グラウディング

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             【撮影者】織人文様/Silent Sea
 こんなふうに足下を見つめたのは、いったいいつ以来だったか…
  毎日、毎時間、足は働き続けてくれているのに、そのことに対してあまりにも無関心だったのではないだろうか
  身近な一歩を大切にせずして、大いなる一歩なんて踏み出せるはずがないというのに──。



 今も昔も、スピリチュアリストの中には現実逃避してしまう人が後を絶ちません。
 特に、チャネリング系の異次元体験が流行り出してからは、「本当の自分はここにいない。今の自分は本当の自分ではなく、天使の姿をしていて違う世界にいる」といったことを(本人は)本気で信じてしまうようなケースもまま見られます。

 とはいえ…。
 以前の篠崎だったらそういう方々を「甘い!」と一刀両断しちゃったのでしょうが──最近、様々な人と触れあっていく中で、必ずしも本人だけに弱さがあるわけではない…そう思うようになりました。
 先日知ったのですが、統合失調症というのは「ストレス耐性が未熟であることが原因で生じる脳の神経伝達物質異常」であることが医学的に判明したそうです。ややこしい脳神経伝達うんちゃらというのはこの際おいておくとして、この中で私が注目したいのは「ストレス耐性が未熟である」というところです。
 統合失調症にはいくつか型があるのですが、発症した年齢、および症状によって破瓜型(はかがた)、妄想型、緊張型といったタイプに分かれます。中でも「破瓜型」は、発症年齢が思春期に集中しています。思春期といえば、子ども達が成長していって「外的社会の仲間入りをする準備期」にもあたる大事な時期ともいえるでしょう。
 そういう時期に──例えて言えば、温室育ちで冬の木枯らしや夏の豪雨を浴びたことのない苗に、いきなり温室から出して「きれいな大輪を咲かせよ」というのは無理難題というものでして──外気に耐えながらも大輪を咲かせるのであれば、芽が生えた頃から少しずつ慣らしていく必要があるのでしょう。
 人間も同じようなもので、徐々に外部環境に慣れていくことが必要だったにも関わらず、その過程やステップアップがうまく行かず、急激な環境変化なり人間関係の変化なりが生じると、人というのはそのギャップに耐えきれず発病してしまったり、或いは逃避してしまったりするものなのかもしれない──それはそれで、人の精神における防御機能として必要なことなのかもしれない、そう思います。

 なのです、
 防御機構はあくまでも「防御」であって、一時的な避難場所みたいなものです。
 いつまでたっても避難場所にいる──というのは、それはそれで問題だとは思います。
 
 これ、スピリチュアルという分野においても同様じゃないか──私はそんなふうに思っています。
 いつまで経っても、スピリチュアルというのが甘い「癒し」とされるだけのものであって、はたしていいのだろうか、と。
 スピリチュアルそのものが「一時避難場所」のような状態のままでいるから、こうした状況をいつまでも引きずってしまうのではないだろうか──と。

 現時点のスピリチュアル分野の働きは、人々にとって「癒しを提供する」という意味で充分な働きをしていると思います。しかし、そこで満足しているだけではいけないのではないか──私はそう思います。
 現に、看護の世界ではスピリチュアルという分野を活かしている場面が多々あります。日本の看護はまだまだそこまで到達していませんが(おそらく20年は遅れていると思います)、アメリカ・コロラド大学のジーン・ワトソン博士は、コスモポタリズム(宇宙論)から看護を捉えているほどの人です。
 少しずつではありますが、今の時代はスピリチュアルと三次元での仕事が融合し、活かされようとしてきているのでしょう。
 看護に限らず、他にも融合出来る分野はあるはずです。教育分野はすでにシュタイナーが行っていますが、福祉だって活かせることがあるかもしれない(福祉という理論に活かす、など)、それどころか、本来は社会や国家を育成するのにスピリチュアルな視点は「絶対抜いてはいけない要素」だと思えるのですが…。
 なぜ、今に至るまでそれが活かせなかったのでしょう──すごく疑問です。

 今まで私たちは、個々人で「グラウディング」の必要性を説かれてきましたが、今やすでにスピリチュアルという分野そのものをグラウディングし、実社会に応用していかなければならない時代になってきているのだと思います。
 そのためには、「今」目の前にある現実に、どれだけ心(魂)を籠めて生きられたか──それが大切になってくるのでしょう。
 目の前の現実を大切にしていける人には自ずとスピリチュアルそのものがグラウディングし、実社会をよりよく変えていくためにどのようにすればよいか、そんな知恵が浮かんで来るのかもしれませんね。



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今の精神世界への警告(5)自分の「軸」を持つ

 「アセンション 真実への完全ガイド」を執筆していた2年前からすでに感じていたことですが、最近ことさらに精神世界における情報が多様化しすぎている印象を受けます。
 拙著にも書きましたように、あちこちで流布されている情報は「どれも真実で、どれも嘘」なのかもしれません。決めるのは、あくまでも「自分自身」です。
 しかし──最近、この「自分自身」を見失っている傾向が散見されています。

 その前に付け加えておきますが──ここでいう「自分の軸」は「エゴ」ではありません。似ているものでもないし、「完全に異なるもの」とお考えください。
 この「自分」と「エゴ」をごちゃまぜに考えてしまっている人も、最近多く見られている印象を受けます。

 「自分の軸」と「エゴ」を見分ける簡単な方法をご紹介します。
 「自分の軸」をしっかり持っている人は──他者からの指摘、批判、反対意見、何を聞いても「動じることがありません」
 何故なら、その人にとって他者の意見は自分の軸をさらに強くさせる為の良き肥料だからです。もしもその意見が「あ。自分の軸には必要ないや」──そう思えば、ただ聞き流せばいいだけの話ですから。批判や指摘に「感情的になる必要さえない」ことを、自分の軸を持っている人達はよく分かっているのです。

 一方、「自分の軸」を「エゴ」と勘違いしてしまっている人は……他者からの指摘、批判、反対意見を「受け入れることが出来ません」。
 頑なに耳を閉ざし、自分の世界に引き籠もろうとするでしょう。自分を正当化する言葉を探し、自分の内面から「自分を支えるもの」を探すのではなく、外部にあるもので軸(に間違えているエゴ)を補強しようとするでしょう。
 そうすればする程、エゴは増大化していくことに気づくことさえなく──。

 さて──。
 ここまでお読みになって、皆さんは「私は、自分の軸がある」もしくは「あれ? もしかしたら……持っていないかも」などなど、色々なことを考えているかもしれません。
 ひとつだけ──はっきりと言えることがあります。
 「エゴ」を「自分の軸」と勘違いしている人は、概ね「攻撃的」ということです。

 概ね──? 
 いえ……たぶん「例外なく」攻撃的かもしれません。
 自分の軸がある人は、最初から「攻撃を知らない」からです。何故なら、奪われるものもなく、奪うものもない──ということを知っているからです。

 この境界が曖昧故に、精神世界の一部分では混乱が生じているように感じます。
 たとえば「地球に国境は必要ない」ことから、「『地球人』としての意識も持つ必要がない」と感じてしまう人が出てくる危険性です(すでにこう言っている人は、多かれ少なかれ散見されます)。
 アセンションをテーマにした途端、精神性がまだきちんと地球に根付いていない人の中にはすぐさま地球を飛びこえて「宇宙」へと行ってしまう人がいるのです。
 それは、たとえて言えば野に咲く花を踏みつぶしていることに気づかず、遠くの星ばかり眺めているようなものです。
 足下に咲く小さな花の美しさに気づけないうちは、どんなに遠くにある壮大な銀河の美を見ようとも、その美しさには気づけないはずです。

 私たちに必要なことは、まず「足下を見よ」ということでしょう。
 大地にしっかり立つ「足」を見つめ、空気を感じている肉体を通じ、両手を空に大きく広げ──その時に「初めて」、宇宙の息吹が感じられるはずです。
 いわば、まずは地球に「しっかり!」根を張ってからでないとアセンションなんてただの絵空事になってしまう──ということです。

 そして、このしっかり大地に足をつけることこそが、「自分の軸を持つ」ということでもあります。
 軸を持つ人は、ただひたすら慈愛を実践出来ます。
 大地から注がれる栄養・水などを、しっかりと根を張った樹々は吸い上げています。しっかりと根を張っているからこそ、大地(地球)からの愛を樹々は受け取り、それを体に廻らせて、太陽から降り注ぐ光(慈愛)を受け取り──そうした二つの循環があるからこそ、樹はやがて「大樹」となるのです。

 人間も、樹と同じようなものなのです。
 軸がしっかりある人は、根を張った樹のように「様々な愛や栄養分」を内面の奥底から吸い上げてくるでしょう。
 それが太陽の光に混ざる高次のエネルギーに照らされ、どんどん、どんどん成長していきます。
 軸がしっかりある人は、決して「愛が枯渇しない人」になります。
 何故なら、「宇宙に愛は無限に存在し、軸をしっかり持つことでそれが根の役目として、自分の魂を永遠に充たし続ける」ということを知っているからです。

 では──逆のケースも説明しましょう。
 自分の軸を「エゴ」と勘違いしてしまった人。(もし「自分がどちらか、判断がつかない」という方は、自分が誰か周囲の人から批判されたり攻撃されたことを想像するといいでしょう。その時、自分が「どんなふうに感じたか」──反論したいと思ったか、或いは「相手と共に、理解しあえる着地点を見つけたい」と思ったか、そのどちらかで、あなたの中にあるのが軸なのかエゴなのか、分かると思います。それでも分からないという人は……嫌いな誰かを想像するか──もしくは、「テレビのチャンネルをつけてみる」でもいいかもしれません。……きっと、某国でのデモの内容が、どこかしらでやっているでしょうから──。)

 エゴは「軸」のようにすっきりしていないので、色々なものが周りに付着しています。「プライド」、「見栄」、「いい人だと思われたい」、「人気者でありたい」、「必要とされたい」……etcetc。
 本来であればもっと細くて、しかも頑丈なはずの軸なのに──長年に渡って色々なものが付着してしまったがために、「付着してぶくぶくに太くなった軸」を、「自分の軸」と勘違いしてしまうのです。

 また、いろいろなものが付着すればする程、強度は弱くなるでしょう。人間の肉体も、肥満体になればなる程、健康が脅かされてしまうでしょう? それと同じことです。
 でも、エゴを「自分の軸」と勘違いしてしまっているので、どんどんそれを充たそうとしてしまいます。

 そうすれば当然、地球からの恵である愛は──届かなくなります。一生懸命、地球は栄養分を──水を差し出そうとしているのに、エゴがいっぱい付着しているから、芯の軸まで「届かない」のです。
 また、エゴは地球が差し出してくれる愛など、「好きではない」のです。
 彼らが好きな栄養分は──「刺激的な言葉」「安直な驚き」そして、「依存させてくれるもの」……。
 地球には、地球本来のエネルギーだけが廻っているのではなく、人間自身が生み出した怠惰なエネルギーも大量に流れています。
 エゴは、そういうエネルギーばかりを酔狂に探しては「いっぱい!」吸って──そうしてまた、ぶくぶくと太っていくのです……。

 余談ですが──。
 先日、浅川嘉富氏の講演会に参加した際、とても興味深いお話を聞きました。
 今からご紹介するお話は浅川氏の著作でも紹介されているようなのですが、私は残念ながら該当する本を持っていなかったので──記憶に頼ってお話致します(詳細が多少異なっているかもしれませんが、何卒ご容赦ください)。

 それは、とある女性が見た夢の話でした。
 その女性は、ある日、政府が「宇宙人が○○の海岸に降りてくるので、みんなで出迎えてください」と発表する夢を見たそうです。
 多くの人は喜び勇んで(中には疑い半分の人もいたのかな?)海岸に向かったそうですが、その女性は何だか嫌な予感がして、海岸とは反対の方向に行ったそうです。
 するとその丘には「大型宇宙船」があったそうです。宇宙人が降りてきて、その女性に「この放送はデマで、今から来るのは津波だ」と教えました。
 女性は慌てて宇宙船に乗り込み、海岸に向かった人達を助けに行きましたが──どうしたことか、彼女が何度「危険が迫っているから、みんな避難して欲しい」と呼び掛けても、海岸の人達に声が届かなかったそうです。


 やがて津波が襲い、多くの人々の命が奪われた──という内容でした。

 さて……この話を聞いて、皆さんだったらどう思われるでしょうか?
 「直感って、大事だな~」そう思う方も、いるかもしれませんね(まさしく上記で言えば、自分の軸があって直接地球から愛を受け取っている人達は直感が鋭くなっているはずですので、その通りだと思います)。

 ……ただ、ですね。
 この夢の物語には、直感を受け取れるか否かという以前に、その人の軸を定めるためのポイントが含まれている──私にはそう思えたのです。

 例えば、皆さん──。
 皆さんだったら、上記のように宇宙人の存在を公的に報道され「出迎えて欲しい」そう放送があったら……「海岸に行きますか?」

 数行空けますので、じ──っくり!考えてみてください(笑)。




 ……………………。





 さて、どうでしょうか?

 色々な意見が出たと思います。
「行く行く! 絶対に行く!」という人もいれば、

「う~ん……。こないだ、インディペンデンスデイの映画観ちゃったからなぁ……。あれ観ちゃうと、怖くて行けないよな~」という人もいるでしょうし、

「友達が行くんだったら……仕方ないからついて行こうかな」って人もいるでしょうし、或いは

「ってかぁ。そもそも俺、毎日海岸でサーフィンしてるからぁ、宇宙人とか関係ないしぃ」って人もごくごく少数いるかもしれません(笑)。


 誰の意見が「どうであろうと」、そんなことは「どうでもいい」のです
 上記の夢では「政府が流したデマ」でしたが──これもまた、デマであろうが「どうでもいい」のです
 もし、こういう夢があった──という話を聞いた後に、実際に政府がそういう発表をして……「あ! 篠崎のブログに書いてあった! 来るのは津波だ! 俺、行~かね!」って思って待機していたら──実はそれが「ホンモノの宇宙人が来ていた」と知ったら……
「くっそ──! あいつのブログを読んでたから、行かなかったのに! 騙された!」

 そう思いますか?

 そういう放送があって「行こうが」、
 「行きたくない」と思って行くまいが──
 どんな結論を出したにせよ、自分が出した結論だということこそが「大切!」なのです。
 チャネリング情報だって同じです。
 誰が何を言おうが、誰がそれに対してどんな意見を書こうが、そんなことはどうでもいいのです。
 
 「あなたは、どう感じたのか」それこそが大切なポイントなのです!

 どの情報が信じられる、どの情報は嘘の情報だ──そんなことを言ってあれこれ目移りしている間は、「自分の軸」はまだまだ磨ききれていないのだ──そう思われた方がいいと思います。

 ちなみに、ですね。
 せっかくですので、上記の質問に対する「私自身の答え」を申しますと──


 私だったら、「行かない」です。


 理由は簡単。
 私が高次元人(宇宙人)であれば、そんなお知らせは「絶対にしない」からです。
 それは、まだまだ成長途中にあるこの星に対する「過干渉」となる──私だったら、そう思います。
 多くのスピリチュアリスト達だのチャネラー達だのが「地球人は成長しました」と言っていますが、私の目からは「まだまだ依存心が抜け切れていない」ように感じているからです。
 このような状態で、上記のように「政府が宇宙人が来ることを発表した」としたら──多くの未発達な人達が宇宙人を(今まで神にしていたような)崇め奉り方をし、宇宙人が提供してくれる知識をきちんと消化することなく、「隣の国よりも自分たちの国がより豊かになる方法」ばかりを模索するようになるでしょう。

 そんな危険な賭けを──私たちよりもはるかに慈愛があって賢い宇宙人が、果たして「する」でしょうか?

 私には、「NO」だと思えるのです。
 だから、仮にこのような公式発表があっても「私は行きません」。
 私は出迎えることなく、その宇宙人達に自分の感じている意見を「堂々と」ぶつけるでしょう。
 「まだ地球人は依存心が抜けきっていない。それなのに、大丈夫だとお思いですか? 仮にそうなら、私に納得出来るような説明をください」と。

 さて皆さん──。
 ここで思い出して欲しいのですが、「自分の軸をしっかり持っている人は、他者からの指摘、反対意見、批判に寛容だ」と書きました。
 私たちよりも高次の存在は、「尚のこと」しっかりとした軸を持っています。
 私がここに書いたような質問をしても、本当に高次の存在であれば──むしろ「喜んで」私を納得出来る説明をしてくれるはずです。

 もし、それをしてもらえずに──光線銃か何かで私を「ジュッ!」っと一瞬にしてビフテキにでもしたとしたら……こりゃぁもう「インディペンデンスデイ、好評上映中」って感じでしょうか(笑)。 


 さて……長い余談はここまで、として。
 ここで少し、話を「アセンション」と絡めたいと思います。
 地球の波動が上昇し、光在る次元へと旅立てるようになった時……軸を純粋に地球に「根」として張っていた人は、その変化にもついていけるのでしょう。
 しかし、エゴをいっぱい付着させてしまっている人達は……波動の上昇について行けなくなります。
 何故なら、そもそも地球が差し出してくれる愛でさえも、エゴに邪魔され気づかなかったのだから。
 その人が求めていたアセンションは、「エゴを充たしてくれる、自分にとって都合のいいアセンションでしかない」ということになってしまうのでしょう。

 ここから先は──各自、皆さんでお考え頂ければ……と思います(笑)。
 大切なのは「過程」であって、「結果ではない」からです。
 エゴを付着させている人は、すぐに「結果」に飛びつきます。「消滅する魂があるのかないのか」とか「いや、みんなアセンション出来るんだ」とか、そんなことは本来「大切なことではない」のです。
 大切なのは結果ではなく、一瞬一瞬、アカーシックに刻み込まれていく「私たちの軌跡」なのですから。

 そう──。
 だから、もしもこれを読んでいるあなたが「今まで自分は、エゴのふっとい管みたいな状態になっていた──」そう感じていたとしても、それなら今から、変えていけばいいだけのことなのです。

 方法はいたって簡単です!

 毎日、笑顔を絶やさないこと。
 毎日、道を歩くひとりひとりに、愛を感じること。
 誰かを憎んだり、罵ったりしないこと。
 道ばたに咲く花の美しさに、感動出来るこころを持つこと。

 う──ん……。挙げればキリがないですが……これらの「すべてをする」ということでは決してないので、安心してください(笑)。

 どれか「ひとつ」でいいのです。
 どれか「ひとつ」──あなたが心に決めた「慈愛の実践」を、ただひたすら続ける──それだけでいいのです。
 それだけで、エゴはひとつひとつ、落ちていくはずですから……。
 もし「ひとつじゃ物足りない」──そう思ったら、1週間にひとつの慈愛を実践し、翌週には新たな慈愛を──その翌週には新たな慈愛を追加してみてください。
 1年過ぎるころには、一体どれほどの慈愛が実践されていることでしょうか?

 実践なくして、霊性の成長は「あり得ません」。
 アセンションも然りです。
 今、強烈な太陽の光によって──あちこちで「エゴ」が浮上しつつあります。中には、「最近、どうもイライラしていて──気分がコントロール出来ないんだ」なんて人もいるかもしれませんね。
 仮にそういう方がいたら、それは「吉兆なんだ」とどうぞお喜びください。
 まだ「結果は出ていない」のです。
 と、いうことは──今、これからの一瞬一瞬でアカシックに刻みこまれることこそが、大切だということなのです。

 ですので、どうぞ──「うわっ! なんて自分はエゴの鎧を着まくっていたんだ;」と凹んでしまいたくなったとしても、決して諦めないでください。
 むしろ、「自分はエゴの鎧を着ていた」と認めることが出来たのですから、充分素晴らしいと思います。世の中には、エゴの鎧を着ていてもまったく気づかない人達もいるのですから……。
 気づけているということは、その時点で「充分、変わっていける余地がある」ということなのです。

 問題は……今の時点で「エゴがある、ない」ではなく──「どんな小さなものでもいいから、実践を続けていけるかどうか」です。
 何事も「継続こそが命」ですから──。

 ひとりでも多くの方が、自分の軸に立ち返って──今、太陽から注がれている愛と地球の愛をこころに充たすことが出来ますよう──。


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今の精神世界への警告(4)「感謝」の乱用

 4~5年ほど前から……でしょうか。やたらに感謝という言葉があちこちで見られるようになりました。
 「感謝をする」ということ自体は、とても大切なことだと思います。しかし──これだけのべつ幕無し「ありがとうございます!」「日々に感謝をしましょう!」という言葉が繰り返しあちこちで見られたり聞かれるのは……とても「不可解」に私には思えてしまうのです。

 決して「感謝をする」という行為そのものを否定しているのではありません。
 そうではなく、「感謝って本来『当たり前』のことであって、それが当たり前に出来てないことを取り沙汰すこと自体、不自然なのではないか?」そう思えるのです。
 まるで「マナー広告」みたいなものです。電車で高齢者や妊婦さん、立っているのが辛そうな人に席を譲るのは「思いやりの視点で言えばごくごく当たり前のこと」です。
 それをわざわざ「高齢者の方に、席を譲りましょう!」とか……何でいちいちそんなことを宣伝しなければならないのか、それそのものの方が「おかしい」と思うのです。
 感謝も同じです。本来であれば、霊性が開かれていれば「意識せずとも」感謝が普通に出来ているはずなのです。落とし物をした時に、それを拾ってくれた人に向かって「ありがとう!って言いました」なんて、わざわざアピールする人はいないでしょう? それと同じことだと思えるのです。

 また、感謝という言霊を誤って乱用してしまうことで、それが行きすぎると自分さえ良ければ、他者や世界がどのような状態でも構わないというエゴに陥ってしまいます。
 分かりやすいように、たとえ話で説明しますと──

 あなたの会社に、すごく理不尽なことを言ってヒステリックに騒ぐ、いや~な感じの上司がいたとしましょう。
 言ってることはエゴイスティックで、周りのことも考えない──自分だけが正しいと思いこみ、部下を蔑み、自分よりも上の人にはへつら笑うような、そんな人がいたとします。
 そういう人を前にしたら……上記の「感謝の説」で言えば──

「ああ、こういう人に出逢わせてくれて、ありがとう。この方から学ぶことが沢山あります。この人との出逢いに感謝します」

 ──そういうことになるのでしょうね。
 でも……私は、この視点って「自己満足に過ぎないのではないか?」そう思うのです。

 この理不尽な上司(Aさん)には……このようなエゴイスティックにならざるを得なかった理由や背景が、必ずあるはずです。
 生まれついて、Aさんがエゴイスティックだったわけではないでしょう。
 もしかしたら……ご両親から愛を得られなかったのかもしれない──。
 こちら側が知らないだけで、Aさんにはとても辛い、悲惨な想い出があるのかもしれない。
 それらの過去が、Aさんをここまでエゴイスティックにさせてしまったのかもしれない。

 いわば──Aさんがそのような自己中になってしまったのには、こちら側が想定出来ない、数々の理由があるからなのかもしれないのです。

 それを、「こういう人に出逢わせてくれてありがとう。この方から学ばせてくれて、ありがとう」──そう言ってしまうのは、私はAさんが抱える過去や傷を度外視して、自分さえ都合良くこの場を乗り切ればいいという身勝手な行為に見えてしまうのです。
 それは決して、慈愛ある人のやることではない──そう思います。

 また、これから始めるものごとに対して、潜在意識に働きかけるためか或いは来客を期待してのことなのか「ありがとうございます」という言葉を「誰もまだお客さんがいない状態で、先に」使う人もいます。
 それは、これから起きる純白なまでの未来に対する支配(コントロール)であると、私には思えるのです。

 私は、誰かが何かをしてくれて──或いは、「その瞬間に」感じた時にしか、「ありがとう」という言葉を使いません。
 「ありがとう」という言葉は、本当の意味で感謝したいという想いが籠められているからこそ言った方、言われた方に魂の交流が生じるのであって、その前提がないのに使うのは意味がないどころか、相手の行為を拘束することになりかねない──そう思うからです。

 それから──もうひとつ……。
 感謝というのは言葉にすることに意味があるのではなく、「態度で示すことにこそ、意味がある」のです。
 私もかつて、知人に数名見かけたのでよく分かるのですが……安易に言葉で「感謝しています」とか「ありがとう」という割には、子供に対して嫌悪な表情を見せたり、「感謝します」と言った同じ口で、誰かの悪口を言ったり──。
 明らかに「矛盾した行為」を行っているにも関わらず、そのことに気づいていない──という、とても驚くべき状況を何度か目にしました。

 感謝というのは本来、口にすること、言葉にいちいちすることではなく、その人の表情、態度、行為の中ににじみ出ているものだと私は感じます。
 感謝とはイコール「宇宙(神)の愛を実践すること」なのです。ただただ何にでも「ありがとう」何にでも「感謝します」っていうことは、本当の意味での感謝では「ない」のです。

 そのためには、この茨(いばら)が張り詰められているような、厳しい実社会で生きていく必要があります。
 それをせずして、自分はひとつの家の中だけに閉じこもり、言葉だけで「感謝しています」「ありがとうございます」を繰り返される方は……たとえて言えば座学ばかりして、医療の現場を知らずに「医学を教えようとしている」ようなものです。
 私は、そのような方々の言葉は信憑性がないと思うし、どんなに「いい言葉」を仰っていても「ただの受け売り」にしか見えないのです。

 繰り返しになりますが──「感謝をする」ということは、とても大切なことです。
 しかし、これはとても基本的なことなので、こればかりを強調するのは間違いであるということを、私は申したいのです。

 感謝をするということは、人間の行為に置き換えれば「呼吸をする」のと同じことです。
 わざわざ「呼吸は大事です! 呼吸を日々大切にしましょう!」とは言いませんよね(笑)。それと同じことです。
 そして、呼吸は大前提だけれども──それにも増して「もっと大切なことが沢山ある」ということも、皆さんはご存知のはずです。

 感謝も同じことです。
 感謝をすることで、自分の視野や考えは変わり、環境も変わったように思えることでしょう。
 しかし──このブログでも何度も書いたように、それだけでは世界は何も変わらないのです。
 感謝は「大前提」ですが、そこから先に進むことの方が大切だと──私は感じています。
 先述した「理不尽な上司の例」のように、ただその出逢いに感謝し「自分を慰めた」ただけでは、その上司が抱えている痛み、辛さ、哀しみ──なにも「見えてこない」のです。
 それでは、根本的な解決には至れません。

 感謝は「自分を変えたい」という段階の方には、お薦めの方法でしょう。
 しかし、もうすでにそれを「呼吸をする」のと同じように無意識に出来るようになっている方には、ぜひ、人々の抱えている辛さ、背景、社会が抱えている理不尽なシステムの裏にあるものを「どうやって解決していけばいいのか」──そこと向き合って欲しい……そう願ってやまない今日この頃です。


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今の精神世界への警告(3)安易なヒーラに注意

 ヒーリングという「目に見えないエネルギーを扱うこと」に関する内容はこのブログでも何度も触れ、先日も記事にしたばかりですが、あまりにもずさんな扱いが目につくので、再度記事にします。

 私は自身の霊感体質が原因で「霊的な世界」の存在について幼少期から認識していつつも、それを自ら否定し(何故なら1970年~80年代にこのような体験を話そうものなら「精神的におかしい」と見なされてしまったからです)、葛藤を繰り返しながら、現代に至っています。

 そういう意味では、私は「生まれついてのスピリチュアリスト」だったと言えるかもしれません。
 精神世界(スピリチュアル)が一時期は「あなたの知らない世界」に代表されるような恐怖番組やオカルトとしてしか扱われなかった時代を経て、そこから「カルトブーム」に至り、新興宗教が横行──。
 1990年あたりから「オウム真理教」と並んで、「幸福の科学」「統一教会」などが急成長していくのを見つめ、1995年に起きた地下鉄サリン事件でいっきに精神世界が退いた経緯も、その渦中に立って「すべて」を見てきました。
 
 そこから再び芽吹くきっかけとなったのは、江原啓之氏の功績が大きかったと記憶しています。
 インターネットの普及と伴い、急激に「スピリチュアル」という分野が今までの抑圧を押しのけるかのように伸びて──そして今、大輪を咲かせているかのように──

 見え……ます、「が」。

 私の目からは、本来花が開くべき芽を押しのけて、まったく関係ない雑草も伸び放題になっているかのような印象を受けています。

 そのひとつの例としてあげられるのが──安易に行われている遠隔ヒーリングやエネルギーワークです。(遠隔((一斉))ヒーリングが何故危険なのかについての詳細は、過去記事「今の時代に、心がける必要があること」をご参照ください。)
 先日もその危険性について記事にしたばかりですが、霊性はおろか、人格的にもまだまだ未成熟な人がヒーラーになっているケースが散見されることが判明したので、今回の記事を書くに至りました。

【余談】もしかしたら──これは、ヒーラーに限ったことではなく「ブロガー」にも言えることかもしれません。
 ブログというのは「ただの文章」と思うかもしれませんが、実際にはとても密な霊的なエネルギー交流が行われています。
 はっきりと認識は出来ていなくても、多くの方がブログやメールの文章から「相手の霊的エネルギーのレベル」を感知出来ているはずです。それほど、言葉が載せるエネルギーは「想像以上に大きい」のです。
 そのため、どんなに断定口調なブログであっても、口汚く罵ったり攻撃的なことを書くブロガーは、「良いエネルギーを与えていない」と思った方がいいでしょう。


 私は、「今の時代に、自身の霊性による精査なく、『安易に』目に見えないエネルギーを扱うセッションには参加しない方がいい」と感じています。
 ですが、中には「どうしても、三次元的な生活に疲れてしまっているので、ヒーリングを受けたいんだ!」という方もいるかもしれません。
 そういう方々の望みまでをも、私は決して否定はしません。それに、実際に中には「素晴らしいヒーリング能力の持ち主」だっていらっしゃるからです。

 しかし、くれぐれもご自身で霊性の精査をなさってから受けることをお薦めします。

 今、「自分の霊性の向上をさておき、ただビジネスでヒーラーをしているだけ」という方も増えてきています。
 また、「始めたときは純粋な気持ちでスタートしたけれど、途中で道を踏み外してしまった」という方も見受けられます。

 そのぐらい、霊的なエネルギーに「エゴ」が介入する力は大きいのです。

 もし、ヒーリングを受けたい──という場合、そのヒーラーが本当に澄んだエネルギーの持ち主かどうかを、じっくり霊性で査定してください。
 まず、プロフなり自己紹介なりで「適当」或いは「感覚的に」という文字を連発するような人は「NG!」です。

 これは具体的に三次元世界に置き換えて考えれば、すぐに分かります。
 例えば、あなたが医者にかかったとしましょう。
 その医者から──

「適当にやってます」
「自分は適当な人間です」
「適当な感覚です」

 ……そう言われたら──どう思いますか?

「こんな医者にかかって、平気かな?」
 そうは思いませんか?

 スピリチュアルの世界では意外にも、この「適当」という言葉が横行しています。
 でも、言霊を誤って使ってはいけません。
 適当というのは、「中庸」を意味する言葉ではなく、三次元においては怠惰のエネルギーを包括してしまうからです。

 「適当な医者」にかかってもいいや──という方は止めはしませんが(笑)、命にかかわる重大な手術を「適当な医者」にしてもらいたい──という奇特な方は……おそらく少数だと思います。
 ヒーリングというのは、霊性における重大な手術に等しいと考えた方がいい──私はそう感じています。

 「感覚」という言葉は「直感的な意味」でも用いられますが、「それを前出しにしすぎているということは、『自分の行う行為に関して、責任を放棄している姿勢の裏付け』」になる場合があります。
 何故なら……一見「直感」に思えるものでも、本来は「すべて完璧なまでの背景なり根拠がある」からです。
 それを明確に出来ず、ただ「感覚」だけで誤魔化してしまう人は、いざ掘り下げると「何もない上っ面」だけの危険があります。
 本当に霊性が開かれた(少なくともスピリチュアルを仕事に出来るぐらいの人)であれば、自分の受けた感覚も「明確に説明出来るはず」なのです(このあたりは脳の構造によって説明出来るのですが、長くなるので割愛します。後日、機会があればご紹介します)。

 霊性の向上は、不思議なことに論理性や表現の向上にも繋がります。
 ですので、表現力が乏しく、やたらに絵文字を使ったり、何を意図しているのか不明な文章を書く人は、概ねこの「適当タイプ」に当てはまる可能性があります。
 そのあたりは、その方のブログなりプロフィールを読んで、みなさんの方でしっかり精査されることをお薦めします。

 それから、やたらに「オリジナル」もしくは「○○流(←○○はその人自身の名前が入ります。平たく言えば『自己流』)」を強調する人。
 これは、ヒーリングに限らず、セッション、ワークも「やめた方が良い」と感じます。
 まず、こういうタイプの方はエゴが肥大化している傾向があるからです。
 
 どんなスピリチュアルの流儀でも、まずは「伝統」があります。
 江原啓之氏だって、日本に「スピリチュアル」という言葉を普及させたものの、それはイギリスのスピリチュアル学会にちなんでいることを明白にしていました。
 どのような新興宗教も、その「大元となる出所」があるし、語源もあります。
 それを無視して、「オリジナルです、○○流です」という姿勢は、そもそも知識や情報に対する「謙虚さを失った姿勢」です。
 言ってしまえば「私が一番!」的なスタイルです。
 このような方からヒーリングを受けたり、セッションを受けたら……どうなるでしょうか?

 同じように「エゴ」が肥大化され、周囲が見えない状態で「自己満足にすぎない表層的な幸福」を追いかける結果に陥ってしまうでしょう。

 それから──これは多くの人が「他者の視点では見えていても、自分のことになると分かりづらくなる」一番危険な落とし穴なのですが──

 他者を個人的に批判したり、攻撃するようなヒーラー……。

 これは「問題外!」です。
 私はこのブログを3年間書いてきましたが、誰かを個人的に名指しで攻撃したことは一度もありません。
 ここで指摘していることも、「こういう行動をとっている人には注意ください」とあげているだけで、「○○さんに注意してください」などと、名指ししたことは一度もないです。

 何故なら、問題は個人にあるのではなく、「行為」にあるからです。

 そのような基本的なことを無視して「個人攻撃をするようなヒーラー」は、まず「人間性」から疑った方がいいでしょう。
 しかも、そのような個人攻撃について「疑問視」を抱かない人がスピリチュアリストにいる──というのも問題視すべき点です。

 みなさん、何故、未だに「いじめ」の問題がなくならないのか──ぜひ、考えてみてください。

 大のおとなが──
 あろうことか、精神世界を学んでいますという人が、
 いみじくもヒーラーと名乗る人が、

 そのような個人攻撃に賛同したり、或いは自分からするようでは……「子ども達の間で、いじめがなくなるわけがない」……そうは思いませんか?

 精神世界、スピリチュアリストという以上は、「理想的な人格であるよう心がけるべき」と、私は感じています。
 自分がその努力を心がけることなく「アセンションはしたいです」──って言ったら、それはあまりに「都合良すぎる」という話になってしまいます。
 残念ながら、そういうことさえ度外視にしてしまっている「自称ヒーラー」が増えている側面が見受けられるのです。

 本来、ヒーラーは文字通り「癒す人」です。
 癒すはずの立場の人が、誰かの悪口を言ったり、個人攻撃したり、中傷したり──世の中を癒すどころか、かえって「負のエネルギー」を放出しまくるなんて本末転倒だと、私は思います。

「ヒーラーだって人間だ! 文句を言いたくなる時はある!」

 そう言いたい方もいるでしょう。
 ……大変申し訳ないですが、そのレベルの方は「ヒーラーをやめた方がいいですよ」──そうお答えします。
 少なくとも、そうした俗世的な文句や悪口、中傷すべてから解放された人こそが、ようやく「ヒーラー」となれるのですから。
 ヒーラーというのは「霊的なエネルギーに直接作用する仕事」ですので、本来は「(肉体を扱う)医師よりも重大な役目にいる」のです。
 その自覚なく仕事にするのは、クライアントにとっても危険ですが、本人にとっても危険がつきまといます(だからどんなに純粋な気持ちで始めていても、途中でエゴに呑み込まれてしまうような状況に陥ってしまうのです)。

 もちろん、これらは個人の選択の自由ですので──そういうヒーラーさんがいても「仕方ない」、そう思います。
 ですが、少なくとも「受ける側」の方は、そういう方を選ばないよう、心がける必要があるでしょう。
 実際には、ほんのごく少数であっても「本当の輝きを放つヒーラーの方々」だっているでしょうから、ぜひ、そういう方を探しだすようお薦めします。

 そして、最後に──。

 本来、みなさんはすでに神を内在させているのです。

 すなわち、いつだって高次元と繋がれるのです。

 もはや、ヒーラーと呼ばれる存在を介在させなくても、みなさんの意思ひとつで、いくらでも繋がれるのです。

 そのことを、どうぞ忘れないでいてください。




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【8月19日 第八章「嵐の前兆」公開しました】
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足下に咲く花の美しさに気づけない人は、天国の美しさにも気づけない

 昨日父親の一周忌を済ませ、今日は学校の課題を進めつつのんびりと過ごしていました。
 最近は週末を実家で過ごすことも多く、改めて三浦半島の「春」を体感しているところです。

 春──木の芽時は「エネルギーが満ちる」といいますが、確かにそうなのかもしれません。そう思えるぐらい、近所の公園の周辺には、様々な花が咲き乱れています。つい先程、海まで散歩に行ったのですが、カメラ(というか携帯か;)を持って行かなかったのを心底悔いたほどです。
 日が沈んだばかりの青空は、どことなく黄金色の輝きを帯びていました。天高く一筋に走る飛行機雲が、まっすぐに空を分け隔てています。
 とても綺麗な夕暮れ時の1シーンに──思わず「ふと」、こんな想像をしてしまいました。

 もし、私が「スターピープル」だったら……どう思うだろう、と。

 ネットでは、「自分はワンダラーだ」とか「ウォークインだ」と言ってる人も多いようですが、私はあまりそういうことに興味がありません。仮に自分が「ワンダラー」だの「ウォークイン」だのということをはっきり自覚したとしても、私はまず絶対に「公言しないだろう」、そう思えるからです。
 日本人は何故か、肩書きや名目に弱い傾向を持っています。語られているメッセージの意味よりも、「肩書き」や「名前」ばかりに惹かれ、メッセージの意味を自分で吟味しようとしないところがある──私はそう感じています。
 それほどもったいないことはありません。
 本当に大切なのは「メッセージが含む『意味』」であって、誰が言ったかなんてことは「どうでもいい」のです。もし自分が仮に、ウォークインだのワンダラーだのということが分かっても、それを公言することでメッセージの意味が歪んでしまったり、それどころか情報の混乱を生じさせる危険もあります。そうなっては元も子もないどころか、かえって悪影響を及ぼしかねない──私はそれを危惧しています。

 ……って話が脱線したので、元に戻しますが。
 美しい夕暮れ時を味わいながら、私は「自分がこの惑星を作ったスターピープルだったら、どう感じるだろう」そんな想像を楽しむことにしました。

 相変わらずこの星には戦争も──略奪も、そして飢餓、差別、あらゆる醜いことがらが存在しています。今というこの瞬間にも、誰かの命が奪われ、誰かの権利が剥奪され──自由を奪われている人達もいることでしょう。

 でも、その傍らに──のどかな光景、やすらかな光景が広がっているのも事実なのです。
 言ってしまえば、夢のように美しい現実と、悪夢としかいいようのない悲惨な現実──そのどちらもあわせたのが「地球」という星なのです。

 もしも自分がスターピープルだったら……「こうした様々な事象を含めた状態の地球を、安易にアセンションしていいのだろうか」そう思うような気がしました。
 それって、とどのつまりは「高次元の方が素晴らしい。君達のような低次元な惑星でも、アセンション出来れば我々のように優れた星になることが出来るんだよ」そう言っているような気がしてしまうからです。
 でも、もしも私がスターピープルの立場だったら……むしろ、「この次元にだって、美しいことはいっぱいある。今、目の前に広がる夕暮れの空も、咲き乱れる名もなき花々も、笑顔で語らう親子連れ──すべての中に、天国があるじゃないか」そう思うような気がするのです。

 足下に咲く花の美しさに気づけない者は、
 天国に行っても、その美しさに気づけない──。


 そんな言葉が、脳裏を過ぎりました。

 人々の中にはアセンションを心待ちにし、自分たちのいる状況がどんなふうに変わるのかを楽しみにしている人達もいるでしょう。
 また中には、今いる境遇があまりにも辛すぎて、そこからの救出を待ち望んで、アセンションに期待をかけている人達もいるかもしれません。

 でも──本当に一番大切なことは、「足下に咲く花の美しさに気づけるこころ」なのではないか……そんなふうに、道を歩きながら思いました。
 そしてもし、自分がスターピープルだったら……どんなにこの星が穢れてしまっても、見捨てることは「ない」そんなふうに思います。
 よく「目覚めない魂は、石ころになる」と言ってる人達も目にしますが──それって「神の言葉ではない」ように思うのです。
 勿論、神の定義自体が人それぞれ異なるでしょうから、「愚かな魂は石ころにしてしまえ」という厳しい存在を「神」という人もいるでしょう。
 でも、私にとっての神は──絶対的な愛と調和の存在です。
 私が「至高意識」として感じた、あの感覚──あれこそが、私にとっての「神」であり「宇宙」です。
 愛は打算でなければ駆け引きでもなく、また枯渇することもなければ穢れることもない──。一度は弱くなったり、枯れることがあったとしても、春にはまた芽吹く花々のように循環していくものなのだと、私はそう感じています。

 宇宙船が迎えに来るもよし、石ころになるもよし(笑)──どうなるかなんていうことは、まだ誰にも分かりません。
 ただ私が感じるのは、自分を包む環境の中で「ただひとつでもいい」輝く何かを見つけられたならば、その人はすでに天国の──或いは、遠い宇宙にある素晴らしい惑星の住人になれるのだろう……そんなふうに思う今日この頃です。



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肉体という器の拘束

 私の父は昨年の5月に亡くなりましたが、今でも(霊となった)父との交流は続いています。
 むしろ、父が生きていた頃よりも交流があるかもしれません(苦笑)。
 私と父との間には確執があり、正直に言えば決して家族としての仲が良かったわけではないのです。しかし、肉体の器がなくなって初めて、父の本質が私にも見えるようになり、私自身が父を誤解していたということも知って反省させられることも多々あります。

 父とのやりとりを通じて、私自身が実感を持って学んだことがあります。
 それは、人は肉体をもって生きている間、霊性にない性質を帯びてしまうことがあるということです。

 具体的にどういうことかと言いますと、父には生前、批判的な言動をする癖がありました。昭和初期生まれの男性には珍しいぐらいに、他者の陰口やうわさ話をよくしていたのです。
 一方、私は子どもの頃からそうしたうわさ話や陰口が大嫌いな人で、そんな父を「女々しい」と感じていました。
 ところが──いざ肉体をなくした後に分かったことですが、父の霊性には本来そうした「他者の陰口を言ったり、批判をするという癖がなかった」ということが分かったのです。
 それなら、何故そのような性質が根付いてしまったかと言うと──実は、父が婿入りした母方の実家に、そうした特質が根付いていたのです。
 いわば、「批判的・陰口・うわさ話」という「癖」が、肉体的に接する環境において伝染していただけだったのです。

 その他にも、父が生前好んでいたものが、実際には霊性が求めていたものではなかった──ということも分かりました。父が好んでいたもの──それは「麻雀」なのですが、どうやら戦後、高度経済成長に向かう流れの中にあった当時の大学生の間で「麻雀」というのが時代的に流行していたようなのです。
 一過性で麻雀にハマり、年を経て卒業していく人もいる中で、父はそこからなかなか卒業が出来ませんでした。それが結果的に、後々父を苦しめる原因ともなっていったのですが……実はそうした遊びが、父の霊性において「求めていたものではなかった」ということが分かったのです。

 これは、私にとって「大きな発見」でした。
 要するに、私たちは今、生きている中で自分が「自分の性格」として認識しているものが、必ずしも霊性から来るものだけではないということが分かったのです。
 逆に言えば、自分の中にあるコンプレックス──或いはネガティブな思いなど、そうしたものも実際には霊性から生じたものではない、肉体という器があるが故に生じている、一過性のものである可能性だって否定出来ないのです。

 よく、国民性における価値観の違いや、地域における性質の違いなども問い沙汰されますが、そうしたものも実は霊性における違いではなく、肉体的な制限において派生しているだけという可能性も考えられるのです。
 私は今まで、国民性の違いや地域における違いは「その特性に似た霊性が転生しているのだ」と考えていましたが、実際は「そうではないケース」も多々あるのかもしれない──そう思うようになりました。要するに、もともとは霊性においてその国や地域の特性を持っていなかったにも関わらず、肉体的な遺伝の影響において、本来の霊性にその特性がプラスされてしまうということもあるのだなと、父の霊と交流することで悟ったのです。

 だとしたら──自分の中にあるコンプレックスやネガティブな想念を、「必ずしもクローズアップしなくていい」ということなのかもしれません。
 いえ。むしろコンプレックスやネガティブな想念がその人の霊性のカルマではなかった場合(肉体的な器によって、一時的に表出しているだけの場合)、本当に生まれてきた意味を「はき違えてしまう危険」もあるでしょう。 
 それは実際に、父の霊とのやりとりの中で感じました。
 父の霊性は、元来「人の役に立ちたい」という奉仕精神に満ちあふれていたのです。ところが、肉体的な器から生じたカルマに拘束され、自分が本来抱いていた思いとは「まったく逆の展開」へと至ってしまったのです。
 父がもっとも望んだのは、私たち家族に対して「役に立ちたい」という思いだったのですが、それは叶えられることなく──また、周囲に知られることなく、人生が終わってしまったのです……。今でも父はそのことを悔いているようで、私たち家族に対して一生懸命働きかけているのが感じられます。
(でも、あまりそこに執着すると霊界の先に進めなくなるので、どうやって父の思いを満たしてあげられるかが私にとっての課題でもあります。とはいえ、もしかしたら、こうして父が教えてくれたことを私が発信していくことで多くの人の霊的な学びになっていくのであれば、間接的に父の行為がみんなの役に立つことでもあるので、それも父への供養になるのかもしれませんね。)

 もし、皆さんが今生きている間にも「霊的に純度の高い生き方をしたい」と願うのであれば、自分が今抱いている思いが、果たして肉体という器から生じたものなのか、或いはそうでないのかを区別する必要があるのかもしれません。 
 また、繰り返してしまう過ちや思いを抱いている人は、それが「肉体的な拘束(肉体的な遺伝による性質)」であるかどうかを一考してみるといいのかもしれません。
 霊性における目的を満たしている時は、どんなに摩擦や軋轢が生じても、不思議とそれを受け入れられるものです。時代が大きく様変わりしていこうとする中で出来るだけ俯瞰的にものごとを見るためには、物質的次元に存在する肉体の拘束を超えて、本来の霊性に立ち返ることが必要なのかもしれませんね。



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チャネリング行為への警告

 今までにも何回か「チャネリング行為の危険性」について記事にしてきました。それから二年経っても、まだチャネリング行為が続けられているどころか、さらに増えてきている傾向を感じています。
 私が目にした限りでは、そうした方々はそれまでに神秘学や宗教学、哲学にも触れたことがないという「スピリチュアル初心者」に多い印象も受けます。初心者であるからこそ「目新しいものに飛びついてしまう」というのは分からなくもないのですが、それはあたかも原チャリデビューしたのが嬉しくて、ついノーヘルメットで乗ってしまうという危険行為と大差ないように私には思えます。

 ここ最近多くの人の感受性が鋭くなっていくのを実感出来るぐらい、想念の動きが「目まぐるしい」のを感じています。そういう中でのチャネリング行為は、本当に危険極まりないです。不可視の世界のことだからこそ、可視の世界よりも「注意が必要」なはずです。何度も例に出しましたが、スウェーデンボルグやルドルフ・シュタイナーでさえも、不可視の世界と関わるには厳重に注意していたぐらいなのです。あれほどの力がある人達が用心するのですから、一般人はことの他、用心が必要です。

 また、チャネリングという行為が危険な理由のもうひとつとしては、不可視の世界を別の次元と捉えてしまい、そこに二極性が生じてしまうことにあります。
 前回の記事で書いたように、私たちは、すでに「ひとつ」なのです。
 そうであるにも関わらず、チャネリングをするという行為は「霊性を切り離さない限り、行為としては行えない」ことです。自分の「内側」とアクセスしている──というのならまだ話は別ですが、「外側に高次がある」という視点でやってしまうのは自己内面の二極性を進める結果となるので、とても危険です。

 もうひとつ、チャネリングの危険性をお伝えするにあたって興味深い実例があります。
 ポーランドで活躍する「プロのゴーストハンター」の人の証言によると、「最近、急激に幽霊が減ってきた」そうです。
 その人はゴーストハンターとして公式登録されている程の方ですので、よほど信頼のおける活動をしてきたのでしょう。しかし、ここ最近急に幽霊が少なくなったことで、国民の意識調査による確認をしたい──とまで考えているそうです。
 この現象は、ヘミシンクで有名な坂本政道氏などが以前から言っていた幽界消滅と何らかの関わりがあるように、私は考えています。
 そうなると、だんだん住処が追いやられていく霊達は、憑依現象を起こすようになるのではないか──私はそう感じています。(実際に憑依というのは、すごく簡単に起こるそうです。私たちが想念の奥でひとつであることを思えば、その説は至極納得いくものです。だからこそ、普段から自分の意識レベルを高めておく必要性があるのだろう──私はそう考えています。)
 多くの人の感受性が鋭くなり、シンクロニシティが多くなるような時代だからこそ、チャネリングのような行為をすれば行き場のない霊達を「安易に引き寄せる結果」となります。
 最初のうちは面白半分で出来た行為も、最終的には本人が気づかないうちに「人格崩壊」へと行き着く結果となりかねません。

 1970~80年代に中学生や小学生だった方は、「コックリさん」や「エンジェルさん」という降霊術(のおままごとのようなもの)が流行ったのを覚えていることでしょう。  
 チャネリングとは、「それを自分の身体で行うようなもの」なのです。こう表現すれば、それがどれほど危険なことか、お分かり頂けると思います(だからなのか、「コックリさん」や「エンジェルさん」を知らない世代の人に、自称チャネラーの方が散見されるようにも思います。)

 わざわざ外部と繋がろうとしなくても、私たちは本来すでにその一部なのです。勘を研ぎ澄ませば、いくらでも色々な情報が入ってくるような時代になってきているので、本来は「ただ受ける」ことに夢中になるのではなく、より信憑性の高い真理に行き着けるよう、自分を精進させることの方が重要なはずです。
 そして、得た真理は現実世界に投影するべく、自ら働きかけていく──この循環が大切なのだと、私は考えています。

 「より良きスピリチュアリストは、常に実践者である」──私はそう感じています。

★お知らせ★
 2月に行われたエハン・デラヴィ氏のTRV(トータル・リモート・ヴューイング)講座の参加者の方にインタビューした記事が、近々公開されます。とても興味深い記事になっていますので、皆様ぜひ楽しみにお待ちくださいv


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サイキックアタックなんか『怖くない』

 皆様、「サイキックアタック」という言葉をご存知でしょうか?
 恥ずかしながら──私はつい数ヶ月前まで、この言葉を知りませんでした……。
 文字面からして「何かしら目に見えない精神的な攻撃方法を言うのだろう」ということぐらいは認識していましたが、それぐらいのことしか分からなかったし、別段興味もなかったのです。
 ところが、この「サイキックアタック」というのが意外にも巷では口にされていて、中にはそれを怖れている人達(その注意書きをブログトップに掲載している人など)が散見されることを知り、些か驚いている次第です。

 サイキックアタック……。
 平たく言っちゃえば「呪い」ですよね(苦笑)。←平たすぎ?
 人を呪わば穴二つとか、丑の刻参りとか、かつての日本でも言ったものですが──私はそういった「人の想念が害を成したりする」ということは、確かに「ある」と、そう思います。
 ですが、「病は気から」じゃないですが──どんなに凄まじい呪いがあろうとなかろうと、結局のところは「自分の心がけ次第でクリア出来る」、そんなふうに私は考えています。

 哲学者デカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我あり)」という言葉があります。
 この言葉は「どんなにすべてのものを疑い尽くしても、それを思考している『自分』だけは確実に存在している」という意味なのですが、そこからも分かるように、私たちはどう足掻いたところで自分自身の脳内フィルターを通してしか、ものごとを判断することが出来ません。
 だとしたら、今起きている現象が「サイキックアタック」だと、どうやって分かるというのでしょうか?
 もし「いや! 自分は能力者だから分かるんだ!」というのであれば、もっと能力を磨いてそれを防御する方法を考えることが出来るはずです。要は「自分の能力がそこまで成熟していないからこそ、恐れるのではないか」私の目にはそんなふうに見えてしまいます。

 それから、ひとつだけ確実なことがあります。
 すべては自分自身の脳内フィルターを通しているということは、「敵がいる」と思うその人のこころの中にこそ、敵が存在しているのです。
 戦場を想像してみてください。多くの戦争体験者は、「相手を『敵だ』と思わなければ、殺せなかった」と話しています。すなわちそれは、自分のこころの中に「敵」を作り出さなければ、闘うことが出来なかったということに繋がります。

 敵がいるのであれば、それはいつでも「自分の内面」にいる──サイキックアタックに怯える人は、ぜひそのことに気付いて頂きたいものです。

 ちなみに──。
 私は昨年、突発性難聴を患って、今でも右耳に聴覚障害が残っています。
 それどころか、同年に今度は大腸穿孔で入院──今でも通院しています。
 これも「サイキックアタックされた~☆」って言ってしまうことが出来るかもしれませんね(笑)。←まるで他人事;

 でも、私はこれらの現象が起きたおかげで、大きく成長することが出来たと、むしろ「感謝」しています。
 自分に起きた一見不幸とも思える現象をイチから数えて「サイキックアタックだ」「きっとあの人がネガティブな念を送ったに違いない」──そう思っているうちは、まだまだその人の霊性は未発達だと言えるでしょう。
 どんな現象にも善も悪もなくて、すべては霊性の成長におけるプロセスとして、必要なものだったのだ──そう受け止めて前進出来る人には、もう何も怖いものはなくなっているはずです。
 事実私は、すべての「瞬間」の中に身を投じて生きています。もしこの瞬間に上から人工衛星が落ちてきて潰されたとしても(って、すごいあり得ない確率ですが;)、笑って死ねる自信があります(笑)。

 私たちの次元における一番愚かな感情があるとすれば、それは「恐怖」だと思えます。
 本当に霊性の高い人がいるとすれば、それは恐怖も不安も、すべての負の想念を「糧」に出来る人だ──私はそう思っています。自称○○星人だの、自称○○チャイルドだの、そんな肩書きにあるわけではありません。恐怖に怯えることも、また逆にそれを翳すことも「過ちだ」ということを、この記事を読んで下さった皆様には、是非ご理解頂きたく思う次第です。
 


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現実の中に天国を見いだした者こそが、本当の天国の門に立てる

 約三週間ぶりの更新です。この期間何をしていたかと言えば……定期試験に追われて、勉強三昧の日々を送っておりました(涙)。
 肉体的にはハードな頭脳労働をこなしていましたが、これは時代の変革が原因なのか──はたまた、そうした領域に人類が知らずに足を踏み込んでいるのかは不明ですが、様々な気づきがあちこちに点在しているのを実感出来る日々でした。

 最近、「シンクロ」と呼べるような現象が多々見られているように思います。それは特殊な能力とか感受性の鋭い人達の間でなされるわけではなく、ごく普通に──それこそスピリチュアルの「ス」の字も知らない(或いは、興味がない)人達の間でも普通に起きています。
 私はこうした徴候を「とてもいい徴候だ」と感じています。
 もし本当にアセンションがあるのであれば、それは「アセンション」という言葉を知っている人を限定に──或いは、スピリチュアルを知っている人だけを対象に行われることでは「決してない」と思えるからです。
 イエス・キリストの時代、「パリサイ(ファリサイ)派」という律法学者(いわゆる聖書研究をする聖職者)達のことを、イエスは決して肯定しませんでした。イエスはむしろ、漁師や農家といった、普通の生活を送る人々に祝福を与えようとしていたのです。
 それは何故かといえば──漁師や農家といった普通の生活を送る人々の方が、魂的にはピュアな人が多かったからなのではないか……私はそう感じています。
「余計な概念に囚われず、日々を一生懸命生きている人達特有の輝き」みたいなものがあるんじゃないか──そんなふうにさえ思える程です。

 余談ですが──先日、私がバスに乗っていた時のことでした。道路の工事現場前で、車の交通整理をしている誘導員の姿がありました。
 それが、よく見ると「女性」だったのです。
 最近、こうした警備員の仕事やタクシーの運転手などで女性の人が増えてきているので決して珍しい光景ではなかったのですが、妙に印象強く残ったのは、「その人が笑顔を浮かべ、とても活き活きとした表情で仕事をしていたこと」でした。
 車を誘導するのは、本当に難しいことだと思います。一歩間違えれば事故に繋がりかねないし、自分だって命を落とす危険があります。
 そんな危険な仕事を、その女性は「笑顔を浮かべて」難なくやりこなしていました。それこそ、見ている側がとても気持ちよくなるような素振りで誘導をしていたのです。

 私はこういう、「生きる」ということに前向きな人が「大好き!」です。
 こういう人は、無自覚に色々な人達にパワーや癒しを与えているのではないか……そんなふうに思える程です。

 こういう光景を見るたびに、いつも思います。「本当の意味でスピリチュアルを実践出来ている人というのは、意外にも『スピリチュアル』という言葉を知らない人達なのではないだろうか」と。
 イエスが商人や漁師、農民といった人達と触れあおうとした気持ちが、何だかよく分かる気がしました。スピリチュアルを分かったように語り、「アセンションに向けて、波動の低い人達は遠ざけよう」だの「精神を高次にあわせるように修行しよう」だの、そんなことをする人達と一緒にいるよりも、私は「毎日をつつがなく暮らし、笑顔を絶やさずに一瞬一瞬を大切に生きている人達」と一緒にいる方がいい──そう思えます。

 もしも神が地球を──まるでシミュレーションゲームで覗くかのように見ていたとしたら……どんなふうに思うでしょうか。
 周りに生きる人達をさておき、「さぁ、アセンションが近いから」と言って不自然な菜食主義を貫き、不純物が入っているという理由で水道水を忌み嫌い、ちょっとした感情の行き違いをすべて波動の違いのせいにして「私とあの人は、違う世界に生きているから」といって、関係性の修復をする努力もなく縁を切ろうとしてしまう人と──
 神のことはよく分からない、宗教にも入ってないけれど、友達や家族を大切にして、毎日食べられるご飯に感謝し、つつがなく過ぎていく毎日に喜びを見出し、朝昼晩と大きな変化がなくてもそれそのものに喜びを感じられる人──
 一体、どちらを天国の門に「招き入れよう」と思うでしょうか?

 勿論神は、自ら選択を下して他者を排斥するようなことは決してしないでしょう。
 しかし、心の在り方が霊的な世界の構造であるのだとしたら……もはやすでに、行き先は決まっているようなものだとも思えます。
 他者との調和を望まず、排斥をして自分を守ろうとする人は──結果的に排斥される身となり、
 どんな人とも調和をしようとする人は──結果的に、どんな人からも受け入れられるようになるのでしょう。
 すべては「鏡」なのですから──自分がしたことは「そのまま」自分に返ってくる……高次になればなる程、その現れ方は顕著で、しかも速やかなのでしょう。

 アセンションした後に「調和の世界」を望むのであれば──「今」この瞬間、すでに「調和のこころ」を自分自身が持つ必要がある……
 すべては「自分の内側で起きていることなのだ」という気づきが、今という瀬戸際の時代にこそ、求められているのかもしれませんね。
 
  
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『死』と向き合う方法

 私は今までにも何度か「死後、霊界に旅立てない霊」という存在に遭遇してきましたが、最近はむしろ「そういう霊が少しでも少なくなるよう、生きているうちから『人々が死を受容し、迷いなく旅立てる道筋』を伝えていくような活動をした方がいいのではないか」と考えるようになりました。
 医療分野に関わっていると、「患者だけでなく、医療者側も死を受容出来ていないばかりに起きる悲劇」というのを少なからず耳にするからです。医療現場に関わる人ほど、本来は「死」「魂」「人間の存在理由」について考えなければならないのに、現代日本ではまだまだそれが出来ていないのが現状なのです。

 ところで──。
 皆様は「ヒアアフター」という映画をご存じでしょうか? 
 マット・デイモン主演の映画で、去年の春、日本でも上映される予定だったのですが──3月11日の震災により映画の冒頭にあった津波の場面が問題視され、上映中止となってしまいました。その後6月にDVD化され、レンタルにもなっています。私もレンタルで観ましたし、ご覧になった方も多いのではないかと思います。

 この映画──翻訳は「来世」とされていますが、厳密に言えば「あの世」。要するに「死んだ後のこと」が対象になった作品です。
 マット・デイモン扮する「ジョージ」はいわゆる霊能力者で、死者とコンタクトすることが可能でした。そんな中、自分が津波で臨死体験をしそれ以後「死の向こう側」を探究するようになったフランス人ジャーナリスト「マリー」。そして、双子の兄を交通事故で失った少年「マーカス」が、ジョージと会って「死者との対話」を試みる──という話です。
 死後の世界をテーマとした内容にしては、かなりリアリティを追究して描いている印象を受けました。ただし、その分歯切れの悪いラストになってしまった感は否めませんが──現実世界に生きている以上、「死後の世界」を表現するのはこれが限界なのかもしれない……そう思わずにいられないような終わり方でした。

 「死」というものは、誰しもに必ず訪れる通過点です。
 にも関わらず、何故か誰もあまり語りたがりません。
 これは医療分野でも同じことで、医療分野ほど「死」と隣接している業界はないにも関わらず、真剣に死と向き合おうとはしないのです。多くの医師や看護師達は、「死を探究するのは、哲学者と宗教家のする仕事」と本気で思っているようです。
 勿論、今までにも死に瀕する患者への働きかけとして、素晴らしい本を書いてきた人だって大勢います。エリザベス・キューブラ・ロスや、上智大学の教授アルフォンス・デーケン博士などはその代表とも言える人達です。デーケン博士はキリスト教神学の教授ではありますが、彼らは決して信仰という形のみで語られる死の看取りを訴えているわけではありません。そうではなく、私達が「死とどう向き合うか」という姿勢によって、訪れる死の形が変わってくることを伝えようとしているのです。

 遠回しで分かりづらい表現となってしまいましたが、死というのは死後の世界があるから、怖くない、或いは魂が永遠だから、死後を恐れることはないといったものであっては「いけない」──私はそう考えているのです。「死後に何が待ち受けるかは分からない。でも、私は死を恐れることなく、堂々と生きていく」そんな姿勢が求められるのではないかと思えるのです。
 死を恐れるということは、逆を返せば生を恐れることでもある──そう思えるからです。
 勿論、私自身は死後、魂が存続することを体験でもって知っています。しかしだからといって、私が死後「どの世界に行くか」というのは分かりませんし、それについて「知りたい」とも思いません。
 それは私がこの世での学びをしている最中の「今」知るべきことではないし、それを知らないからといって死を恐れることもしたくない──そう思っているからです。
 死後、どこに行くかということは──どんな精神の在り方で、どんな生き方をし、どんな人生を歩んだかが決めることでしかない──私にはそう思えるからです。
 そして大切なのは、死の瞬間。
 その瞬間に「どのような心持ちでいられたか」というのが、とても問われるような気がしています。

 上記、ヒアアフターとは対照的に、死後の世界をまったく表現として入れていないのに、リアルなまでに死について問いかけている映画というのがあります。
 それが、2004年のスペイン映画「海を飛ぶ夢」です。
 この作品では「尊厳死」についてが描かれています。
 主人公ラモンは、25歳の時に起きた事故が原因で頸椎損傷となり、首から下の全身が不随となってしまいました。そんな中で30年以上生き続けてきた彼が「死」を望むようになり、自ら命を絶つという権限を求めて訴えを起こしていく──という作品です。
 この中で、宗教的な価値観──或いは精神的価値観は描かれていません。
 ひとえにラモンの「人生観」それだけが描かれているのです。
 途中、ラモンを慕うロサという女性から「死後の世界」について尋ねられる場面があるのですが、ラモンははっきりと「そんなものはない」と言い切ります。「死んだら、すべてが消えてなくなるだけさ」と。
 要するに、ラモンは「不随の人生が嫌になったから、来世やあの世に期待して命を絶つ」のではなく、自らの存在をすべて消滅させるという覚悟の中で、あえて死を選んだということがこの台詞から分かります。

 私は本来、死と向き合う際に望ましい在り方があるのだとしたら、この「ラモンのような在り方なのではないか」と思っています。
 私には、ラモンが「死後の世界を否定していたから」と言って、本当に消滅したとは思えない。何故なら、私自身が何度も死を通過した霊やこの世ではない世界に体外離脱した体験から、「死後をどんなに否定しようにも、自分という霊はどう足掻いても消せないのだ」ということを実感しているからです。
 ラモンは、死に立ち向かう際にとても「冷静」でした。
 「死に冷静」ということは、逆を返せば「生にも冷静」ということです。
 何かに必要以上の期待をすることなく、ただ「ありのまま」だけを見つめて、静かに旅立っていく──。

 死を正しく見つめ、死を理解するということは、決して死後の世界を肯定することだけとは限らない、この映画を観て私はそう思うようになりました。
 勿論、何かしらの宗教を持っていなければならない──ということでもありません。
 要するに、今の自分をありのままに受け入れ、その自分が出来ることだけに専念する──それだけで充分、天国の門は開かれるのかもしれない、そう思えるのです。

 勿論、そこまで達観出来る人というのはそうそう多くはないでしょうし、大半のケースは「死後の行き場」という意味で死後の世界を知らないが故に途中で迷子になってしまうことも少なくありません。
 だから、多くの場合やはり「死後の世界」を情報として知っておくのがいいとは思います。
 しかし映画「海を飛ぶ夢」を観て以来、正しく霊界に導かれる方法は必ずしも「死後の世界を受容することだけでは『ない』のだ」ということを、ここ最近になって実感した次第です。
  

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プロフィール

篠崎由羅(しのざきゆら)

Author:篠崎由羅(しのざきゆら)
1970年生。幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、大学ではインド哲学科専攻。東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。

現在は看護師として施設で勤務しながら、その傍らで執筆活動を続けている。2016年11月にYOU are EARTH改め「WE are EARTH」の活動を再始動予定。より良い未来の地球のため、全力を尽くす誓いをたてている。

【篠崎編集担当】


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