私は「二元論」「二律背反」など、対立概念に基づき世界を見たくないという姿勢の人間です。
かといって、何でもかんでも「すべてに意味があるなら、それでいいじゃない」と、野別幕無しALL OKにするのも理不尽だと感じています。
「闇は、闇である」という自覚の中、それを受け入れ、かつ闇のもうひとつの側面である「光の側面」を見ることが、本来正しい筋道のように思えるのです。
スピリチュアルな世界だけに没頭すると、「現実の闇」が見えなくなってしまう。今現在、世界で苦しんでいる人達、不況に苦しむ人達の痛みが分からなくなってしまう。
それでは、この世に生まれた理由がなくなるどころか、「スピリチュアリズムのあり方そのものに、反してしまう」――そう思えます。
維摩経に出てくる維摩居士の言葉、
「衆生病むが故に、我もまた病む」や、宮沢賢治の詩
「まことのことばはここになく、修羅の涙は土に降る」――こういう言葉にこそ、本当のスピリット(精神=霊性)が宿っている、そう思えるのです。
「現実の闇を見つめる」ということ――。
それは結果的に、闇の向こう側にある「光」へと繋がる。陰陽図のように両者結びついていて、互いに「ひとつの側面に過ぎなかった」ことを実感する瞬間となる――。
過去ブログ「ひとりの祈りから」の過去記事「闇を見る―9.11の真相はどこに―」を転載します。
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2009年2月28日 過去ブログ「ひとりの祈りから」より転載闇を見る(1)―9.11の真相はどこに― 「地球の進化」――これが、このブログにおけるメインテーマです。
しかし、進化を謳う以上、より正確に「現実」を踏まえる視点も欠かせません。時代の長所ばかりをターゲットにしていては、足下が疎かになりがちです。かといって、闇に気を取られてばかりいては、第一歩を踏み出す勇気が削がれてしまうでしょう。
光と闇。この両者を見据えることこそが、「前進における不可欠な要素」だと、私は強く感じています。
このブログでも、私自身が感じた「光」と「闇」を、カテゴリーとして独立させて連載していきたいと思っております。まず最初に、私が「何故国際分野に転向したのか」、その動機を、綴らせて頂きます。
***
私は現在、アラビア語の習得をしつつ、同時に英語、国際政治や経済界に及ぶ幅広い分野を勉強中です。巷でこのことを話すと、決まって
「何故、哲学科から国際分野に転向したの?」と聞かれます。
……確かに、一見すると「まるで無関係」な気がします。しかし、私の中には「明確な理由」が存在しているのです。
それは、2001年に起きた
「9.11」がきっかけでした。
先に挙げたように、私は本来「哲学」に慣れ親しんでいました。同時に精神世界と触れあう機会も多く、宗教紛争にも強い関心を抱いておりました。
しかし、今まで抱ていた関心など吹き飛んでしまう程の衝撃を、この「9.11」から受けたのです。
当時、私は主婦業の傍ら、司法書士資格を目指して受験勉強をしている最中でした。
しかし、この事件をきっかけに自分の価値観が根底から崩れてしまい、
「自分はこうしてのうのうと、平和をただ満喫していていいのだろうか?」という疑問に苛まれるようになったのです。
それ以降、「日常の喜び」というものを、私は感じられなくなってしまいました。どんなに楽しいひと時を経ていても、心のどこかに「こんな時間のさなかにも、世界のどこかで紛争が起きている」という呪縛から、逃れられなくなってしまったのです。「日常の幸福」というものが、あの日を境に私から遠ざかってしまったのです。
私は当時、「平和に罪悪感を感じるようになってしまった、自分自身を救う意味」で、「9.11の真相」を探るべく情報をかき集めました。
しかし、どれも似たような情報ばかり。
何故あれほどの悲劇が起きて、何故多くの人が亡くならなければならなかったのか――何故、あれだけ大きなビルが「まるで積み木を崩したかの如く」粉砕せねばならず、何故それを学者達は予見できなかったのか(仮に予見出来ていれば、消防士達の犠牲はもっと最小限に出来たことでしょう)、そうした私の疑問に対する明確な解答は、何ひとつありませんでした。
ただ、事件から数ヶ月後、一度だけ「ツインタワーは『爆破』されたのだ」という記事を見かけました。(あまりに一瞬だったので、新聞でだったか、ネットでだったかさえ覚えていません。)その意味が当時の私には理解出来ず、もう一度読み直したいと思った為再び探したものの、結局見つかりませんでした。(再びその記事に出会したのは、7年後――つい先日のことです。)
そんな疑問を抱く私を取り残したかのようにして、世界は新たな「紛争の渦」に巻き込まれていきました。
未だ9.11にまごついている私を後目に、イラク戦争によって「さらに多くの人々」が犠牲になって亡くなりました。
ですが、9.11以降、中東で起きた紛争の多くは「テロを理由とするには、あまりに不釣り合いな程の被害」を及ぼしています。
これらの戦争には一体、どんな意味が隠されているのでしょうか? 9.11の事件性そのものが薄らいでしまう程、悲惨な現実が突きつけられているのは、何故なのでしょうか?
まるで、私達を
麻痺させて、9.11そのものを『些細なこと』と感じさせようとしているかのような数々の事件は、一体どのような意味があるのでしょうか。
先述しましたように、私にとって9.11は「人生そのものをひっくり返してしまう程、衝撃的、かつショッキングな事件」でした。
しかし、年数を経るに従い、「9.11は、その後に引き起こされる悲劇の幕開けに過ぎなかった」ということを実感せずにいられません。
あれから8年。その間に、中東における紛争の犠牲者は一体どれほどの数でしょうか。少なくとも、9.11事件被害者の数倍、数十倍に至ることでしょう。
9.11当時の私の心境は、ただひたすらに「ビルの中で犠牲に遭った人々」および、「その遺族」達に注がれていました。
崩れ落ちていくビルの中で救援を求めていた人達の恐怖を思うと、私は今でも胸が痛みます。実際に108階にいて、消防署に助けを求めてきた女性の録音再生を聞きました。彼女はこのように、叫んでいました。「床が次々と崩れていくの! みんな、巻き込まれて落ちてしまったわ!」
高層ビルで仕事をしたことがある人なら、この恐怖をすぐさま想像出来ることでしょう。自分の足下が崩れ落ちていき、共に働いていた同僚や上司が落ちていく姿を目の当たりにした恐怖と哀しみ――それは筆舌し難いものがあるでしょう。
こうした体験談を聞けば聞くほど、私の視点は「アメリカに同情的」になりました。
今現在も、犠牲者の方々に捧げる想いは変わりません。しかし、今の私には強く「真実を知りたい!」という想いがあるのです。
アメリカに同情的だった私にも、当時から拭いがたい疑問が残っていました。
それは、「高層ビルって、あんなにも脆いものなのか?」という疑問です。
今までにもビル火災って、普通にありました。しかし、どんな火災であれあのように「木っ端微塵」になってしまった例は他にありません。ジェット噴射が理由と言いますが、それはあまりに根拠薄弱ではないでしょうか? もし仮にジェット噴射がそこまでの高熱であれば、滑走路のアスファルトは溶けてばかりで、でこぼこになってしまっていることでしょう。
その上――二棟も崩れ落ちるというのが、不可解でした。もしも「ツインタワーは、熱に弱い造りだった」というのが事実であったとしたら、何故、二機目が突入したビルの方から崩壊したのでしょう。熱を理由にするのであれば、突入から時間の経っているビルから崩れる方が自然な気がします。
それと、「あれだけ空路に神経質なはずのアメリカが、観光機がルートを外れる」ことを許してしまったのか、ということです。管制塔はその頃、一体何をしていたのでしょうか?
これらの疑問は、テロの事件直後からずっと私の中に横たわり、解決されないまま現代に至っています。
しかし、昨今では「9.11はアメリカの自作自演」という説が強くなっています。
ですが、それもまた私は容易に頷くことは出来ません。
精神世界に携わっている人の中には、この事件をまるで他人事であるかのように「あれって、だって自作自演でしょ?」とせせら笑う人もいます。
そういう考え方が、私は一番「大嫌い!」です。
愛の反対語は「無関心」――マザーテレサの言葉を思い返さずにいられません。
大体、自作自演だから、何だっていうのでしょう? あの事件で犠牲となった人達はみな実はスタントマンで、「いやぁ~、今日の役は難しかったなぁ」と言いながら、笑って帰ってくるとでもいうのでしょうか?
真相は確かに見えていませんが――「多くの人達が犠牲になった」という現実からは、絶対に目を背けてはいけない、私はそう思っています。
今、私は9.11や紛争に関する書籍を読んでいる最中です。9.11に関しては最近一部の出版社しか扱っておらず(ほとんどが「アメリカの経済崩壊」についてやオバマ氏の書籍ばかりです)、もはや忘れられつつあるも同然です。
しかし、この事件は「今ある中東紛争を見つめる」為にも、絶対に必要なものだと――私はそう思います。
同時に。
私はこの事件の裏に、様々な「陰謀」が隠されているように思えてなりません。
そして今もまだ、私達は「究極の真実」に気づかないまま、生きているように感じる今日この頃です。
見かけだけの「真理」ではなく、「未来を見据えた真理」に到達出来るよう、私達は個々人の「判断力」を成長させる必要性を感じる次第です。
━━━━━━━━━━━(過去記事転載・以上)━━━━━━━━━━━━━━
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