる」というのが通常の流れでした。
しかし、この「スピリチュアル」に関しては、最初に「簡易化」から始まってしまっています。
勿論、それは社会の体制など時代の背景が影響しているので一概に言えませんが、最初に「お手軽派」から入ってしまうと、それをのし上げて「勉強派」に転じて行くのには二倍のエネルギーが必要なのではないか、私にはそう思えるのです。
ちなみに。
私自身は、「勉強派推奨」の一人です。
だからこそ、この「思考世界」は「スピリチュアルではなく、『霊学』」と拘っていたりします。
英国にはスピリチュアルの公的機関における講座なりがあるようですが、残念ながら日本にはありません。とはいえ、もし霊学を本当に「アカデミックな学術機関」として捉えるなら、ただ霊学だけをすればいいってなもんじゃありません。何故なら、霊学は「生きた学問」であり、「現実の世界に直結した学問」だからです。
現実を無視した霊学であれば、「学問」という名を返上せねばなりません。学問は主観では成り立たず、客観的視点で切り分けてこそ「学問」と呼べるのですから。
そうなれば、当然「ふつ~に歴史」も勉強する必要がありますし、「ふつ~に経済」を勉強する必要もあります。もし「そんなんヤダー」っていうのなら、「スピリチュアル技術専門学校(ってのが、あると仮定して)」のようなものも出来るかもしれません。
学問と言う以上は、他分野との比較が重要です(私がシュタイナーを学ぶのは、それが理由です。彼が「聖者」ではない、他分野を学んだ「学者」だったからこそ、彼の論理に正当性があるのです。)。大学の一般教養のような形で学んだ後、専門分野として「霊学」というものがあったとしたら――これは本当に理想的です。
……って、現代の日本においてはほんと~に「理想」で終わっちゃいますが……。
タイトル「スピリチュアル二極化」としましたが――現時点ではそう言い切れない程、「勉強派」は少数です。
神智学や、シュタイナーの人智学に進む人も、途中で「教育論」に転じるか、或いは「修行系」「宗教系」に傾くかしてしまい、厳然たる「霊学」として残っている人はあまりいないのが現状かもしれません。
かつて「哲学は万学の女王である」と言われた時代がありました。
しかし、私は本来その「哲学」の部分に「霊学」が当てはまっていいはずだと思っています。(そんなこと言ったら、哲学者に殴り殺されそうですが――)
すべての学問において「人間の思考が中心に据えられる」のであれば、それは
「霊性が中心」であるのと同義です。本来、霊性の中ですべての現象を紐解くのが理想的であるはずなのです。(ちなみに、それ故私は哲学だけでなく、「国際政治学」「経済学」にも手を広げています。)
シュタイナーがいい例です。彼は自らの人智学を基盤に建築、芸術、教育――晩年には経済論にまで言及していました。あまり浸透はしませんでしたが、理想社会に対する社会論を構築していたこともあります。
思考がしっかりしていれば、どの分野の学問も網羅出来るはずなのです。私は、そこまで霊学が確立すればいいのにと、心から願ってやみません。
「お手軽」は決して悪くありませんが――やはり社会や時代を構築するのに「知識」や「知恵」は必要です。
でも、日本のスピリチュアルがそこまで行き着くのは――まだ当分かかるのかもしれません。
(2009年11月12日追記)そして、今も「まだまだだな~」と(笑)━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━
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「2012年『後』・地球の未来を創造する」
2009年12月12日 新宿にて開催
根拠のないアセンション論などではなく、現実問題、およびそこから派生した考察に基づいた対談を予定しています。今や、「不思議な現象」というのは誰もが体感する「普通のこと」となっています。それだけ、時代の加速化が進んでいる証拠でもあるのでしょう。
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